SHIPS MAG読者のみなさん、こんにちは。
『スペクテイター』編集部の青野です。
今回は、先日発売した最新号「つげ義春」特集にちなんだ記事をお届けします。この記事や本誌最新号をきっかけに、偉大なマンガ家・つげ義春の作品の魅力に気づいていただけたら嬉しいです。
*以下、取材・構成=赤田祐一(スペクテイター編集部)
つげ義春のマンガって、なんだか難しそう?
作品集がいっぱい出ていて、どれから読んでいいかわからない?
そんな「つげ初心者」のあなたのために、1992年生まれの若きマンガ家・川勝徳重さんにお願いして、つげ作品の”読みどころ”について語っていただきました。
川勝さんは、新進気鋭の漫画家です。
webマガジン”トーチ”、時代劇コミック誌『コミック乱』等に作品を描き下ろしたり、同人漫画誌の編集、漫画評論、小西康陽氏のアルバムジャケットに画を提供するなど、多彩に活躍されています。
(『スペクテイター(38号)』では赤塚不二夫の幼少期について絵物語を描き下ろしていただきました)
つげ義春、安部慎一、水木しげるを創作活動の範と公言する川勝さんにとって、つげ義春とはどのような存在なのでしょうか。
ある日曜の午前、指定いただいた東池袋の〈VALLEY〉という静かなカフェで話を聞いてきました(以下、敬称略)。
川勝徳重(かわかつとくしげ)1992年東京生まれ。2011年『幻燈』(北冬書房)でデビュー。文芸誌や漫画誌へ作品を寄稿、漫画雑誌『架空』の編集・執筆、怪奇劇画短編誌『蝸牛』の発行、評論執筆など活躍は多岐にわたる。著書に『十代劇画作品集』(セミ書房)。
――つげ義春のマンガに、どこで初めて触れたかというあたりからお聞きしたいんですけど。
はじめて画を見たのは、小六のころ読んだ『ブラックジャック読本』のようなタイトルの本です。その本のうしろのほうに1968年6月に刊行された『ガロ臨時増刊 つげ義春特集号』(*「ねじ式」が初めて描き下された雑誌/青林堂刊)の書影が印刷されていたんですよ。
川勝徳重「電話・睡眠・音楽」(『トーチWEB』リイド社)より
――つげ義春の個人特集号ですね。
帽子をかぶった子供が沼に佇んでいる画が掲載されていたんですね。その画が印象的だったんです。
――小六でつげ作品というのは、理解が難かしかったのでは?
書かれていた文章も、小六の子供には難しくてなんだかわからなかったのですが、佇む少年の画は覚えてました。その後、中学に入ってマンガ好きになって、『ガロ』という雑誌を知る過程で、あの画がつげ義春のものだと認識したと思います。
――初めて購入したつげ義春の作品集というと?
中三の頃、家の近所の古本屋で『ゲンセンカン主人』を購入しました。表紙には、つげさんとヌードスタジオの女性が下を向いて並んでいる画が描かれていいました。最初はこのマンガの何がいいのかわからなかったんです。表紙の画が生々しくて「いやなエロさだな」などと思いました。ですから、買いづらかったです。「ねじ式」も全然わからなかったですね。
『ガロ臨時増刊 つげ義春特集号』表紙
――その『ゲンセンカン主人』に「ねじ式」も収録されていたんですか。
載ってました。はじめのページに赤と白の二色印刷で。
――高校生の頃、まわりにつげ義春を知ってる人はいましたか。
書かれていた文章も、小六の子供には難しくてなんだかわからなかったのですが、佇む少年の画は覚えてました。その後、中学に入ってマンガ好きになって、『ガロ』という雑誌を知る過程で、あの画がつげ義春のものだと認識したと思います。
――つげ義春のマンガを面白がれるようになったのは?
