たまには旅の話でも  ?ゲスト:フォトグラファー・石塚元太良さん? たまには旅の話でも  ?ゲスト:フォトグラファー・石塚元太良さん?

たまには旅の話でも
?ゲスト:フォトグラファー・石塚元太良さん?

トラベルカルチャー雑誌 『TRANSIT (トランジット)』の加藤編集長と、林副編集長による人気連載企画。今回は、アラスカのパイプラインを追いかけるように撮影したシリーズ『Pipeline Alaska』で知られるフォトグラファーの石塚元太良さんが登場。写真家を志すきっかけから、アラスカの氷河の話までざっくばらんに語っていただきました。

photo

カメラを持つと異界への入り口を感知するスイッチが入る(石塚)

加藤 僕が初めてお会いしたときにはすでに写真家でしたけど、まずはそうなる前の旅の話から聞ければなと思っていて。高校生の頃とか、まだ海外に行けない時期とかは頭の中でどう旅してきたんですか。

石塚 高校を卒業してすぐから、写真とかカメラを使うような仕事がしたいなぁと思っていましたね。今でも初めて「写真を撮った瞬間」はよく覚えてる。姉貴の友だちで写真をやっている人がいて、彼女は写真の専門学校に通ってたのかな。あるとき、その友だちと俺の友だちとみんなで飲んでいて、朝方に仲間の家でみんな雑魚寝をしていたんですよ。そのとき、なんだか僕だけ寝れなくて、みんなは酒に酔って寝てしまって、僕の目の前にその写真の専門学校に通っていた友達の一眼レフがあったんですね。その一眼レフのカメラがすごいカッコいいように思えて、勝手に内緒で持ち出して、当時晴海埠頭にあったスクラップ工場に不法侵入して一人でパシャパシャと撮影のまねごとのようなことをしたんだよね。そのときに、今でいうアーティストマインドみたいなトリップした感じになったのかな。カメラというなんとも素敵な道具を持って、誰もいないスクラップ工場にいること自体にゾクゾクした。あの体験は、今でもそれなりにビビッとだし、僕の写真撮影の原体験ですね。あの瞬間は、こんな道具を使った仕事ができたらいいなぁと思った瞬間だね。

加藤 その頃から放浪癖が(笑)。

石塚 地元は晴海近くの埋立地だったから、埋め立て地って潮が引いているときにしか行けない回廊みたいのがあって。自分のカメラを買ってから、そういう「行っちゃ行けない場所に」行きはじめた自分がいた。その感覚がいまだに続いているっていうか、作品づくりもそうだし、アラスカの荒野にひどく惹かれるのもそうだし、カメラを持つと、異界への入り口を感知するスイッチが入るというのはあるね。

加藤 カメラがなければ行かなかった?

石塚 行かなかったかなぁ。子どもの頃なら遊びとしてするけど、大人になるとそういうスイッチが閉じていくでしょ。でも、カメラを持つとその感覚が戻ってくる。それが旅につながっていった感じがするね。

加藤 それは何歳くらいだったの?

石塚 18、19歳。

加藤 普通、その頃の興味は女の子にいきがちだよね……。その前に旅はしてなかったのですか?

石塚 高校の卒業式から3日後にひとりで沖縄に行って、そこから半年いたのが一番長い旅。国際通りに那覇高校っていうのがあって、その向かいの仕出し屋でずっと皿洗いしてましたね。高校時代にもバイトをしてたから貯金が50万円くらいあったんだけど。でも、沖縄でチャリンコを2度も盗まれたり、ストレスとかもあって、さらに家賃も高かったから貯金を全部使って帰ってきちゃった。当時は沖縄から台湾行きの船とかあったから、本当はそれに乗ってさらに遠くまで行こうとしてたんだけどね。

加藤 滞在中はずっと沖縄に?

石塚 そう、ずっと那覇。週1回の休みに徒歩旅行はしてたけど。でも、それ以来沖縄とはまったく縁がなくて。

photo

一番効率良くサボれる場所が銀座の名画座だった(石塚)

加藤 映画をいっぱい観てたのはいつですか?

