毎号、ゲストの方にお友だちを紹介いただき、注目アーティストを数珠つなぎにしていく本企画。第11弾となる今号は、小林うてなさんの紹介で蓮沼執太さんが登場。米国のインディーズレーベルよりデビューアルバムを発表して以来、精力的に活動を続け、2010年には蓮沼執太フィルを結成。映画音楽やアート作品とのコラボなど、さまざまに活動されています。そんな蓮沼さんの天邪鬼な性格と、チャレンジ精神がよくわかるインタビュー。とくとご覧あれ!
学生時代もバンドは組んでないし、演奏はやってない。聴くこと専門でした。
??小林うてなさんからご紹介いただきまして。今日はよろしくお願いします。まずは、うてなさんとのつながりについてお聞かせください。
蓮沼 蓮沼執太フィルでスティールパンを担当してもらっています。2010年くらいからかな、スティールパン奏者を探しているときに、ユーフォニアム奏者のゴンドウトモヒコさんのスタジオで会ったんです。
??最初の印象はどうでしたか?
蓮沼 小柄な子だなぁ?って(笑)。でも、雰囲気があって、オリジナリティを感じましたね。フィルのメンバーは最年長が40代後半なので、彼女は最年少。僕よりも5?6歳若いから、妹よりももう少し下の世代っていうイメージです。
??その後、音楽仲間として付き合うようになられて、彼女の活動をどうご覧になられていますか?
蓮沼 上から目線で申し訳ないですけど、スティールパンの演奏がここ最近で物凄く上手くなった気がしますね。上手というか彼女らしい音になっていることに驚きました。D.A.Nのサポートなど演奏の数が増えていたりするのかもしれないですけど、表現する引き出しが広がって、深くもなって。そういう変化が見られるのは嬉しいですね。スティールパンは、どうしてもトラディショナルだったりトライバルな方向になりがちですけど、彼女は個性的で独自なスタンスを持っていますよね。
??ここからは蓮沼さんのお話をお伺いしたいのですが。音楽を始めたきっかけは、幼少期のエレクトーンと聞きましたが。
蓮沼 よく言われるんですけど、全然やってないんですよ! 幼稚園のときに親のすすめで音楽教室に通わされていた程度で。
??でも、小学校ではピアノ担当だったと何かのインタビューで読んだのですが、その1?2年で弾けるようになるものですか。
蓮沼 小学校の合唱会でピアノを弾く男子っていう位置でした(笑)祖父母が鍵盤を買ってくれて家にあったんです。それをとても暇なときに弾いていたんでしょうね。学生時代にバンドも組んでないですし。いつでも音楽を聴く専門でした。
??リスナーとしての変遷はどんな感じだったのでしょうか。
蓮沼 いま考えるととても生意気なのですが、小学生の頃から邦楽が大嫌いだったんです。そんなこともあって、洋楽を聴いていたらヒップホップが好きになって。ヒップホップが好きになると、ソウルとかファンクなどの元ネタを聴くようになって。あと、スケートボードのヴィデオが好きで、ハードコアの曲やヒップホップがよく使われているんですね。なので、ハードコアパンクもかっこいいなと思って聴いて。さらに、そういうハードコアの音楽はミュージシャンが大人になるとジャズやポストロックと呼ばれるような音楽を始めていて、そこから更にルーツを掘っていくと現代音楽にもぶつかる。一方で、例えばヒップホップで言うと、アフリカ・バンバータを経由してクラフト・ワークに行き、最終的にヨーロッパの現代音楽に行き着くんですよ。そこが合流地点となって、ノイズやアンビエントなどの実験音楽などに広がっていく。でも、ヒップホップに関しては日本のラッパーも聴いていました。さんぴんキャンプが中学生くらいだったでしょうか。
??なるほど、すごくわかりやすかったです。でも、お兄さんがいたわけでもないのに、そういった情報はどこから仕入れていたんですか?
蓮沼 近所のお兄ちゃんみたいな人に聴かせてもらったり。あとはタワレコによく行っていましたね。今みたいにネットもないので、ひたすらCDやレコードを視聴していました。ディスクガイドはあまり好きではなかったです。知らない音楽を自分で探す、っていうことが好きだったんだと思います。
蓮沼執太 & U-zhaan - A Kind of Love Song feat. Devendra Banhart (Official Video)
デイヴィッド・ホックニーの「画家は労働者だ」という姿勢にシンパシーを感じる
??大学の頃は?