(少し考えて)『無能の人』とか、ほかの作品をいろいろ読んでいくと次第に面白くなってきたんですよね。マンガの中に作者の分身みたいな人が、たくさん出てくるじゃないですか。
古本屋で購入して初めて読んだ『ゲンセンカン主人』(双葉社)
――“ドッペルゲンガー”みたいな。
それで、読めば読むほど、作品と作品が断片でつながってくるんですね。”つげワールド”というのか、ひとつの世界がはっきりとあることが、だんだんわかってきて…。つげ義春のマンガについて、批評家とか、いろんな人が、いろんなことを言いますよね。
――評論されることの多いマンガです。
作者自身、本のあとがきでも「ラーメン屋の二階で見た夢で『ねじ式』を描いた」とか書いてますよね。でも、その後でつげ義春のインタビュー集とか読んだりすると「夢はとくに関係ない」みたいなことを言ってたり。そうやってマンガを読んだり周辺情報を読んだりしていくと、頭のなかでテキストが積み重なって重層的になってくるんですよ。読みすすめると、いろんな文脈が積み重なってきて。そうこうしていくうちに、その世界にハマってきちゃうわけです。
――それで面白くなってきたんですか。
なりましたね。こういう読み方は、昔の文学青年の悪い読み方です(笑)。私小説を読む人って、そうじゃないですか。志賀直哉を読むと作中に本人が出てきたり、武者小路実篤の小説を読むと志賀直哉っぽい人物が出てきたりして……。人の小説に実在の作家が出てくるというところから、謎の交友関係が頭のなかに出来てきて、読むと楽しくなってくる。人と人がつながってくるんです。
――つげ義春の画の魅力については、いかがですか。
ペン画がいいんですよね。リアリティということなんだけれど。たとえば描かれた画に重さがあるかんじとか。(ipadの画面をスクロールしながら)これは下宿の障子の画だけど、つげ義春のマンガって、ちゃんと障子が開きそうな気がするんですよね。障子がガラッと開いて、そこに置かれてある物を動かせるようなかんじがする。空間のなかに、ちゃんと人物がいて、その手前も見えるようなかんじがするんですけど、そういうのが好きです。マンガの背景が現実みたいというのも、いいですよね。
つげ義春「義男の青春」より
つげ義春「池袋百点会」より
(ふたたび、ipadの画面をスクロールして)これはまた別の「池袋百点会」という作品ですが、このマンガの舞台は甲府でしょう。
――実在の地名が出てますよね。
出てるし、これ昇仙峡じゃないですか。現実みたいにしている。ファンタジーじゃないのはわかるじゃないですか。
僕、国籍不明のファンタジーのアニメばっかり観て育った世代なんですけど。「デ・ジ・キャラット」とか「サクラ大戦」とか。そういう萌えマンガって魔法少女が出てきてどうとかこうとかで、現実を舞台にした作品って、あまりないんですよね。すべて設定が先にあって、どのマンガ読んでも舞台は東京のどこかだろうなって。現実みたいにしててもフワフワしてて、リアリティを感じなかったんですよね。”聖地巡礼”と言うんですか? アニメの舞台となった場所をファンが旅行することは90年代前半からあったそうですが、2007年の「らき☆すた」まで意識したことはなかったです。あと、つげ義春のマンガは大人っぽく感じたかな。羨ましいなと思ってましたね。
――羨ましい?
つげのマンガは、いつも主人公に彼女がいるじゃないですか。そういうところが僕としては「すげえな」と思ってましたね。「チーコ」という作品がありますけど、あれって同棲マンガじゃないですか。主人公は女のヒモでしょ。女は今で言うキャバ嬢かなにかやってて。これ見て、「モテる男は違うな」と思いました。僕、中高男子校で、鬱屈としてて、女子と六年間、一回も口をきかなかったんで、「この主人公すげえな」と思ってました。そういう見方です(笑)。
――好きな作品名を挙げてもらうと?
さっき出ましたけど、「池袋百点会」なんていいですね。
――この作品は正に、このあたりが舞台なんですかね(編注:川勝氏からインタビューに指定された場所が東池袋のカフェだった)。
そうですね。僕、板橋に住んでいるんですけど、このマンガで詐欺したオッサンは板橋の住人ですね。
――「PR誌つくってひと儲けしよう」みたいな話でしたね。
そうですね。ここで若い読者にまず伝えておきたいのは、つげ義春はみんなが思っているような難解なマンガじゃないってことですよね。
――「むずかしい、わけがわからない、不条理だ」という人もいますね。
不条理と思えば思えるけれど、ユーモアセンスが抜群だっていうのは言いたいですね。「池袋百点会」に即して話をすすめると、これは三人の貧乏人が集まって、インチキっぽく、『銀座百点』みたいなPR誌をぶちあげたら儲かるぜって話で、結局はできなかったという話ですよね。そこに恋愛関係の三角関係が入ってくる。
つげ義春「池袋百点会」より
――この作品の読ませどころは、どのへんでしょうか。
セリフが良いですよね。いちばん読みやすいかなと思ったですよね。
――つげ義春の作品は実は負荷が少ないというか、すらすらと読めるんですよね。マンガを読み慣れてない人、『ガロ』の存在など知らない人でも読めますね。
そうなんですよ。それを言いたいですね。
――私の両親とかも、つげ作品は読めるんじゃないかな。
うちの母も読めるんですよ。母親は60いくつで、「今のマンガはチャラチャラしてて読めない」というけど、つげは読めるんですよ。
――つげ義春のマンガについて、どう言ってました?
