いま巷を賑わせている若手トラックメーカーを数珠つなぎにしていく人気企画の第4弾! 今回は、LASTorder(ラストオーダー)さんからの紹介で、Primula(プリムラ)さんが登場。「胸キュン」をコンセプトに、ノスタルジックで甘酸っぱいメロディを変則ビートに乗せてお届けする彼は、映像や衣装にも強いこだわりが…。今回はそんなプリムラさんをヴィジュアル面で支えるMasaki Watanabeさんも同席。これを読んだらきっとライブが観たくなる!! はず?
「初めて音楽でドキドキしたのは、TM NETWORKとかtrfとか」(プリムラ)
――LASTorder(ラストオーダー)さんからのご紹介ということで、今日はよろしくお願いします! おふたりのキャラが真逆なので、このつながりに少し戸惑っているんですけど(笑)
プリムラ アハハハ、ですよね。僕も驚いてます。ラストオーダーさんとは、昨年彼が アルバム『Allure』を出したときに、リリースパーティのゲストとして呼んでもらったのが最初なんです。僕はそのちょっと前に音源を聴いていて。繊細で複雑なんだけど、ポップスの世界でも通用するストレートな歌ものが自分内アンセムになっていたんですよ。そんなときにオファーをもらったので嬉しかったですね。
――実際に会って話してみてどうでしたか。
プリムラ 僕としては軽い恋心があったので、いろいろ話したかったんですけど…、最初はつれないというか。だから、レーベルからの推薦なのかと思っていたんです。後で本人からのオファーだと知って、言葉には出さないけど一応は気になってくれているんだなって。今回の件もそうですし、ラストオーダーさんはシャイな方なんで。
――では、プリムラさんのどこを気に入っているのかは、わからずじまいなんですね。
プリムラ MVを観て気に入ってくれたみたいですね。映像もそうなんですけど、ヴィジュアル的な方法論というか、今回もそこで引っかかったみたいで。これまでのSeihoさん、Metomeさんとか、この連載の流れとは違う感じになっちゃってますけど。
――まったくそんなことはないですよ。ちなみに、これまでのメンバーは皆さんお知り合いですか。
プリムラ そうですね。イベントのときに1回か2回喋ったことがある程度ですけど。僕はあんまりシーンにつながりがないので(笑)
――最初にプロフィール的なことをお聞きしたいんですけど、音楽はいつくらいから始められたんですか。
プリムラ 子どもの頃に一応ピアノは習っていたんですけど、サボってばかりで結局は辞めちゃって。なので、今から考えると音楽的な影響っていうのは『ターミネーター1』とか『ブレードランナー』とか、ああいう80年代のSF映画で使われてたシンセサイザーの音なんですよね。父親が毎週VHSをレンタルしてたので、知らず知らずに入り込んでいたというか。後で映画を観たら「あれっ? 自分が好きで使う音と似てるな」ってことはよくあって。まぁ、それは無意識の時代というか。その後、初めて音楽でドキドキしたのは、TM NETWORKとかtrfとか小室サウンドなんですよね。あとはヤンキーのクルマから流れてくるジュリアナのコンピCDとか。
――ちなみに、何年生まれですか。
プリムラ 僕は1981年で、ワタナベがひとつ下の1982年です。
――あっ、ふたりともオーバー30なんですね。そして、音を作り始めたのはいつくらいからですか。
プリムラ 中学2年生くらい。その頃、コンピューターで音楽がつくれると知って、ピアノは挫折したけどパソコンの力を借りればつくれるんじゃないかって。親に頼んでコンピューターとキーボードを買ってもらったんです。でも、どうすればいいのか全然わからなくて。そこから1年くらい挫折したんですけど、90年代後半に『ボーン・スリッピー』とか、テクノやアシッドハウスが出てきて。これなら感覚とセンスあれば自分でもできるかもしれないと。中3の終わりから高校にかけて友だちとユニット組んだり、機材買ったりしていきましたね。
――試行錯誤しながらの制作がスタートするわけですね。
プリムラ そうですね。でも、なかなかカタチにならないというか。音楽理論もなかったですし。
――ラストオーダーくんの世代は、最初から音をつくったらすぐにネットへアップするみたいなスタイルですけど。その感覚とはちょっと違う世代ですよね。
