Spectators Evergreen Library vol.23 緑色世代の読書案内 特別企画 新連載「THE JOURNEY NEVER ENDS」第1回 イントロダクション:スペクテイター誕生のひみつ Spectators Evergreen Library vol.23 緑色世代の読書案内 特別企画 新連載「THE JOURNEY NEVER ENDS」第1回 イントロダクション:スペクテイター誕生のひみつ

Spectators Evergreen Library vol.23 緑色世代の読書案内 特別企画 新連載「THE JOURNEY NEVER ENDS」第1回 イントロダクション:スペクテイター誕生のひみつ

Spectators Evergreen Library

SHIPS MAG読者のみなさん、こんにちは。
『スペクテイター』編集部の青野です。
いつも当連載をご愛読くださいまして、ありがとうございます。
おかげさまで『スペクテイター』は今年で20周年目を迎えます。
こんな日が来るとは予想もしませんでしたが、これもひとえに今まで本誌を支えてくださった読者のみなさんのおかげです。無事20歳を迎えた記念に、本誌の過去にまつわる話を短期連載させていただくことになりました。
はじめて『スペクテイター』を知る方も、この短期連載をきっかけに興味を持ってもらえたら嬉しいです。

(文=青野利光・スペクテイター編集部)

『スペクテイター』を創刊してからもうすぐ20年が経とうとしている。
次の特集をどうするか、どうしたら雑誌を続けていけるかと、これまで先のことにばかり気を取られ、過去を振り返ることなんて殆ど無かった。
そもそも雑誌編集者という人種には過去を振り返るのが苦手なタイプが多い気がする。これは僕の勝手な憶測だけど、雑誌編集者は常に最新の出来事や最先端の意識を追い求める使命を与えられ、校了した号が発売する前にもう次の号について考えていたりするから、過去を振り返る余裕なんか無いんじゃないかと思うのだ。
新しいことばかりが気になる癖はSNSの影響も大きいと思う。他人のNOWに気を取られ、自分の過去に思いを巡らせる時間が減ってしまった。

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『スペクテイター 創刊号』。1999年9月25日発売。A4版変型・96ページ。750円。発行=ティー・シー・アール・シー。表紙の右上のシールはデザイン上の演出ではなく、実は修正シール。表紙に間違った「定価」が記されていることを完成した号を見て初めて知り、スタッフ全員総出で貼った。

過去を振り返るのは、もちろん悪いことじゃない。
学校や職場で初めて会った人との心の距離を縮めるには、その人のこれまでを知ることが助けになるし、それを自分の過去に照らし合わせてみることで得られる気づきは少なくないからだ。
これまで『スペクテイター』の取材でも、さまざまな取材対象者によって語られるバイオグラフィに耳を傾けてきた。
禅寺のお坊さんが若い頃にどのようにして仏の道へ入ったか。
発酵食品の作り手たちは何をきっかけに菌の魅力と出会ったか。
自分と異なる考え方や感覚を持った人の過去の物語に聞き入っていると、まるで、その人の世界に迷い込んでしまったかのような錯覚を覚えることがある。インタビューという言葉の語源は「互いに見る」という意味だそうだが、取材対象者が過去に観た景色が、言葉を介して聞き手の頭のなかでリアルに再現されたとき、両者は互いにおなじ景色を見ていることになるのだろう。そうして見聞きしてきたことを今度は活字を介して読者へ伝えていく。それが上手くいけば話者が見た景色を読者に見せることができる。映像の時代にずいぶんアナログなこのコミュニケーション表現が楽しいから、僕らは今も雑誌づくりを続けているのだろう。

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創刊号の発売告知広告。青野が関係していた音楽雑誌に掲載してもらった。コピーは何が言いたいかよくわからないが、要するに事件は現場で起こっているというようなことを言いたかったのだと思う。写真は1号目で取材したグラフィティ・ライターTWIST の足元。撮影=斉藤圭吾。

景色のバトンを渡していく楽しさを読者の皆さんや、スペクテイターを初めて知る人たちにも感じて欲しいという思いから、創刊20年目を迎えるこの節目に『スペクテイター』の過去を振り返ってみようと考えた。
これまで僕達が『スペクテイター』を、どのようにして作ってきたか。創刊号から最新号までの編集の裏舞台とも言うべきエピソードを1号づつ紹介することで、雑誌づくりの現場の実情をドキュメントしていくつもりだ。
こういう企画は、ふつうは雑誌が休刊したときなんかにやるものかも知れないけれど、バックミラーを見ながら車を前に進ませなければ見られない景色もあるだろうし、これからの自分たちがキミのバックミラーに映る景色になれるかもしれない。そんな期待を込めて、この連載を始めることにした。