「馬鹿みたい」と言ってた(笑)。登場人物がみんな馬鹿みたいなことやってるって言ってましたけど。実際、馬鹿なことやってるんですけどね。変な悲哀がありますけど。
――この作品は、マンガでしか味わえない感動があると思いますか。
小説でもできると思いますけど、できている人は少ないですよね。これだけユーモアがあって、悲哀があって、ペーソスがある。そういう作品を描ける作家が少ないんじゃないですか。つげ義春の作品はマンガのなかでも本当に良質なほうだし、文学の作家もそれ相応の人だったら、こういう雰囲気出せるかもしれないですね。
――たとえば?
色川武大とか梅崎春生とか。映画でも、こういうのを表現出来る人はいると思うけど。本当に良い部類の監督に限られますが。
――木山捷平という作家も、独特のユーモアのある小説を描いてますよね。
そういうユーモア感覚のある良い小説の雰囲気が「池袋百点会」にはあります。「純文学の人が書いたエンタメっぽい小説」というか。力説しておきたいのは、つげ義春のユーモア感覚ですよね。つげには普通のマンガだと絶対に描かないシーンがありますね。たとえば同居している女性の足をマッサージするシーンです。男が「一日じゅう立ちづめだから疲れるよね」というと、女が「上のほうも」と言うんです。それで太ももから尻の方へマッサージしてゆくんですが、女に「上はダメよ」と言われてしまうんですね。男は悶々とします。生殺しですね。
つげ義春「池袋百点会」より
――すべての作品に言えることですが、リアリティがありますね。登場人物のセリフとか行動とか。
生活の細部を見逃さないですよね。室内の様子なども細かく描かれているので、読むたびに発見があります。
――「事実の埋め込み方」というか。それがうまいのでしょうか。
うまいです。”共感ネタ”がたくさんありますよね。このマッサージの話もそうですし、主人公が雨の中、わざわざカフェの女に会いに行くシーンとか。「たとえ火の中水の中」「福ちゃん見てよ ずぶぬれ この情熱」とか。僕も昔、原宿の〈クリスティ〉って喫茶店に通いましたから。ウェイトレスのサクラちゃんに会いに。だけどサクラちゃんを友達の漫画家に紹介したら、その男と即つきあってしまわれて…。
――つげ作品には「細部」が散らばっている?
結構ありますね。やはり生活の細部とかに注目しているからだと思います。ふつうのマンガ家だと見逃すような。たとえば「池袋百点会」だと、主人公がカフェにやってくるだけだったら、よくある話じゃないですか。
――普通ですよね。
でも、主人公が雨に濡れちゃったことを、脚を出してアピールしてるところとか、いやらしいでしょう。
つげ義春「池袋百点会」より
――わざわざ、このようなセリフを喋らせている。気が付かずに読んでました。
見せているんですよ、わざと。それで、ちょっとひょうきんぶってるわけですよ。照れてるから。つげ義春は、男のイヤなところを見てますよね。こういうこと、身に覚えがある男性読者は多いと思いますよ。 つげ義春を初めて読む場合、後期作品の「池袋百点会」なんか読みやすいと思うんですよね。「沼」とかも、ちょっと難しいじゃないですか。「海辺の叙景」にしても”死のメタファー”がすごいわけです。主人公の男の顔が真っ青でしょ。「寒いの、あがりましょう」って、明らかに顔色悪いのに、雨の中、海で泳いでみせる。冷たいのに。
――自殺にも等しい行動ですね。
自殺的なところがあるんですよ。顔がしんどいんですよね。最後、男の顔が黒塗り(シルエット)になってしまうわけですね。具体的なことは描いてないんですけど、明らかにヤバイんですね。唇が真っ青。で、その前にカモメが描かれるんですけど、なんか暗い感じで。もっと前のページでは死んで干されたイカや、死ぬ魚が描かれてますね。
つげ義春「海辺の叙景」より
――釣り師が釣り上げた魚が、崖から岩場に落ちてしまうんですね。
そう。ここで魚が死んでますね。
――本当だ。死のメタファーみたいなのが…。
すごく多い。
つげ義春「隣りの女」より
――では、つげ義春の描く“旅もの”はどうですか? 「ほんやら洞のべんさん」(スペクテイター41号に再録)とか。
もちろん良いと思うけど、「池袋百点会」のほうが、わかりやすいと思いますね。「無能の人」とか。こういう男女の微妙な関係性を細かく書いた男性の作家って、これまでそんなにいなかったと思うんですよね。「海辺の叙景」のあとで安部慎一とか出現しますけど。だからつげ義春が今の人に響くとしたら、恋愛的なところかなって気がしたんですね。つげは当時としては結構、性愛を恥ずかしがらずに描くんで。このインタビューで書けないような性描写が、つげ作品には結構描かれていますよ。それも性器の露骨な描写が描かれているのではなく、男女の関係性や性愛の描写が妙に生々しいんです。リアリティがある。そのあたりも若い読者への”共感ポイント”になっていると思いますよ。
