いま巷を賑わせているトラックメーカーを数珠つなぎにしていく人気企画の第5弾! 今回は、Primula(プリムラ)さんからのご紹介で、DE DE MOUSE(デ デ マウス)さんが登場。エレクトロニカをベースとしたダンスミュージック、シンセサイザーミュージックを幅広く手がけ、近年はプラネタリウムでのライブイベントや、盆踊りなど、ユニークな活動も積極的におこなっている。そんなDE DE MOUSEさんに、どのようにこの世界へと飛び込んだのかなど、いろいろとお話を伺いました。
僕は都会っ子じゃないから、それだけで「すげぇ」って思ったし、同時に羨ましくて
ーーPrimula(プリムラ)くんからのご紹介ですが、おふたりはいつ頃から交流があるのですか。
DE DE MOUSE 最初のきっかけは、僕のタイムラインに「ヘンなMVだけどすごいピュアテクノ」みたいなコメント付きのURLがあがってきて、それをクリックしたら、筋肉質なおじさんが少年の格好をして踊ってたんですよ(笑)。でも、曲はキレイめな感じで面白いなって。その後に、セーラー服で手旗信号をしているMVが発表されたんですけど、その頃にはすでにファンになっていて。そんなこんなで、今年のアタマに酔っ払った勢いでメッセージを送ったら、向こうも僕のことを知っていてライブに来てくれたんです。会ってみたら、MVとはイメージの違う腰の低いシャイな青年で。
ーー音楽的にはどんなところが面白いと思いましたか。
DE DE MOUSE もともと僕は、’90年代のリフレックス・レコーズとか、エレクトロニカに行く前の踊れないテクノとかアンビエントが好きだったんですよ。その頃に聴いていた音楽を喚起させるような雰囲気というか。アンビエントっぽいけど、メロディは日本人が好むような感じがあって面白いなと。
ーーPrimula(プリムラ)さんも、’90年代のワープとかその辺が好きだったみたいで。そういうのはトラックを聴いただけでわかるものですか。
DE DE MOUSE わかりますね。使っている音色とかがエレクトロニカ直球ではないというか。わかりやすく言うと、レイ・ハラカミの系譜にあたるかもしれない。そう言われるのはイヤだろうけど。
ーーDE DE MOUSEさん自身は、いつぐらいに音楽に興味を持って自分で制作するようになったんでしょう。
DE DE MOUSE 中学生くらいになると周りがバンドを組み始めたりするじゃないですか。そうすると、ダサかったやつがいきなり学校にピックを持ってきたりするんですよ。僕は都会っ子じゃないから、それだけで「すげぇ」って思ったし、同時に羨ましくて。家には父親が弾いていたクラシックギターがあったので、感化されてギターの練習もするんですけど、そもそもコードを弾くようにはできていなくて。それでも家にエレキがあるフリをしたりしていました。
ーー軽くこじらせてますね(笑)
DE DE MOUSE そうなんですよ。それで中学3年生くらいから世間がジュリアナブームになって、都会に対しての憧れがあったからダンスミュージックに興味が向かって。周りに同じ趣味の友達ができないまま、高校生になってトラックを作り始めたんです。その頃はエイフェックス・ツインとかが好きだったので、「俺がやりたいのはアートなんだ!」みたいにどんどんおかしな方向に行って。ただただ高尚なものを求めていました。
口ではいろいろ言うけど本当は寂しくて、みんなと楽しさを共有した瞬間に変わるみたいな
ーー最初はシンセでトラックを作っていたんですか。
DE DE MOUSE そうですね、まだパソコンだけで音楽が作れる時代ではなかったので。いまの子はパソコンもあるし、ソフトもフリーでダウンロードできるし、作り方も調べればすぐに出てくるじゃないですか。だからクオリティが高くて怖いですよ。
ーーパソコンがまだ普及していない時代、情報はどうやって。
DE DE MOUSE 群馬県の片田舎で育ったので、雑誌とかテレビしか情報がないんです。雑誌と言っても『キーボードマガジン』とか『サウンド&レコーディングス』くらい。そこには毎号のように新しいジャンルの言葉が出てくるんですけど、どんな音楽なのかはすぐに聴けなくて。聴くためにはCDを買わなくちゃいけないし、そもそも街のレコード屋さんに売ってないんですよ。だから、例えば「インダストリアルテクノ」について「工場っぽい金属音を使ったテクノ」みたいなことが書かれていたら、ただそれを想像していました。
ーーそれが逆にクリエイティブにとっては良かったかもしれないですね。
DE DE MOUSE そうだったのかもしれないですね。当時はケン・イシイさんとかテクノブームで。クラブに行くのがかっこいいみたいな時代だったので、テレビでそういう特集があると録画してましたね。