プリムラ いまは同年代でコンピューターミュージックをやっている人をすぐ探せるじゃないですか。僕らのときは全然わからなかったので、「もしかしたら、俺と友だちくらいしかいないんじゃないか」くらいな気分で。なので、制作も来月やればいいかなとか。いまは人の活動も目に見えるし、早くつくらなきゃっていうのがあると思うんですけど。昔はのんびりやってましたね。
――その後、大学に進まれて。その頃はどんな音になっていたんですか。
プリムラ 高校でUKのハードテクノみたいな、クリスチャン・ヴォーゲルとか、ニール・ランドストラムとか、サイ・ベグとか。そういうちょっと変態的なレコードを追いかけながら、大学でもそのまま友だちとトラックをつくっていて。一方で、中学の頃からアンビエントっぽいのも好きだったんですよね。そうこうするうちに、だんだんと周りの友だちもテクノを作らなくなって、就職したりして。どうしようかなってときに東京を離れたんです。
「自分らしい音楽をつくれるようになったのは滋賀に移ってからなんです」(プリムラ)
――卒業して釣り具メーカーに入られたんですよね。
プリムラ そうなんですよ。横浜の会社だったんですけど、入社1年目でいきなり大阪の営業所に配属されて。でも、全然向いてなくて1年足らずでばっくれましたね。
――意外に早いですね(笑)
プリムラ だからすぐに戻るのが恥ずかしかったので、琵琶湖でブラックバスと琵琶湖大ナマズを釣ってから帰ろうと。釣りが大好きなんでそのまま滋賀県に移住して。
――えっ、移住までしたんですね。
プリムラ 自らの強い思いで人生を決めた初めての体験でした。
――滋賀県では就職されたんですか。
プリムラ 出社と退社の時間をきっちりさせたかったので、派遣社員として働いていました。残った時間で、自分の好きな釣りと音楽をやりながら生活したいなって。
――釣りをしながら音楽制作も。
プリムラ 自分らしい音楽をつくれるようになったのは滋賀に移ってからなんですよ。その頃に、いまのキラキラした感じと、でっかいビートを組み合わせたものができて。
――ひとりの作業が多いデスクトップミュージックは、自分の環境とか心境がストレートに表れる音楽だと思うんです。プリムラさんにとって、人生の大きな決断をした感覚とか、のんびりした自然環境とか、当時の気分がサウンド面に与えた影響は大きかったですか?
プリムラ 大きかったですね。東京の音楽に触れる機会もないし、パーティにも誘われないし、自然と自分のやりたいとこだけっていう。僕は青春時代から青春が好きで、そういうほろ苦さと胸キュンというのは、どうしても捨てきれないポイントなんです。それを素直に出していきたいなと思ったんですよね。その頃にワタナベくんとも親密になっていて。
「ナマズっていつも深い場所にいて、梅雨くらいに産卵で岸寄りに出てくる」(プリムラ)
――ワタナベさんとはいつ頃に出会ったんですか?
プリムラ 大学時代、テクノのパーティをやっていた友人を通じてですね。よく喋るようになったのは滋賀に行ってから。東京に帰るたびに音源を渡したりして。
ワタナベ 当時、プリムラからたまにもらうCDがすごく恥ずかしいというか、よくこんなのつくれるなって感じだったんですよ。でも、恥ずかしさを全面に出せる人って少ないじゃないですか、普通はかっこつけるというか…。そんな彼が面白くて、これはしっかりリリースしたほうがいいんじゃないかって思ったんです。
プリムラ 自分でもイケてる感じはあったんで、そこを「思春期なまま行っちゃっていいよ」と背中を押してくれたんですよね。彼はすごいミニマリストで、普段聴いている音楽は正反対なんですけど。
――それで、結局滋賀はどれくらいいたんですか?
プリムラ 2年ですね。
――あっ、結構いたんですね。
プリムラ 最初は1年の予定だったんですけど、目標が達成できなくて。ナマズっていつも深い場所にいて、梅雨くらいに産卵のために岸寄りに出てくるんですよ。だから、極端なことをいうと1年に1度くらいしかチャンスがなくて。
――2年待ち続けたナマズが釣れた瞬間はどんな感じでした?
プリムラ いやほんとにもう、逃したら死んじゃうくらいの。かなりすごい顔をしていたと思いますね。
――どれくらいのが釣れたんですか?