石塚 映画はもう少し前。

加藤 写真より先に映画のほうが好きだったんだ。

石塚 そう。

加藤 映画の仕事をしたいとかは思わなかったのですか?

石塚 多分、写真とかカメラに惹かれたのは、間違いなく映画少年だったのがまずあって、逃避といえば沖縄もそうだけど、すでに高校3年生くらいから学校に行かなくなってて。その頃、職務質問とかされることもなく、一番効率良くサボれる場所が銀座の名画座だったの。名画座では、数百円で3本立てとかをやってるから、1時間目に潜り込めばそこから古今東西の古い映画を観ながら、6時間くらい潰せて。その後、部活にだけは行くような生活。

加藤 あははは。

石塚 他にも、水道橋、飯田橋、御茶ノ水、池袋とかいっぱい名画座があるんだけど、だいたいどこの名画座ももぎりのスタッフが適当だから、上映して30分くらいするといなくなるんですよ。そうすると0円でずっと暗闇のなかにいられる。それで普通の高校生が観ないような映画を観て、時代的なトリップと空間的なトリップをずっとしてた。だから、女の子の趣味も司葉子とか昭和のスターだったり(笑)

加藤 だからマニアックな映画監督とかに詳しいんだ。

石塚 そうそう。初めは潜伏がメインで映画館に通い始めたんだけれど、いろんな映画を観ていると、なんだかとんでもない瞬間というのが結構あって、「うわぁ、この監督やべぇ。この俳優、女優さん渋いなぁ」みたいなことが勿論あって。だから、18歳くらいのときは今考えると文化的には異様にマセてたのかもしれない。小津安二郎とかに心酔したりしていて。周りは受験勉強に忙しくしていたのに。その分社会に対しては、すごくハスに構えてたっていうか。

加藤 大学に行かなきゃとかいう周囲のプレッシャーは感じなかったのですか?

石塚 貯金を使い果たして沖縄から帰ってきたときには、さすがにマズイと思ったよね。やっぱり大学にも行った方がいいのではと、予備校の自習室にいこうとはするんだけれど、予備校の近くにある御茶ノ水のアテネ・フランセで、「今、アラン・レネやってんのか?」みたいな感じで。やっぱりそっちに行っちゃってましたね。

加藤 それでも一応大学には行って、世界を旅するようになったのは?

石塚 辛うじて入った大学が二部制の夜間だったから、昼間にビルの窓拭き仕事をして在学中から手取りで20万円くらいもらってた。20歳で毎月20万円ってすごいお金持ちでしょ? それで1週間くらいの海外旅行に行き始めて。初めて行った海外は、1996年の香港がイギリスから中国に返される瞬間。でも、その時は8ミリとかムービーを回しているほうが多かったかな。

加藤 そうなんだ。

photo

あの氷河を見て、10年以上患うことになる一目惚れの恋みたいになった(石塚)

石塚 それから早い段階で、写真で賞を獲り 始めて、23歳のときにエプソンの『カラーイメージングコンテスト』で大賞をもらって。当時は旅から帰ってくると所持金3000円とかなんだけど、いきなり賞金300万円が振り込まれて人生が狂っちゃった(笑)。その賞金で、地球一周のチケットを2枚買って、最初にアラスカ→バンクーバー→ニューヨーク→ドイツ→エチオピア→チベットからアジア周って帰る西回りをして。次に東回りで一周して帰ってきて、今度は地球を2周しながら撮影した写真で、ビジュアルアーツという写真の専門学校が主催していた『ビジュアルアーツフォトアワード』っていう写真集が出せる賞を獲って。加藤さんの編集部にいた女性が見てくれた写真集『worldwidewarp』(ビジュアルアーツ刊 2002年)はそれだと思う。

加藤 いくつくらい?

