毎号、各ジャンルで活躍されているゲストをお招きし、その生き方を伺う本連載。今回は、桑原茂一さんが愛してやまない作曲家の阿部海太郎さんが登場。音楽や音にまつわる興味深いお話をたくさん聞くことができました。
流行りの音楽をやっているわけでなく、やりたいとも思っていない
桑原 今回は、気づけば10年以上のおつきあいになる作曲家の阿部海太郎さんです。彼の1st.は、フィールドレコーディングをベースにした『パリ・フィーユ・デュ・ カルヴェール通り6番地』(2007年)というアルバムで。僕はその一枚に強烈なショックを受けて以来、ライブがあれば出かけるようになったんです。
阿部 いつもありがとうございます。
桑原 日本に戻って来られてすぐの頃は、ファッションブランドであるシアタープロダクツの音楽をやられていましたよね。
阿部 そうですね。シアタープロダクツのデザイナー武内 昭さんと、現在は退かれたプロデューサーの金森 香さんとは学生時代からの知り合いで。ショーの音楽を作ったり、イベントの音楽を一緒に考えたりしていました。
桑原 シアタープロダクツは「洋服があれば世界は劇場になる」というコンセプトで、街を劇場として捉える活動をしていましたよね。その感覚と、パリの街をフィールドレコーディングしながら、その空気感をカプセルに閉じ込めていくような阿部くんの楽曲とは、すごく相性が良かったと思うんです。まるで、発注を受けてパリへ留学したのかと思うくらい。洋服も素晴らしかったけど、そこに音楽が共存していることも大きかったと思うんです。
阿部 あとで気付いたんですけど、デザイナーの武内 昭さんとは好みが似ていたんです。お互いクラシカルなものが好き。クラシックといっても、当たり前にあるようで実はよくわかっていないものや、ほとんど知られていない知恵なんです。それと、僕は流行りの音楽をやっているわけでなく、やりたいとも思っていない。彼もまた、どこかアンチ・ファッションの要素があるんです。
桑原 へぇ〜、面白いなぁ。でも、誰もが過去のアーカイブから何かしらの影響を受けているわけだけど、それをどう表現するかが大事ですよね。つまり、阿部くんの楽曲の中にはクラシックの要素が入っていると思うし、影響を受けたクラシック曲を聴かせてもらったら「なるほどね」と感じると思うんです。でも、本当に大事なのは阿部海太郎のフィルターを通った 音楽なんですよ。
阿部 はい。
桑原 僕もたくさんの音楽を聴いてきたけど、それだけでは満足できない。常に何か新しいもの、違ったものを求めていくなかで阿部海太郎が出てきた。
阿部 ありがとうございます。
自分で曲を作りながら鳥肌が立つ
桑原 そうそう、最近ちょっと衝撃的な記事を読んで。というのも、南カリフォルニア大学の研究では、「音楽を聴いて鳥肌が立つ」というのはごく一部の人にだけ起こることだと解明されたようで。僕はこれまで、たとえ一曲でも誰かの鳥肌を立たせる選曲がしたいと頑張ってきたからショックで。
阿部 恥ずかしい話ですけど、自分で曲を作りながら鳥肌が立ってますよ。
桑原 うわぁ、よかった!
阿部 自己陶酔しているだけですけど、「これはすごい!」みたいな瞬間があって。それがないとダメだなって思うんです。作りながらゾクゾクしているものは、確実にいい曲なんです。でも、ある曲のピアノソロをレコーディングしているとき、何回目かのテイクで涙が溢れるほどの傑作が弾けたんです。さぞかしエンジニアも感動していると思ったら、まったくもってフツーでショックでしたね。何年も一緒にやってきたのに、感動を共有できなかった(笑)
桑原 あははは。その方は鳥肌が立たないタイプなのかもしれないね。ライブをやっていると、それこそオーディエンスのエモーショナルな空気がステージに帰ってくる感じがあると思うけど、「今日はあのエリアからの反応がないな」みたいなのはあるの?
阿部 ありますね。あのエリアというより、全体としてうまく関係性が作れていない日はあります。演奏しながらなんかわかるんですよね。
桑原 やっぱりあるんだね。
みんなが知っているプロセスとは違うカタチで音楽の面白さを伝えたい
桑原 最近は舞台音楽も数多くやられていますけど、映画音楽の世界ではフェリーニとニーノ・ロータとか、クロード・ルルーシュとフランシス・レイとか、監督と作曲家の関係っていうのがありますよね。フェリーニは、「自分は映画で観客に涙を流させることはできるけど、それ以上の感動を呼び起こすのは音楽だ」というような話をしていて。阿部さんはどう思われますか?