蓮沼 あまり勉強していませんでした。プラプラしていましたが、大学生の頃にDMR(渋谷のレコード屋)でアルバイトしていた時期がありました。学校も行かず、ひたすらレコード屋の先輩と音楽を聴いて遊んでたり。DMRではアブストラクトな音楽や欧米のアンダーグランドのヒップホップを少し担当したりしていました。
??だから、呂布さんなど、日本のラッパーとかとも一緒にやられているんですね。
蓮沼 そうですね!ヒップホップは今でも大好きなので、全然抵抗ありませんよ。
??大学時代、アメリカのインディーズレーベルから作品を発表するきっかけは何だったのでしょう。
蓮沼 当時、マイスペースというサイトがあって。ミュージシャンが自分で曲を上げれるものなんですけど。そこに曲をアップしていたら声をかけてくれてデモCDをやり取りしたりしました。大学4年生だったので、漠然と「就職したくないなぁ」という子供のような不純な動機ですね。でも、僕に出来るのは音楽制作だろう、と最初に決めていた感じはありました。
??ミュージシャンとして食べていくことに不安はなかったですか?
蓮沼 不安といえば不安だとは思いますけど、あまり食う食えないっていうの物差しでは考えなかったですね。なんででしょうね?いまも不思議です。
??その後は、毎年のようにアルバムを出されて、映画のサウンドトラックやアート作品とのコラボレーションもやってと多忙ですよね。「よく働くなぁ」というイメージがあるのですが。
蓮沼 ちょうど今朝、写真雑誌の『IMA』に依頼されていた、画家のデイヴィッド・ホックニーについての文章を書いていたんです。彼は「画家は労働者だから、朝から晩まで作るのが仕事なんだ。セレブリティのような贅沢な時間なんかないんだよ」と言っていて。その考え方には、共感しますね。とくに彼の熱心なファンというわけではないんですけど、彼はキャンバスに絵を描くだけでなく、最近はiPadで描いたものをプリントして作品にしたり、写真をコラージュして風景を作るときも、静止画だけでなく動画もコラージュしてビデオ・インスタレーションにしたりする。現在79歳なのに、使っている道具や手法が多岐に渡っていて、テクノロジーもどんどん使う。試していく感じですよね。それでいて、「画家は労働者だ」という姿勢にすごくシンパシーを感じるんです。だから、僕も常々何か作っている状態になっています。
??なるほど。
蓮沼 だから、面白いものがあればどんどんアプローチしていきたいし、そのすべてが成功するわけではないし、失敗も多い。そうやってトライ&エラーを繰り返している感じはありますね。今年は、年明けから森山未來とエラ・ホチルドとのダンス公演の舞台音楽をやっていて、その後に文化交流使いとして北京へ行き個展とパフォーマンスをして、いまは映画の音楽を作っています…。これらのコラボレーションを中心とした制作は、自分にない要素を引き出してもらえたりもするから。「いろんなことやっていますね」って言われますが、ただ休まずに作品を作っているというのが素直なところですね。
??でも、多忙で締め切りに追われたりすると、好きな音楽が仕事になって嫌になったりしませんか?