石塚 26歳くらいかな。

加藤 そうだね、僕が27、28歳くらいだったから。それですぐスリランカに行ってもらって。

石塚 加藤さん、NEUTRALという雑誌の編集部で初めて会ったときにすごい目つきをしてたよね。

加藤 FAX勝手に捨てられたり、Mac投げられたりとか周囲が敵だらけだったんだよ(笑)。

石塚 それで初めて出会った加藤さんに「今どこ行きたいんですか?」って聞かれて、「スリランカとアラスカ行きたい」って答えたら、いきなり「じゃあ行ってください。チケットとりますから」って。

加藤 水の特集だったから、ハリケーン後のスリランカの復興を見てみたかったんだよ、だから丁度よかった。アラスカは氷河だよね?

石塚 この前、『すばる』という文芸誌にもちょっと書いたけど、あのアラスカでの撮影、本当に大変だったんだよ。「水特集だから氷河撮ってください」って言われて、普通はクルーズ船とかから撮るんだけど編集部には予算がなくて、それでカヤックで撮りに行こうって話になって。今でこそ自分のカヤックも持ってるし、それなりに漕げるんだけど、あのときの十数年前のアラスカが、シーカヤック初めての挑戦だったの。今考えると、現地で借りたシーカヤックが、全然自分の身体に合ってなくて、しかも普通は両方のパドルで漕ぐんだけど、何故か一寸法師みたいのしか借りれなくて(笑)。アレ多分、現地の人におちょくられてたのかな?

加藤 あははは。

石塚 そこから往復で10kmくらいのシュープベイってところに行ったんだけど、たいした距離じゃないのにすっごい苦労して、泡を吹くぐらいキツくて、途中から生命の危機を感じ始めて。でも、命からがら辿り着いたシュープ湾で見たシュープ氷河が体験として忘れられなかった。しかもそこで撮影した氷河の写真が、目の前がパーッと明るくなるくらい出来が良くて、そこから10年以上患うことになる一目惚れの恋みたいになった。

加藤 「旅をする」という対象から、「氷河」っていう対象物を見つけたのがそこからなんだ。

石塚 うん、あの旅からだよね。テーマも含めて、深くまでいける何かに出会った。そんな大切なことが加藤さんの仕事で見つけられたし、お世話になってる編集者のひとりですよ。

加藤 最初は「望遠を使わずに船で氷河に寄って撮りたい」って言ってたよね。望遠レンズの氷河写真はいくらでもあるけど「寄って撮る」って言うし、「4×5のカメラ」だって言うから最初から全写真裁ち落としで使おうと決めていて。でも、今みたいにデジタルで現地から送られてくるわけじゃないし、帰ってきて現像するまでわからない。しかも、10枚くらいしか撮ってこなかったよね。

石塚 うん、10枚しか撮ってなかった。

加藤 でも、体験が濃いから原稿も面白いんですよ。有名スポットを2?3日で周ったような文章じゃない。あと、氷河っていうロマンティックな部分というか、行為自体はオトコ臭いんだけどそれを感じさせない写真なのが好きです。

photo

でもすぐ染まっちゃうんですよね、東京に(加藤)

??最近は、写真を撮りに行く以外の旅はしてないですか?

石塚 他の旅行は全然してないな?、そう考えるとすごく貧しいかも。写真以外の旅なんて最近全然考えられなくなってるよね。余裕があれば、「なんかいい雑貨ないかな」とかいう旅もしてみたい(笑)

加藤 土産なにも買ってこないもんね(笑)。もらったことあるのは、キングサーモンのTシャツくらいですよ。雑貨とか、かわいいもの探すなんて絶対ないでしょ(笑)

ーーそれでもつい買っちゃうものはありますか?

石塚 職業柄テープ類、あとは万能ツールとかそれくらいですね。だから、みやげ物屋には行かないけどハードウェア屋さんには行きますね。『アラスカン・インダストリアル・ハードウェア』っていう、向こうの人が『A.I.H』って呼んでるところがアラスカにはあって。そこは街に戻ってきたときには絶対に行っちゃう。トタンとか脚立とか、欲しいものがいっぱいあるんですよ、持って帰れないけど。

加藤 国内で好きなところはないの?

石塚 高知とか北海道はよく行ってるかな。高知良かったでしょ?