ーー深夜番組とかよくやってましたよね。
DE DE MOUSE すごい覚えているのが、NHKでテクノの特集をやっていて。『レインボー2000』についてだったかな、それは録画して真剣に観てました。でも、その輪に溶け込む行動力もなかったんです。同世代のトラックメーカーに聞くと、当時からみんなクラブとかに行ってて。でも、僕はそういう楽しさをみんなと経験したことがないまま強がってましたね。そういうタイプって、みんなひねくれた音楽を作るんですよ。口ではいろいろ言うけど本当は寂しくて、みんなと楽しさを共有した瞬間に変わるみたいな。
ーーかなりこじらせてたんですね(笑)。そう考えると、制作を始めてからインディーズで音源を出すまで結構時間がかかったんですね。
DE DE MOUSEファーストを出したのが28歳のとき。19歳で東京に出てきて音楽は作ってたんですけど、クラブとか外に出れなくて。専門学校を卒業してからは、主にCM音楽を作ってたんです。その間にいくつかデビューの話もあったんですけど、自分の音楽を他人に触れさせたくなくて。
ーーそうなんですね。でも、CM音楽を作る環境というか、そういう人とのつながりはあったんですね。
DE DE MOUSE 専門学校に教えに来ていた講師がエンジニアの人で。その方がCM音楽をやっていて紹介してくれたり、音楽事務所を紹介してくれたりしたんです。僕にとっては恩人みたいな人ですね。
20代前半の挫折がなかったら、今のスタイルではやってない
ーー他人に自分の音楽を触れさせたくないところから、アルバムを発表するに至る経緯は何かあったんですか。
DE DE MOUSE 触れさせたくないっていうのは、プロデューサーに口を出されたくないという意味で。自分がやりたいことしかやりたくないっていうのを貫いていたんです。でも、24歳くらいのときに曲が作れずに悩んだ時期があって。それまではCMの仕事も、デビューの話もあって、わりと自信満々だったんですよ。でも、そこで才能がないのかもしれないって打ちひしがれてから、周りの人の意見を聞くようになったんです。
ーーそこが転機だったんですね。
DE DE MOUSE ライブで「コレが俺の音楽だ!」ってやると反応は薄いんだけど、チルアウトっぽく作った曲の反応は良かったり。そうすると、「アレッ、本当はこっちなのかな?」って。それまではビート中心の音だったんですけど、そこからはメロディものをたくさん作るようになって。最終的に、ライブもやりやすいメロディアスなものを集めたのがファーストアルバムになっていくんです。だから、20代前半の挫折がなかったら、今のスタイルではやってないですね。
ーー他人に自分の音楽を触れさせたくないところから、アルバムを発表するに至る経緯は何かあったんですか。
DE DE MOUSE 触れさせたくないっていうのは、プロデューサーに口を出されたくないという意味で。自分がやりたいことしかやりたくないっていうのを貫いていたんです。でも、24歳くらいのときに曲が作れずに悩んだ時期があって。それまではCMの仕事も、デビューの話もあって、わりと自信満々だったんですよ。でも、そこで才能がないのかもしれないって打ちひしがれてから、周りの人の意見を聞くようになったんです。
ーー昔はメロディっぽいものを意識していなかったんですね。
DE DE MOUSE どちらかといえば、ヒップホップ的なサンプリングというか。コラージュして作ったブレイクビーツを、ハードコアめにした感じですね。当時、エレクトロニカが一大ブームでみんなノイズ気味だったので、自分はファニーな感じに行こうとしていて。そこら中のものをサンプリングしてコラージュして、BPM(テンポ)速めで作ってました。
ライブってその場限りのもので残らないから、いろいろやれる
ーーDE DE MOUSEさんは、音源とライブで雰囲気がかなり変わりますが、どう使い分けているのですか。
DE DE MOUSE ライブってその場限りのもので残らないじゃないですか。だからいろいろやれるんですよ。リリースするものは残るから、納得したものしか作りたくない。ダンスミュージックって基本的にファッションミュージックだから流行りがあって。ファッションも同じだと思いますけど、流行りものってダサくなるのも早いじゃないですか。でも、ライブではそういうダンスミュージックのアプローチをどんどん入れていくことが多いですね。ライブでは、リリースするつもりもなく作ったものをイベントに応じて使っています。
ーーでは、楽曲は膨大にあるんですね。
DE DE MOUSE ライブをやるたびに増えていく感じです。
ーーこの質問はこれまで登場していただいた皆さんに聴いているのですが、曲を作る際には何かしらの風景や絵を浮かべるタイプですか。それとも音楽的に構築していく感じですか。