蓮沼 僕の感覚でいうと、いわゆる仕事という感覚にはなっていないんです。締め切りに追われている認識もなく、すべてが僕の音楽なんです。もちろんデッドラインがあることで始めて音楽制作の終わりが作られる、ということもあります。
自由にやり続けることで、個性が生まれてくると思っている
??それは素敵なことですね。ジャンル的な文脈でいくと、環境音楽からエレクトロニカ、そこから蓮沼執太フィルを始めてポップになっていきましたよね。
蓮沼 イメージがひとつに定まっていたほうが、本来はわかりやすいですよね。僕の場合、いろんなことをやっているように見えるので、「名前だけは見たことあるなぁ」とか「これは知っているけど、これも彼のなの?」みたいな印象もあると思います…。その場合、良い面と悪い面があって、悪い面はなかなか周知されないところ。でも、本来はもっと自由であった方が良いな、と思います。ひとつのスタイルを作り上げて、それを追求することも活動のメソッドのひとつだと思いますが、僕は自由にやり続けることで、個性が生まれてくると思っています。だから、時間をかけて自分らしい制作を続けていくしかないですね。
??この連載では皆さんに聞いているのですが、音楽を作るにあたって、まず何から発想されますか? 浮かんだ風景を音にする方や、楽譜が浮かぶ方など、いろいろな答えが出てくるのですが。
蓮沼 音楽が作られる最初のステップってことですよね? 僕はそこをひとつに限定しないように、いろんな方向から常にやっているんです。エアコンのファンが回っている音を録って電子音的に変調させて、メロディのようなものを作ったり。何かを叩いたり、ハミングのように歌ったりとか、なんでもいいんですけどね。それは何故かというと、鍵盤を使ったりして音楽を作曲していく方法は、とても音楽が整理されていて、どこか人間的すぎるように思うんです。そういう仕組みを使えば、自然とみんながきれいだと感じるようなハーモニーが作れたりする。でも、僕はその合理性の裏にある、もっと雑味が含まれた音楽になる前の「音」が好きなので、そこを大切にしたいと思っています。コンピューターを使えば誰でもレコーディングできる時代ですけど、そのテクノロジーもこの20?30年の出来事。そう考えると、今後20?30年で、音楽の作り方はまだまだ変わるのだろうと思いますよね。ホックニーじゃないですけど、僕は20?30年後も面白いという方法があるならそれを使って作りたいですね。そのためにも、音楽になる最初の作り方は規定せずに、どんどん自由なアイデアでやっていきたいです。
??では、何かしら膨らました途中の段階でゴールが見えてくるんですね。
蓮沼 作っている途中っていうのは粘土をこねている状態に近くて、無我夢中で作業しているので、いつの間にか音の形が出来上がっていたりする時もあります。もちろん最初から最後まで鍵盤を使って、音楽を書くときもありますよ。僕が鍵盤を使うときは、強いメロディやフレーズを作りたいと思っているときが多い気がします。
??ということは、「こんなものが作りたい」と思って作ることもあるわけですね。
蓮沼 ありますあります。ただ、同じやり方を何回もやっていると飽きてしまうので。自分が飽きてしまったときが一番怖いですね。そのならないためにも、常に自分の制作プロセスには驚きや発見みたいなものを起こすようにしているんです。
まず、ミュージシャンはルックスがダサいと思ってたんです…。(すみません!)
??日常生活もいろいろと変えるのがお好きですか?
蓮沼 そうですね。こういう仕事なので、あまりルーティンな日々というのは少ない気がします。
??ファッションについても伺いたいのですが。親に買ってもらうにせよ、自ら洋服を選ぶようになったのはいつ頃からでしたか?
蓮沼 それは小学校くらいかな。でも、うちの親はTシャツを着せてくれなかったので、その名残は今もあるかも。昔の写真を見ても、今日みたいにセーターにシャツみたいな感じが多いですね。もちろん、中学や高校ではTシャツを着ていましたけど、バンドTは好きじゃなかったです。
??音楽好きだと、お気に入りのミュージシャンに影響される時期があったと思いますが。
蓮沼 普通はそうですよね。でも、「影響されてたまるか」っていう今思うと滑稽な思いが強くて。他人に興味がないっていう意味ではなくて、強烈な天邪鬼なんでしょうね。これも失礼な話ですけど、生意気だったんです。電車で重いギターを背負っていたりするミュージシャン像って、何処かダサいと思っていたくらいなんで…。本当に申し訳ないですよね。今はそんなこと一切思いませんよ。
??あぁ…、では逆に何をクールだと思われていたんですか?
蓮沼 ファッションデザイナーはクールだなぁって思っていました。
"ZERO CONCERTO" 蓮沼執太 活動10周年記念公演『蓮沼X執太』at WWWX 2016.11.09
直感で判断できる人はかっこいいと思っています。
??ファッションに限らず、インテリアとか、あらゆるものに対してこだわりは強いほうですよね?