――普通、描かないようなところをきちんと描く。
そうですね。あと「隣りの女」といって、田舎に行ってヤミ米の買い出しする作品とかも素晴らしいですね。
――作者の経験も作品に埋め込んでるんでしょうね。
そうでしょうね。立ち小便の場面をデカいコマで描けるというのは、すごいですよ。笑いのセンス抜群ですね。主人公の「豚もいるよ」とかってセリフ、ちょっと書けないでしょう。だって豚は物語の本筋と、関係ないですから。
つげ義春「隣りの女」より
――つげ作品におけるユーモアは重要であると。
つげ義春で強調したいところは色々あるけど、やっぱりユーモアは僕のなかではトップですね。シモネタとユーモアが重要。
――「ミヨちゃん、元気でやってるか」「お尻さわらないでよ」などというシーンもありますね。
ここでミヨちゃんがあまり男に反応してないところが良いですね。最近のマンガ家だと、このシーンは決まって顔のアップになりますから。
――何も考えてないで自動的に描いてしまうんでしょうね。
お尻さわられたら、きゃ! って顔を描いたりするんですよ。このコマだけで、このおっさんが、いかにも日頃から尻を触ってるのがわかるじゃないですか。そういう表現が、やはり素晴らしいですね。たったこれだけの描写で二人の関係性が浮き上がってくるんです。このマンガのコマに直接描かれていないところにも、登場人物の日常や人生があると感じられます。
――つげ義春の作品は、複数の版元から色々出版されているのですが、川勝さんはどのあたりの本を推薦しますか。
若い読者には、新潮文庫の『無能の人・日の戯れ』が一番良いと思います。Kindle版もあるし。この頃のほうが読んでいてわかりやすいと思う。みんな最初に「ねじ式」や「紅い花」を読むから、途中でコケるような気がする。絵柄も古いし、読んで「難しい」となるんじゃないですか。「ねじ式」などは、発表された時代特有の勢いもあるんですけど、今の読者が読んでキツイんじゃないかと思いますよね。どこが良いのか、わからないと思う。僕は中3のとき、山本直樹とか松本大洋の実験的なマンガを、すでに読んでいたので、つげ義春のマンガって当時はそんなに衝撃を感じなかったです。後期の作品から遡って読むことをおすすめしますね。わかりやすい気がします。
PROFILE
特集:つげ義春 探し旅
私小説の手法をマンガ表現に取り入れ、唯一無二の名作を世に送り出してきた稀代の天才漫画家・つげ義春。作家本人へのインタビューや知人関係者への取材、論考などを混じえながら創作の根源に迫った「つげ義春」特集の決定版。
41号 CONTENTS
◆「つげ義春 インタビュー 「貧乏しても、気楽に生きたい」つげ義春氏の近況」取材構成・浅川満寛
◆秘蔵史料 つげ義春の漫画スケッチ
◆漫画再録「おばけ煙突」「ほんやら洞のべんさん」「退屈な部屋」
◆「劇画の新たな展開 つげ義春の登場」構成・文 浅川満寛
◆「つげ義春の幼年時代」作画・河井克夫
◆「つげと僕が二〇代だった頃 遠藤政治氏に聞く」取材・構成 浅川満寛
◆「名作の読解法ーー「ねじ式」を解剖する」対談構成・藤本和也・足立守正
◆「つげ義春の「創作術」について」文 高野慎三
◆「いきあたりばったりの旅 正津勉、つげ義春を語る」聞き手・編集部
◆「日常系について」文・ばるぼら
◆「川崎長太郎のリアリズムとつげ義春のリアリズム」文・坪内祐三
◆「あの頃の、つげ義春とぼく」文・山口芳則
◆「つげ義春氏との想い出」文・菅野 修
つげ義春 略歴
1937(昭和12)年、東京都葛飾区生まれ。小学校卒業と同時に兄の勤め先であるメッキ工場へ見習工として就職。16 歳の頃から漫画を描きはじめ、65 年から漫画雑誌『ガロ』で作品を発表。代表作に「紅い花」(67 年)、「ねじ式」(68 年)、「ゲンセンカン主人」(68年)、「無能の人」(85 年)など。
スペクテイター 41号
発売/2018年2月20日
1967年生まれ。エディトリアル・デパートメント代表。大学卒業後2年間の会社勤務を経て、学生時代から制作に関わっていたカルチャー・マガジン『Bar-f-Out!』の専属スタッフ。1999年、『スペクテイター』を創刊。2000年、新会社を設立、同誌の編集・発行人となる。2011年から活動の拠点を長野市へ移し、出版編集活動を継続中。