NPO法人 下田ライフセービングクラブの活動理念に賛同し、1995年からその発展と振興をサポートしているSHIPS。同クラブの長い歴史のなかでは、さまざまな人材が生まれ育ってきた。今回は、子どもの頃からの夢だったお笑い芸人の道を歩み始めた、ユメマナコの丸山友加さんが登場。彼女が語るライフセービングの魅力とは?
お笑い芸人になりたくて、体育大学に入ったんです
――お笑い芸人という異色の存在がすごく気になるのですが、まずはライフセーバーを志そうとしたきっかけを教えてください。
丸山: 自分がライフセーバーをやるなんて、まったく思っていなかったですよ。小学生の頃、森三中さんがバラエティでカラダを張っているのを見て「こんなに人に喜んで貰えるなんてかっこいいな」と思ってから、ずっとお笑い芸人になりたくて。体育大学に行けば、リアクションに必要なカラダのキレや動きが身につくんじゃないかと思ったんです。
――そんな理由で体育大学に入る人がいたとは(笑)
丸山: でも、入学式のときに真っ黒に日焼けした先輩たちから「私たちと一緒に、ひと夏を海で過ごさない?」って勧誘されて。なんかかっこいいし、楽しそうだなってライフセービングのサークルに入ったんです。
――もともと泳ぎは得意だったんですか。
丸山: まったく。50メートルくらいしか泳げないのに入部してしまったので、最初は地獄でしたね。サークルの朝練でプールに入って、午後に陸トレ。土曜・日曜は下田で海に入るという生活を4年間続けました。同じ大学に憧れの先輩がいたこともあって、気づいたらライフセービングに惚れ込んでいました。
――でも、カラダも小さいし大変だったんじゃないですか。
丸山: そうですね。私は手もすごく短いので、ボードのパドリングがとにかく遅くて。最初はついていくこともできなかったです。人が1回漕ぐところを自分は2回漕がなくてはいけないと頑張って練習して。最終的にはパドルで下田の吉佐美から弓ヶ浜まで、1度も休まず1時間ちょっとで行けるようになりました。その頃にはカラダも大きくなって、大学3年のときには、神奈川オープンのボードレースで3位入賞することができたんです。
――そこまで自分を追い込むことができたライフセービングの魅力は、どこにあると思いますか。
丸山: 高校まではソフトボールをやっていたんですけど、それは自分やチームのためなんですよね。でも、ライフセービングは人を助けるのが役目で、無事故っていう目標はありますけど、競技みたいな明確な目標はないので妥協しようと思えばできるんです。それでも夢中になれたのは、人の命に関わることの責任を実感したからですね。あと、ソフトボールにしてもこれまでは持ち前の運動神経でどうにかなったんですけど、ライフセービングはほぼ泳げないゼロの状態から始めたので、やればやるほど上達するのがわかって。それも楽しかったですね。
吉佐美の浜は練習がとにかく厳しくて、キツすぎて笑えるほどでした
――大学のサークルと違い、下田ライフセービングクラブは年齢層も幅広いですが、どんな場所でしたか?