プリムラ 普通は1メートルを超すんですけど、85センチでした。手が震えちゃって、いまでも鮮明に覚えてますね。
――おわぁ〜、すごい。で、釣っちゃったわけですよね、そうなるとさすがに。
プリムラ 次は、60センチ以上のブラックバスも釣りたいなって。
――アハハハ、新たな目標ができちゃったんですね。
プリクラ はい。それもなんとか達成したので、部屋を片付けて東京に帰りました。
――いまは、奥さんも子どももいらっしゃって。『My 1st Time』のMVでは、家庭を持つ男の苦悩が描かれていますけど、あれはご自身の心境を重ねているんですか。
プリムラ ほぼそうですね。最後に逃げちゃうみたいな物語なので、あれを観た義理のお母さんは無言でしたね。奥さんも不審がっていて。
――そりゃ、そうですよ(笑)。あのMVはワタナベさんも一緒につくられているんですよね。
ワタナベ そうですね。基本的にいつも飲みながら、どうしよっかってつくってますね。
「ダンスと笑いを同時に提供できたら面白いなって」(ワタナベ)
――ワタナベさんが担当されているのは、ホームページ制作とMV制作、あとはどんなことをやられているんですか。
ワタナベ 全体的なヴィジュアルのディレクションというか、ジャケットデザインやライブ、VJも含めたクリエイティブディレクションというか。
――プリムラさんは、エレクトロ系のアーティストには珍しい前へ前へ出るタイプですけど。
ワタナベ レーベルとも話し合ったんですけど、こういう音楽をやっている人たちはシャイな方が多いので。プリムラは年齢的にも30歳を超えているし、普通にやってたら勝てないっていうのもあって。
――アハッ、笑っていいのかよくわからないですけど。
プリムラ かっこつけるようなことも、もうないし。
ワタナベ 自分たちは、こういう音楽にありがちな難しい感じは似合わないので。ダンスと笑いを同時に提供できたら面白いなっていう。それがやっといい感じになってきたんですよね。
プリムラ ライブ中の映像も、彼が撮って編集したものを流しているんです。
ワタナベ リアルタイム感を重視していて。地方のライブでは、新幹線から降りるところから始まって、現地の郷土料理を食べて、会場に向かうまでの映像を流したり。ダンスするときのテンションを、映像を使って推進したいというのがあるんです。
――ワタナベさんから出てくるアイディアは、ほぼオールOKで進むんですか。
ワタナベ すべてやってくれるんですよね。
――じゃあ、音楽以外のことはすべて委ねているんですね。
プリムラ ただ、衣装は自分で揃えてますよ。着替えてから「大丈夫かな?」って確認する感じで。性格とか視点が違うので、彼が大丈夫だったら大丈夫。そこは信頼関係ですね。
――ワタナベさんのどこに信頼を置いている感じですか。
プリムラ 彼の本職(webを中心としたデザイン)もそうですし、昔から口を開けば「クオリティがぁ〜」って言っているタイプなんですよ。デザインだけじゃなく、料理でもなんでもかんでもクオリティトークをするし。でも、常にそういう見方をしてるんだなって、それと楽しみ方の部分が共通してるんで、最終チェックをお願いしています。足の毛を剃るのか、剃らないのかとか、そういうところまで(笑)
――ライブでもMVでも独特なダンスをされていますが、あの踊りは自分の中から溢れ出てくるんですか。
プリムラ そうですね。ダンスの振り付けをされても覚えられないので、直感で踊っています。
――なんか味があっていいですよね。アルバムでは「胸キュン」を大きなテーマにしながら、ファーストが小学生時代、セカンドが中学・高校時代となっていますが、そうするといま制作しているのは大学時代になるんですか。
プリムラ それはないですね。自分のなかでは常にいろんな時代があって、たまたまファーストのときは小学生っぽい気分だったんで。セカンドは、そこにもう少しダンスビートが加わっているので、テクノを聴き始めた中学・高校の感じというだけです。そんなに分けてはないですね。
「ビートは、思春期の胸キュンをさらにエスカレートさせる大事な要素」(プリムラ)
――これはすべてのアーティストさんに聞いているんですけど、音楽をつくるときはどんな方法でつくられていますか。それは抽象的な意味で、たとえばSeihoさんなら空間と質感みたいものを思い浮かべると、ラストオーダーさんは風景を思い浮かべるよりも、より音楽的なメロディーから入るとおっしゃっていたんですね。
プリムラ 僕の場合は、音やメロディのフレーズが思いついたときに、団地の自転車置き場の風景が急に出てきたり、日曜の朝に自分だけ早く起きちゃって寂しくテレビを観ていたときの気持ちとか、そういう気分や味みたいなものがグワッと浮かぶんです。だから、先にメロディが生まれて、そこから風景や味を作り込んでいくみたいな感じですね。
――変則的なビートがよく入っていますが、それは昔からなんですか。
プリムラ 昔からですね。U.K.変態テクノの影響もありますし、あとポッピング(ブレイクダンスのひとつ)の動きが好きなんですよ。それを感じさせるリズムというか。
――やっぱりそうなんですね。音を聴かせていただいたとき、根本にあるのはダンスミュージックだなって思ったんですよ。もちろんエレクトロの要素もあるんですけど。