阿部 多かれ少なかれ、監督さんや演出家さんは音楽家を羨ましがりますよね。舞台の場合、感動の場面に向かうために言葉や視覚を積み重ねていくわけで。一方、音楽は有無を言わさずに直接感情に入っていく、それはそうだと思う。僕も映画音楽が好きで作曲家を志したくらいなので、その効果はわかっています。でも、完成度の高い作品にするために、音楽がどうあるべきかを考えることにも楽しさがあって。監督や演出家によっては、音楽で語って欲しくない人もいる。その中で自分がどうできるかを考えるのが好きですよ。逆に、「この場面を音楽で感動させてください」って言われるほうが困っちゃう。
桑原 そんな身も蓋もない要求を作曲家に発注するとは…まるで音楽を商品に過ぎないというような粗野な感性が痛いですね。
阿部 絵に限界があったりなど、消極的な理由かもしれないですけど。映画やお芝居との関係以前に、僕の音楽はもともとアンチクライマックスなところがあって、ベタな展開を避けているところがある。感情を勝手に動かしたくないわけではなく、みんなが知っているプロセスとは違うカタチで音楽の面白さを伝えたいからなんです。
桑原 そこに阿部海太郎らしさがあるんだね。
阿部 何年か前に、ミュージカルでイスラエル人の演出家と一緒にやったんですけど。イスラエル人の感覚と僕は近くて、とつとつと時間をかけて複雑な感情を生み出すようなスタイルなんです。
桑原 民族による違いがあるってことは、音楽は言語になっているのかな?
阿部 そうだと思いますね。パリの留学から帰ってきて日本のコンビニに入ったとき、音楽の聞こえ方が全然違ったんですよ。いわゆるハイ(高音域)の部分がシャリシャリしていて。フランス人にはハイの領域が多くてうるさく感じるかもしれないなと。これは風土の違いというか、住宅事情も関係しているかもしれない。狭い空間で小音量でも音楽を楽しめるような作り方なのかなって。
桑原 あ〜、なるほど。最近、YouTubeで『Resonance Experiment!』というのを見つけて。それは音を視覚化しようとする研究なんだけど。倍音を変えることでいろいろなカタチに変化していく。その幾何学模様がまるでアラブ系のデザインに見えたりもする。もし音楽そのものを視覚化出来たら、国ごとの音楽の多様性を直接感性で感じることができるので、交流にもより深い関係が生まれるような気がします。
Resonance Experiment!
音楽を聴くこと以上に、聞こえてくる経験が好き
阿部 そうですね。でも、国ごとの違いがある一方で、楽器ひとつあるだけで世界中の人とコミュニケーションできることもあるんです。10代で語学留学をしたとき、僕はパンデイロっていうブラジルのタンバリンだけを持っていったんですよ。バイオリンを持っていくよりも手軽だったから。それを持って公園にいるだけで、人が寄ってくるんです。
桑原 音楽の響きは言語の壁を軽々超えて、もしかしたら最近SNSで異種間の甘い交流が溢れているけど、本来人間は人種間や異種間を超えて仲良くできるのかもね。
阿部 バイオリンを持っていくよりも手軽だったから。それを持って公園にいるだけで、人が寄ってくるんです。
桑原 いつの間にか集まって音楽が始まるんだ。
阿部 そうなんです。一方で、演奏家ではなく作曲家としての自分は、誰とも違う音楽を作りたいと思っていて。それは自分だけの音楽なので、誰かとコミュニケーションが取れるのかという恐怖もある。そうは言いながらも、作っているときは聴く人のことはまったく考えていないんですけど。
桑原 ライブでは映像やサウンドエフェクトをうまく使いながら、複合的に音楽を聴かせることを積極的にされていますよね。それもコミュニケーションのひとつなのかな?
阿部 僕は音楽を聴くこと以上に、聞こえてくる経験が好きなんです。どこかで流れているものが聞こえてくるのもありますが、それよりも自分の中から聞こえてくるもの。つまり、音が鳴っていなくても、何かの瞬間に汽車の音や、食器の音が、自分の中で意識化されるような。自分のために音が聞こえてくる感覚に対して鳥肌が立つというか、かけがえのない音のような気がするんです。そういう瞬間を捕まえたい。
桑原 うんうん。
阿部 昨年、北里大学の教養科目で特別授業をさせていただいて。そのときに、いま言った聴く(LISTEN)と、聞く(HEAR)の違いみたいな話をしたんです。そこで、「これまで生きてきた中で、もっとも印象的な音はなんですか?」と学生たちに質問しました。すると、高校3年ラストの試合がサッカーの決勝戦という生徒がいて、でも最後の試合に負けてしまったと。審判の笛が鳴った瞬間、応援してくれていた人たちが一斉にため息をついた、その音が、いまでも忘れられないって。
桑原 おぉ〜、すごい。
阿部 話を聞いて鳥肌が立ちましたよ、その音はすごい! って。そういう音って何なんだろうと思うんです。音が身に迫ってくる力、音楽を作るときもそこを求めていますね。
いま興味があるのは、洗練された民芸のような音楽
桑原 では最後に、モノを作る人たちは何かのインスパイアを求めて旅に出る人が多かったりしますけど。阿部くんがこれから新しいアルバムを作ろうとするとき、どういう方法を取るのでしょうか?