丸山: 自分のいた吉佐美の浜は練習がとにかく厳しくて、キツすぎて笑えるほどでした。頭がおかしいというか、そこまで練習する? みたいな(笑)。冬でも海に入ったみたいに汗をかきながらトレーニングして。合宿では、宿に帰っても動くことができず、初めてお風呂に入ったのが3日目とか、それくらいしんどかったですね。
――たぶん、ソフトボール時代より厳しいわけですよね。
丸山: 浜では厳しかったですけど、宿に帰るとみんな大騒ぎなんです。どこでも全力なんですよ。練習、遊びすべて。そのノリが好きでしたね。
――そのノリはいまも続いていますか。
丸山: そうですね。相方とかに、つい熱くストイックな部分を出しすぎて引かれることがあります(笑)
「そういえば、お笑いをやりたかったんだ!」って思い出して(笑)
――ライフセービングからお笑いの世界へはどう入ったのですか。
丸山: 大学3年の終わり頃、ワタナベエンターテインメントさんがやっているお笑い芸人養成所の広告を電車で見て、「そういえば、お笑いをやりたかったんだ!」って思い出したんです(笑)。すぐに資料を請求したら「明後日のオーディションに来て」って。
――急展開ですね。オーディションはどんなことをするんですか。
丸山: とりあえず、面白いことを話してみて」って。そのあと、同じ話を100%のテンションでやるんです。当然のように会場はシーンとしてたんですけど、なんとか合格しまして。大学に行きながら土曜だけのコースに通っていました。そこに一年間通ったんですけど事務所には入れずに、フリーランスとして活動しながらいろいろなオーディションを受けて、昨年の11月にサンミュージックに入ることができました。
――おめでとうございます。相方さんは男性なんですよね。
丸山: 最初は高校生の女の子と組んでいたんですけど、声が小さいので、河川敷に連れて行って声出しをさせていたら「気持ちが強すぎる」って嫌われちゃって(笑)。私は男性のほうがやりやすいですね。
――同じくらいの熱い気持ちがないと、コンビで続けるのは無理ですよね。ライフセーバーの経験がお笑いの活動に生きてる部分はありますか。
丸山: まだ偉そうなことを言える立場じゃないですけど、人のことを考えられるようになったかなと思いますね。お客さんを笑わそうではなくて、笑ってもらうためにはどうすればいいのかとか。ライフセービングのパトロール中も、サーファーの方に「そこ入っちゃダメ!」と叫んでも、気分を害されるだけなんです。それよりも「こっちの海のほうが素敵なんで、私と一緒に行きませんか」みたいなユーモアを入れると、ほとんどの人が動いてくれる。ライフセービングを2年、3年と続けるうちに、いかに楽しく帰って貰うかを考えるようになったんです。その経験が少しは生きているのかなって。
――ライフセービングのネタも取り入れたりするのですか。
丸山: ユメマナコではやらないですね。でも、ピン芸人として出るときはライフセーバーっぽい格好をして、いろんな意味で溺れている人を助けるネタをしています。R-1では一回戦で落ちましたけど(笑)
私が行くことで盛り上がって、たくさんの子どもに魅力を伝えられたら
――今後、ライフセービング活動とお笑いの両立などは考えていますか。
丸山: ライフセービング活動には今後も参加します。学生の頃はジュニアの指導もやっていたんですけど、もし有名になったら子どもたちがもっと自分の話に耳を傾けてくれるのかなって。私が行くことでその場が盛り上がって、たくさんの子どもにライフセービングの魅力を伝えられたらと思いますね。また、泳ぎができなかったので、海では男性に劣ってしまう部分が多々あったんですけど、それを補うために、浜でいかに頑張るかを大事にしていたんです。どれだけ早く走れるか、どれだけ早く溺れている人を見つけられるか、そういう部分でのサポートもあることを、後輩に教えられたらいいなと思います。泳げないからって自信をなくしている子に、考え方を変えれば頑張れることを伝えたいですね。
――では、最後に芸人としての夢や目標をお願いします。
丸山: コンビとしてテレビで頑張りたいとい気持ちが強いので、ロケ番組に出られるような芸人になりたいです。『黄金伝説』とかでカラダ張りたいですね。相方がヘタレなので、私がガンガン動いて喧嘩するみたいな。体力勝負は任せてください!
――テレビで活躍される日を楽しみにしています。今日はありがとうございました。
ユメマナコ/丸山 友加 Yuka Maruyama
1992年、東京都生まれ。
大学入学と同時にライフセービングを始める。学生時代は吉佐美地区に所属し、大学3年生のときには同地区のサブチーフとして監視活動に従事。
現在、サンミュージックプロダクション所属のお笑いコンビ「ユメマナコ」のツッコミ担当としてライブを中心に活動に励みながら、ライフセービング活動も継続している。
ライフセービング競技会での主な大会戦績
第14回神奈川ライフセービング選手権大会 ボードレース女子 第3位
第25回全日本ライフセービング種目別選手権大会 オーシャンウーマンリレー 第6位
第27回全日本ライフセービング学生選手権大会 ボードリレー女子 第4位
第28回全日本ライフセービング学生選手権大会 ボードリレー女子 第8位
オーシャンウーマンリレー 第7位
YouTube/チャンネル名「夢眼草子」
https://m.youtube.com/channel/UCwbThfif0VeXEtNANBfuFZA
Twitter/@maruyuka0131
Facebook/丸山友加 ユメマナコ