DE DE MOUSE 僕はふたつあって、両方とも絵といえば絵なんですけど。ひとつはBPMがこれくらいの速さで、こういうリズムがあって、その上にこういうものが乗ってみたいな設計図のようなもの。もうひとつは、自分がどこかの街を歩いたときに印象的に残った景色とか、記憶のなかの風景を音に変えていく作業。そのふたつを重ね合わせて作っている感じです。ここ数年は、景色や空気感を連想しながら作ることが増えています。でも、機能的なダンスミュージックにするためには設計図がないと抽象的になりすぎるので、そこは意識していますね。自分がこういう景色を作りたいと思っても、実際そうならないこともある。でも、そのトラックから違う風景が見えてきたら、それはそれでいけるなって。
これからやりたい音は、自分が子どもの頃に思っていたワクワクする気持ちみたいなもの
ーー先日、リリースパーティに伺ったんですけど。最後に「これからやりたい音はこれです」って宣言してから始めた曲は、まさに風景的な世界でしたね。
DE DE MOUSE そうですね、これからやりたい音は自分が子どもの頃に思っていたワクワクする気持ちみたいなもの。その感覚はどういう音楽を聴いたら喚起されるのかを追求していて。
ーー連想される風景はそのときどきで違いますか。
DE DE MOUSE 僕は多摩丘陵のあたりがすごく好きで。DE DE MOUSEを始める前はハードコアっぽい音だったんですけど、多摩丘陵を歩きながら聴いていたのがキリンジかユーミンだったりして。その一致しない感じに違和感があったので、「DE DE MOUSEは多摩の街を歩きながら聴ける音楽を作ろう」というコンセプトにしたんです。その思いはいまも変わらないですね。
ーーそれ以外のことをやりたいときは、別名義にすることも考えたりしますか。
DE DE MOUSE 別名義も考えたことがあるんですけど、結局は名前を変えたところで広がらないだけなんですよ。’90年代から’00年代半ばくらいまでは、この人がこういうプロジェクトを始めましたっていうのが雑誌に載ったり、店頭POPに書かれていたりして、その影響力があったじゃないですか。でも、いまはダウンロードやストリーミングの時代だから、その情報を消費者に伝えるのがかなり難しい。
ーー先日、『youth 99』と『milkyway drive』という音楽的に違うEPを出されましたが。
DE DE MOUSE 『milkyway drive』は、もともとライブ用のアレンジがいろいろあったので、そのなかで人気のものを集めて作り直した作品です。最初はこれだけを出すはずだったんですけど、イベントで『youth 99』をやったらCHERRYBOY FUNCTIONがすごく気に入ってくれて。「リリースするべきだ」って言われたので、その気になった感じです。でも、案の定スタッフからは大反対されて、そうなるとこっちも意地になっちゃって(笑)。この曲はレイブマナーの90’sブレイクスみたいな雰囲気で、当時へのオマージュみたいなものなんです。でも、意外に若いDJからのウケが良かったり。
ーーファッションの世界では、’90年代リバイバルがキーワードになっていますし。
DE DE MOUSE 音楽でもちょこちょこきてますけど、まだリバイバルとはいえないかな。
ーーでも、いまの時代の雰囲気と、感覚的にフィットし始めているのかなって気がします。
DE DE MOUSE そうですね、いまの20歳くらいの子には’80年代や’90年代にきらびやかさを感じるみたいで。自分も思春期だったし、そういう思い出もあるから。経済的には90年代半ばから不況になるんですけど、音楽的にはバブルだったし、希望や夢もいま思えばあったなって。
ーー当時、ファッションに関してはどうだったんですか。
DE DE MOUSE 中学の頃はひどかったですよ、お母さんが買ってきてくれたミッキーマウスのTシャツをずっと着てるみたいな。高校2〜3年くらいから自分で買うようになりましたけど、ファッション雑誌は読まなかったですね。そう考えると、東京に住むようになってからかな。街を歩く人を見ながら、こういうのが流行ってるのかぁ〜って洋服を見るようになったり。でも、僕は体が小さいから買い物に行ってもサイズがないんですよ。サイズの重要性に気づいたのは、東京に来て2〜3年後。それからは、流行よりもサイズが合うシンプルなものを着ていますね。
ーーでは、最後に今後にやってみたいことを教えてください。
DE DE MOUSE シップスさんとコラボしたいです!(笑)
ーーあはは。是非、お願いします。
DE DE MOUSE そうだ、次はどんな人がいいですか?