阿部 いままさに新しいアルバムの準備をしているんですけど。やっぱり知らない場所に行くのはいいですよね。いまの時代、海外の街がどういうところなのかはすぐに情報が手に入る。でも、実際に経験するのはまったく違うんですよ。とくに、音に関しては本を読んでもわからない。ヨーロッパの路地の構造だと音はこだまして響いていく。それを体感することは大事ですね。もちろん、国内でも知らないところに行くのは刺激になります。
桑原 構造の異なる街を彷徨うことで、そこかしこから聞こえてくる騒音や音楽の響きから、それまで気づかない未知の感性に出会うことがありますね。
阿部 あとは、作品をつくる前に資料を紐解くのも好きです。フランスには、ある時期「装飾」という文化があったんです。作曲家はあくまでも旋律をつくる人で、演奏家がそこに装飾をつけていく。そこにはさまざまな技術があって、一冊の本になっているほど。まるで図案集を見ているような感覚になるんです。その装飾本を見てインスパイアを受けることもありますね。
桑原 へぇ〜。
阿部 あとは、図書館が好きでよく行くんですけど。いまはアメリカ開拓時代の庶民のファッションに興味があって。でも、庶民の歴史や文化って、ファッションに限らず音楽でもアートでもほとんど残っていないんですよ。残っているのはハイアートの歴史ばかりで、無かったことのようになっている。いま興味あるのは、そういったフォークロアというか、洗練された民芸のような音楽ですね。
桑原 次のアルバムも楽しみにしています。今日はありがとうございました。
人間の命よりはるかに長く生きる芸術には、人間のあらゆる感情が埋め込まれている。
衝動的で、感傷的で、刹那的なものでさえ音楽は時代を超えて伝えることができる。
- ブラームス作曲『ハンガリー舞曲第1番』
- ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ダニエル・バレンボイム指揮
ハンガリー舞曲を振るバレンボイムの、2:30からの所作は必見。恍惚と感動とが別物であるかを教え諭してるようだ。
- “Moments musicaux - Theme”
- 阿部海太郎
音楽とともに記憶が蘇ってくることは誰しも経験あると思う。拙作”Moments Musicaux”に、画家nakabanがそんな映像を作ってくれた。
- Aries
- Bela Tar
イスラエル・テルアヴィヴに滞在中知ることになったBela Tar。 最近、好きでよく聞いています。
「 私はXになりたい 」
誰とも違う究極の個性とは、実は誰にも気づかれない自分だけが知りうる個性のことではないか?
では何故?究極の個性が歴史を跨ぎ多くの人に賞賛されているのであろうか?
もしかしたら私は、究極の個性がそのままパブリックになる芸術のミステリーを探し求めているのかもしれない。
言い換えれば、自己顕示欲を個人的な欲望に留めるのではなく、どれだけパブリックなものにするか、なのである。
阿部海太郎。
こなさんみんばんは、初代選曲家の桑原茂一です。
今夜の海賊船、Pirate Radioのお客様は、私の最もリスペクトする日本人の作曲家、阿部海太郎さんです。
もしあなたが、この冒頭の阿部さんの台詞にグッと来たら、
是非、この番組「 I want to become a mystery presence X 」
をお聞きください。近い将来、国境を超え、世界の音楽シーンで名声を馳せる、阿部海太郎の創作の謎に迫る貴重なインタビューと類い稀なる彼の音楽を中心に構成選曲しました。
それでは最後までごゆっくりお楽しみください。
初代選曲家 桑原 茂→
moichi kuwahara Pirate Radio
PROFILE
1978年生まれ。自由な楽器編成と親しみやすい旋律、フィールドレコーディングを取り入れた独特で知的な音楽世界に、多方面より評価が集まる。蜷川幸雄氏に見出されその劇音楽を数多く手がけたほか、舞台、テレビ番組、映画、様々なクリエイターとの作品制作など幅広い分野で作曲活動を行う。現在放送中の『日曜美術館』(NHK)のテーマ曲や、『W座からの招待状』(WOWOWシネマ)などの音楽を担当。2017年には『百鬼オペラ 羅生門』(インバル・ピント&アブシャロム・ポラック演出)で作曲・音楽監督を務めた。これまでに5枚のアルバムを発表している。
www.umitaroabe.com