加藤 良かった。人がいいのかなぁ、土地から上がってくるものもいいけど。

石塚 加藤さん、サンティアゴ巡礼から帰ってきた後、すごくいい顔してたよね。

加藤 でもすぐ染まっちゃうんだよね、東京に。

石塚 そう、すぐ染まっちゃう! すげぇ早い!! 今回も2ヶ月のアラスカにいて、心も体もアラスカの荒野仕様になっていたのに、コンビニで「ガリガリくん」のアイス食べたらすぐ戻っちゃったもん(笑)。でもね、僕らは向こう(アラスカの荒野)でなく、こっち(都会)に所属してるから、向こう側は憧れっていうか。

加藤 そうだよね、今後の予定は?

石塚 来年1月にGallery916という場所で、大きな展覧会があるんで、来月はオーストリアに撮影にいきます。それから、来年は、アラスカで100年前に人類が金を掘り当てていた場所を撮影した『GOLDRUSH ALASKA』の展示と出版を春先に予定してます。あとは、今現在『没後20年 特別展 星野道夫の旅』の写真監修のお手伝をさせていだいて、いま全国を巡回中なのでそちらも是非足を運んで欲しいです。

加藤 今日はありがとうございました。

photo

旅に行く際に必ず持っていく、『ボルサリーノ』のフェルトのハット。防水性で、アメリカで売っている強力な防虫スプレーをかけると蚊も寄ってこないのだとか。また、テントの前室に置いていたらリスにツバ部分を食べられたというエピソードも。

photo

左は通称:弁当箱と呼ばれる、『リンホフ』の4×5カメラ。今までで一番よく撮影してきたカメラ。右は『ライカ』のM6 TTL。大判カメラは、頻繁には撮影できないので、細かい撮影は、ライカで。バッグはNYで購入した『フィルソン』のカメラバッグ。

photo

メイン機として使っている8×10。アラスカでもカヌーに収納して持ち運んでいる。いつも修理していた店が閉店してしまい、蛇腹部分の破れはテープで補修している。

photo

会話のなかでも出てきた、『アラスカン・インダストリアル・ハードウェア』で購入したトートバッグ。クッション代わりにサーマレストのマットを切って内装にセットし、8×10のカメラを収納している。

photo

加藤直徳| Naonori Katoh

1975年東京生まれ。編集者。
白夜書房にて世界をフラットに見る旅雑誌『NEUTRAL』を立ち上げ、その後euphoria FACTORYに所属し、トラベルカルチャー誌『TRANSIT』の編集長を務める。そのTRANSIT編集長は33号で若手に託し退任する。最新33号「スイートな旅をしよう?パリ/ロンドン/ミラノ/シチリア」が発売中。
www.transit.ne.jp

photo

石塚元太良 | Gentaro Ishizuka

1977年生まれ、写真家。
10代の頃から世界を旅行し始め、1999年バックパッカー旅行をしながらアフリカを縦断し、アジアを縦断しながら撮影した『Worldwidewonderful』でエプソンカラーイメージングコンテスト大賞。2002年、世界を東回り西回りで2周しながらデジタル画像の位相を撮影した『Worldwidewarp』でヴィジュアルアーツフォトアワード、日本写真家協会新人賞を受賞。2006年、アラスカのパイプラインを追いかけるように撮影したシリーズ『Pipeline Alaska』の展覧会と同名写真集が話題となる。2011年度文化庁在外芸術家派遣。2012年春、アイスランドのSIMレジデンシーに招聘されて、地熱エネルギーを都市へ運ぶパイプラインの撮影制作をおこなう。2013年、パイプラインプロジェクトの代表作『PIPELINE ICELAND/ALASKA』を刊行。また2013年9月にはアイスランドのレイキャビック写真美術館で展覧会を開催。2014年同名写真集で東川写真新人賞受賞。パイプライン、氷河、ゴールドラッシュなどの特定のモチーフで独自のランドスケープを世界中で撮影し続ける彼のスタイルは、コンセプチュアル・ドキュメンタリーとも評されて、ドキュメンタリーとアートの間を横断するように、時事的な話題に対して独自のイメージを提起している。