プリムラ そうですね。カラダを動かすと思考やイメージが発展していく、あの感覚を表現したくて。歩きながらモノを考えたり、アブストラクトやミニマルミュージックを聴いて踊っているときって、脳内に浮かんだことがエスカレートしていくじゃないですか。そういう作用を生むためのダンスビートでもあるんです。自分のビートは、思春期の胸キュンをさらにエスカレートさせる大事な要素ですね。
「普通はイヤがるようなこともやってくれるのが嬉しくて」(ワタナベ)
――なるほど。一方で、ワタナベさんはヴィジュアルをつくるときに何を起点につくっていくのですか。
ワタナベ 一番やりたいことは、ライブ中でしか見れないようなこと。最終的にはライブ中に番組とかをやりたいですね。普段からリアルタイム性を重視していて、ステージ上にプリムラの分身を置くみたいな感覚です。その映像でお客さんを盛り上げていければと思うんです。
――ワタナベさんにとって、プリムラさんは最高の素材なんだろうなと見ていて感じるんですけど。素材としての魅力はどこにありますか。
ワタナベ まず写真映りがいいですよね。
――アハハハ、確かに。サングラスをかけている写真とか、最初はハンサム系のアーティストなのかなと思いますよね。でも、MVを観て「あれっ?」っていう。
ワタナベ 演技もできますしね。あとは、単純にやって欲しいことを全部やってくれるんです。MV撮影(『My 1st Time』)のために「ムーンウォーク世界大会に出よう」って言ったら出場してくれて。
プリムラ さすがにあれは恥ずかしかったよ。
ワタナベ 普通はイヤがるようなこともやってくれるのが嬉しくて、つい過剰にお願いしちゃいますね。
――でも、今日お会いしていても、笑わせてやろうとするギラギラ感はなくて、淡々としているのがいいですよね、不思議な空気感というか。MVやライブを観て、奥さんは何か言うんですか。
プリムラ 「気持ち悪い」とか言いますけど、彼女も芝居の仕事をしているんで慣れてるんですよね。よくダメ出しはされます。特に演技についてはボロクソでしたね。
――今後、最終的にはアーティスト活動だけで食べていきたいと。
プリムラ それはいつでも。家族がいてなんですけど、どうなってもいいやみたいな。それくらいのものは秘めていますね。
――ワタナベさんは、滋賀時代から音を聴いていて、変わった部分、変わらない部分というのは何か感じますか。
ワタナベ 恥ずかしいメロディを使っちゃうところは変わらないんですけど。最近は少し洗練されちゃってるかなっていうのは感じますね。もうちょっとヘンテコでもいいのかなって。
プリムラ あぁ、そうかもしれない。もう一回滋賀に行かないと(笑)
――では最後に、今後の目標をお願いします。
プリムラ フェスに出たいですね、自信はあるんで。
ワタナベ そうだね。クラブに来ている人だけじゃなく、普通の人に聴いて欲しいですね。あと、短期的な目標としては、もっとしっかりしたダンスビデオをつくりたい。80年代のプリンスやマドンナのようなコテコテの感じで、ショウみたいにできたらいいなと思います。
――次回作も期待してます。今日は楽しかった、ありがとうございました!
Primula (プリムラ)
トラックメーカー兼釣り人。
誰もを遠い少年の日に引き戻すメロディーと変質なサウンドを得意とする。そのサウンドがUKを代表する変態テクノ・ダブステップアーティスト、SI BEGG(サイ・ベグ)の耳に留り『Jetlag And Tinnitus Reworks 5』ではリミキサーとして起用される。
2012年8月、Neguse Group よりデビューアルバム『Youth Center』を発表。初シングル『My 1st Time EP』はiTunes のエレクトロニックチャートで1位になるなどスマッシュヒットを記録。その後、moshimoss による新プロジェクトPreghostへのアルバム参加や、チェコのKubatko とのコラボレーション、ラッパー mal da kidへのトラック提供、韓国における電子音楽フェスFestival Morphに出演など勢力的に活躍。
2014年7月、セカンドアルバム『Aquarius』を発表。
出演スケジュール
- 5/23','24 ナチュラルハイ2015 @山梨県道志の森キャンプ場
- 出演:曽我部恵一/七尾旅人/Auto&mst/Goma&The Jungle Rhythm Section/moshimoss/Primula他
http://naturalhigh.jp/2015/ - 5/29 Off-Tone Presents Dansu to Noizu Vol.1 @吉祥寺SEATA
- Overload Collapse (Nikola Mounoud aka … from Switzerland)/Matsusaka Daisuke/DJ WADA (Sublime',' Dirreta)/NOBU(Future Terror)/koba(form.)/hakobune/食品まつり/Primula他
http://www.offtone.in - 6/20 HAKUCHUMU VOL.1 @横浜ギャラクシー
- baduerykah/DEAD PAN SPEAKERS/ロンリー/ニーハオ!/SEX山口/Primula他
http://www.yokohama-galaxy.com