蓮沼 絶対に強いと思うんですが…。強いんだけど「強くない」って言ってそう(笑)。選んでるんだけど「選んでない」って言いたいんでしょうね。例えば、スケートボードにしても、西海岸系のファッションではなくて、格好から入るというよりも「トリックが上手い人は普段着の人が多いなぁ」みたいな、そういう感じ。格好から入るのがどうしても嫌みたいです。
??すごく嫌ですね?(笑)
蓮沼 何のジャンルでも見た目は普通。そういう佇まいが僕は好きですね。
??では、蓮沼さんの根底に流れている「かっこいいもの」って何でしょうか。
蓮沼 インタビューの短い時間ですけど、逆に何か見えましたか?
??いろいろ試して、吸収して、吐き出してを繰り返されていることはわかったんですけど。そこに何か「核」になるものがあると思うんです。その核というか、「美学」がどこにあるんだろうって。
蓮沼 う?ん、なんだろう…答えられない。ひとつ言えるのは、「直感で物事を判断できるってすごいことだ」と思っていて。直感って、その場で決めているように思えるけど、実は自分の歴史や経験とかがずらっと後ろにあって。いろんな情報処理されたうえで、「こっち!」と決めているんですよね。そこは大切にしていて、直感で判断できる人はかっこいいと思っています。
??その直感すらマンネリ化しないように、新しいものを取り入れているのかもしれないですね。手グセとか嫌いそうですし。
蓮沼 手グセは避けています。 でも、癖というのは意識しないでも自然に出ちゃうというか、自分のどこかしらには宿っちゃうんですけどね。
蓮沼執太『メロディーズ』MV「RAW TOWN」
アートや音楽、その刺激的なものが一番あるのがNY
??3月からNYに引っ越されると聞きましたが、どれくらい行かれる予定ですか?
蓮沼 2017年の後半くらいは向こうをベースに活動する予定です。
??NYはどこらへんが気に入ったのですか?
蓮沼 まずは街が小さいというところ。それと、僕が好きなアートや音楽、その刺激的なものが一番あるのもNYです。映画などもいろんなジャンルが観れます。街が小さいから場所の移動が簡単に出来るので、いわゆるハシゴもできます。東京はそれに比べると大きい都市ですよね。六本木で映画を観た後に、上野の美術館に行こうとは考え難いですよね。
??確かに、東京は広すぎますよね。
蓮沼 観たり聴いたりするのが大好きなので、そういう経験が自由にできる街だなって。物価が上がって、若いアーティストは住めなくなっているのが現状ですけど、築き上げてきた文脈や歴史に強いものを感じます。やっぱり刺激的だし、いろいろと触れていたいです。あと、地理的にヨーロッパにも行きやすいから便利ですよね。集中して作品を作ることにも適していると思う。
??年内、すでにいろいろなプロジェクトがあると思いますが、新しくやってみたいことはありますか?
蓮沼 この記事が出る頃には発売されていますが、タブラ奏者・U-zhaan(ユザーン)とのコラボレーション・アルバム『2 Tone』がリリースされました。ゲストに、坂本龍一さん、アート・リンゼイさん、デヴェンドラ・バンハートさんが参加していただいたアルバムです。ここ数年の僕のアルバムは、まずはコンセプトが最初にあって作り始めることが多かったんですけど、久しぶりに純粋に、自然に自分から出てくる音楽を作ることがしたいです。
??NYに行かれて環境も変わりますし、本当に楽しみですね。今日はありがとうございました!
蓮沼執太|Shuta Hasunuma
音楽家
1983年、東京都生まれ。音楽作品のリリース、蓮沼執太フィルを組織して国内外でのコンサート公演をはじめ、映画、演劇、ダンス、CM楽曲、音楽プロデュースなど、多数の音楽制作をする。タブラ奏者・ユザーンとのコラボレーション・アルバム『2 Tone』(commmons 2017)はゲストに坂本龍一、アート・リンゼイ、デヴェンドラ・バンハートが参加している。近年では、作曲という手法を応用し物質的な表現を用いて、映像、サウンド、立体、インスタレーションを発表し、個展形式での展覧会やプロジェクトを活発に行っている。自ら企画・構成をするコンサートシリーズ『ミュージック・トゥデイ』を主催する。主な個展に『作曲的|compositions : rhythm』(スパイラルガーデン 2016)など。文化庁・東アジア文化交流使として2017年1月中国・北京にて個展とパフォーマンスを開催し、3月からアメリカ・ニューヨークに滞在。
shutahasunuma.com