ーー僕らも、毎回友だちの輪がどんな方向に行くのかを楽しみにしているので、人選はDE DE MOUSEさんにお任せしますよ。要望は一切出さないようにしているんです。
DE DE MOUSE う〜ん、何人か候補があるんですけど・・・。昨日マネージャーと話しながら考えた人だと、いきなりランクアップするというか、かなりドープな方向に行く可能性があって。
ーーえっ、誰だろう。
DE DE MOUSE わかりました、ちょっと考えますね。
ーーよろしくお願いします。今日はありがとうございました。
DE DE MOUSE | デ デ マウス
遠藤大介によるソロプロジェクト。作曲家、編曲家、プロデューサー、キーボーディスト、DJ。また、自身の曲のプログラミングやミックス、映像もこなす。
織り重なり合う、計算しつくされたメロディと再構築された「歌」としてのカットアップサンプリングボイス。流麗に進む和音構成と相交わりから聞こえてくるのは煌びやかで影のある誰にも真似出来ない極上のポップソング。沁み渡るような郊外と夜の世界の美しい響きから感じる不思議な浮遊感と孤独感は、多くのクリエイターにインスピレーションを与えている。
ライブスタイルの振れ幅も広く、ツインドラムで構成されリズムの高揚感を体現するDE DE MOUSE + Drumrollsや、縦横無尽に飛び回るDJスタイル、即興とセッションで繰り広げるDE DE MOUSE + his drumner名義に、映像を喚起させるDE DE MOUSE + Soundandvisions名義など、多種多様のステージングを展開。 FUJI ROCK FESTIVALやTAICOCLUB、RISING SUN ROCK FESTIVALにSonarSound Tokyoなど多くのフェスティバルにも出演、イギリスやフランス、ドイツなど海外遠征も盛んに行っている。
近年では実験的な試みを体現する主催イベント"not"や即日完売が恒例となっているプラネタリウムを舞台にした演奏会や、盆踊りイベント等、音楽イベントを飛び越えた活動も始め、イベントの演出やその完成度が、各方面から多くの注目を受ける。 また、ファッションやアニメ、ゲームなど他ジャンルからの支持も強く、作品、グッズ、イベントに至る全てのプロデュースを手がけると共にファッションブランド等とのコラボレーションワークも数多く行なっている。
2012年にnot recordsを始動。本年6月〜7月にはレーベル3周年として「youth 99」「milkyway drive」の2枚のEPを発売。
イベント情報
9/18(金)「Sense Of Wonder」 @ 渋谷La.mama
9/19(土) DE DE MOUSE サイレントディスコライブ @多摩1kmフェス2015
9/20(日) DE DE MOUSE×ホナガヨウコ『帰ってきた!魅惑の星屑ダンスパーティ』@多摩1kmフェス2015
10/3(土) BDM 青山盆踊り @ 青山 国際連合大学前広場
その他ライブスケジュールはhttp://dedemouse.com/livescheduleへ
リリース
『parallel youth 12”』 DE DE MOUSE vs CHERRYBOY FUNCTION¥1,389(+TAX)
DE DE MOUSEとCHERRYBOY FUNCTIONという 盟友同士が、『youth 99』のアナログカット『parallel youth 12”』で競演!! 『rave 92』『rave 93』『satan disco 999 (CBF XXXmix)』『rave 93 (CBF XXXmix)』の計4曲収録。収録楽曲DLコード付きカードを同梱。 9月中旬〜下旬発売予定。