まずは本誌の誕生にまつわるエピソードについて話をさせてもらいたい。
『スペクテイター』をはじめる前の僕は、ある音楽雑誌の編集部に籍を置いたままフリーの編集者のようなスタンスで他の企業から頼まれた編集の仕事などをこなしていた。

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創刊号の冒頭に載せた巻頭言のページ。インターネットを通じて受け取るたくさんの情報よりも、いまここで生きているという実感が重要だというようなことが書かれているが、要するにインターネットができないことをやるという気持ちだった。

創刊から既に7年を経ていたその音楽雑誌は、初期のメンバーだった自分たちの代りに若いスタッフを中心に運営されるようになっていたので、僕は何かあたらしい仕事を自ら考えるべき立場にあった。
いわゆる新規事業のひとつとして、あたらしい雑誌を創刊することを思いついたわけだけど、単に新しい製品を生み出すだけなく、読者と一緒に旅をするための新しい乗り物みたいなものを生み出せないかと、ぼんやり考えていたのだった。

当時のカルチャー・マガジンをめぐる状況を思い返してみると、インターネットという新たなメディアの隆盛を横目に同世代の編集者は誰もが次の一手をどう打つかと様子見をしているような時期だった気がする。98年には赤田祐一さんが『クイック・ジャパン』の編集長の座を降り、『WIRED』が最終号を出版。翌年には『STUDIO VOICE』も休刊するなど、雑誌業界には停滞ムードが漂っていた。
岡本仁さんが編集長をつとめ人気を集めた『relax』や、現在は写真家として活躍する米原康正さんの『アウフォト』のような話題性のある雑誌も出ていたけれど、個人的には国内の雑誌よりも海外の雑誌から受ける刺激が大きかった。なかでも大きな影響を受けたのはロンドンのカルチャー雑誌『DAZED & CONFUSED』のドキュメンタリー記事だった。自然保護活動のために抗議活動を続ける若者や、現代版ヒッピーコミューンのような場所のルポなど、ユースカルチャーと社会問題を重ねて語ったような記事を見て、自分もこういうページをつくりたいと思っていた。ほかにもデヴィッド・カーソンという有名なアートディレクターが創刊した北米のアドベンチャーライフスタイルマガジン『blue』や、ロンドンのエクストリームスポーツの専門誌『Adrenaline』など新しいライフスタイルを紹介する雑誌が次々と生まれ、それらに負けない日本を代表するカルチャー・ドキュメンタリーの雑誌をつくるんだと息巻いていた。

毎月ごとに〆切に追われる月刊誌の現場を離れたことで少し時間に余裕ができたので、自分が編集発行人となる新しい雑誌の将来像をイメージすることから始めてみることにした。
そのとき思い描いていたイメージは2つあった。
ひとつは「正直な雑誌」であるということ。
もうひとつは「成長する雑誌」であり続けたいということだった。

「正直な雑誌」というのは、取材を通して掴んだ真実を書き手が自分の気持ちに嘘をつかずに書ける空間であるということだ。
書き手が嘘を書かないことはメディアに携わる誰もが守るべき最低限のルールだけど、そういうことではなくて、記事の立案者が誰に忖度することなく掘り下げたいことを記事にする。そんな雑誌にしたかった。
興味のあることを取材するというのは一見あたりまえのようだけど、やりたい企画を、売れ行きさえも気にせずに記事にするというのは案外むずかしかったりする。
自分が編集した本が「売れないこと」を望む編集者は一人もいないだろう。せっかく苦労して世に送り出す以上は、たくさん売れたほうが嬉しいに決まっている。だから編集者は読者にウケそうな企画を立てるのだけれど、そのような大人な配慮から組まれた特集記事は世の中の常識に則してよく整理され理解はしやすいけれど、どこかグっとこない場合が多い。
それとは反対に一人の変わり者が長年あたためてきた妄想をカタチにしたような記事は、荒削りでやや独善的すぎる嫌いもあるけれど、読み手の心に強く響く。そういう記事を集めた雑誌にしたいと思っていたのだ。

「成長する雑誌」というのは編集スタッフの考えや意識の変化と共に中身も成熟していく雑誌という意味だ。
雑誌はいったん編集方針を決めたら、そのままおなじ調子で刊行を重ねていくのが一般的だ。特集の中身や編集スタッフは入れ替わったりするけれど、雑誌としての器を変えようとはしない。それはそれで良いし、おなじ器のままで何十年も読者との信頼関係を築いている立派な雑誌もあるけれど、僕がつくりたい雑誌は歳月と共に成長し変化する、生きものみたいな雑誌だった。
生きている以上は悩んだり立ち止まったりすることもある。ときにはアイデアがなかなか固まらず、次の号を出すまでに時間がかかってしまうこともあるかもしれない。煮え切らない意見のときもあるだろう。だけど、もしそうだとしても作り手の現在のリアルな気持ちが詰まっているほうが、信頼が置けるし、長く付き合ってもらえるんじゃないかと考えていた。
10年経ったら10年ぶん歳を重ねた雑誌なんて見たことない。読者と共に老いを重ね、できるなら生涯つきあえるような、そんな雑誌が1冊ぐらいあっても良いじゃないか。
だから雑誌の名前は『ニューヨーカー』とか『ハスラー』とか『マリア』みたいな人格を表す単語にしようと決めていた。

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創刊号を刷る前に印刷会社にダミーのデータを入稿してつくってもらった束見本。デザイナーも編集も雑誌づくりのシロウトだったから、いろいろ実験しながら雑誌づくりを学んでいった。デザイン=イルドーザー。

『スペクテイター』とは「観客」や「見物人」を意味する英語だ。これから始まる雑誌づくりという新たな旅の先々で巡り合うに違いない天晴な景色を読者と共に目にしたいという意味を込めて、この単語を誌名に冠した。だから書き手も写真家も読者もみんなスペクテイターというわけだ。

実はこの誌名はハンター・S・トンプソンというアメリカの有名なジャーナリストが若い頃にコラムを寄稿していた雑誌の名前を、そっくりそのまま拝借したものだ。60年代から70年代半ばにかけてアメリカで若者たちから熱狂的に支持された伝説のロック雑誌の興亡を描いた『ローリング・ストーン風雲録』(ロバート・ドレイパー著/早川書房)という本のなかにそのエピソードを発見し、これから始める雑誌の名前として採用させてもらうことにしたのだった。

ハンター・トンプソンは『ローリング・ストーン』や『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』などの雑誌で健筆をふるったジャーナリストで、暴走族の一員を装って潜入取材をしてみたり、ドラッグでキマった状態の自分自身の意識の変化を明け透けに綴った記事を発表したりと、ハチャメチャな行動と破天荒な作風で知られている書き手だ。我が身を投じて現場の空気をかっさらってきて、それを活字に変換して読者にダイレクトに届けるような、そんな荒削りなジャーナリズムに当時の僕は憧れを抱いていたのだった。

ともあれ、さまざまな過剰な妄想と期待が膨らんだ結果、『スペクテイター』という聞きなれない名前の季刊の雑誌がスタートした。
あれから現在までに合計41冊のスペクテイターを世の中に送り出してきた。その1冊ごとに存在する編集の舞台裏のエピソードを全号ぶん、これから何回かに分けて紹介してみたい。僕らが見てきた景色を、この記事を読んでくれた人の頭のなかにリアルに再現できたら最高だ。次回より始まる本編を、どうぞ、おたのしみに!

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スペクテイター41号

発売/2018年2月20日

特集:つげ義春 探し旅
私小説の手法をマンガ表現に取り入れ、唯一無二の名作を世に送り出してきた稀代の天才漫画家・つげ義春。作家本人へのインタビューや知人関係者への取材、論考などを混じえながら創作の根源に迫った「つげ義春」特集の決定版。

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青野利光| TOSHIMITSU AONO

1967年生まれ。エディトリアル・デパートメント代表。大学卒業後2年間の会社勤務を経て、学生時代から制作に関わっていたカルチャー・マガジン『Bar-f-Out!』の専属スタッフ。1999年、『スペクテイター』を創刊。2000年、新会社を設立、同誌の編集・発行人となる。2011年から活動の拠点を長野市へ移し、出版編集活動を継続中。