NPO法人 下田ライフセービングクラブの活動理念に賛同し、1995年からその発展と振興をサポートしているSHIPS。同クラブの長い歴史のなかでは、さまざまな人材が生まれ育ってきた。今回は、理事長の江田邦明さん親子が登場。下田で生活をしながら、家族ぐるみでライフセービングに関わっている江田さん親子に、さまざまなお話を伺いました。
水泳は泳げる程度だったので、人を助けるレベルまで伸ばすのは大変でした
ーーライフセーバーを目指したきっかけを教えていただけますか。
江田 地元は相模原市なので海もないですし、中学や高校のときにスポーツでいい成績をおさめたわけでもなくて。高校を卒業して、普通に大学に入って、クラブ勧誘で先輩に誘われたのがきっかけですね。「夏の約一ヶ月間、同じメンバーと苦楽を共にするから友だちもできるし、数年後には下田で世界大会もあるから頑張れば出場できるよ」って言われて、自分のためにも人のためにもなるし、始めてみようかなと思ったんです。
ーーやってみてどうでしたか?
江田 水泳は泳げる程度だったので、人を助けるレベルまで伸ばすのは大変でしたね。大学や地元、バイト先のプールなどで時間を見つけては泳いでいました。また、先輩から「水泳はやっていた人に敵わないけれど、パドルボードは練習すれば早くなるし、人を救うにも早いから頑張れ」と言われて。1993年、休学中の大学4年のときには、パドルボードでサーフカーニバルを優勝することができました。あと、社会人になってからの2003年にも全日本のパドルボードで優勝したんですよ。
ーーすごい。では、パドルボードには絶対的な自信があるんですね。ちなみに、休学はライフセービングのためにされたのですか。
江田 そうですね。どうしてもパトロールチーフになりたかったのと、本場オーストラリアで学んでみたいという気持ちがあって。夏のパトロールが終わるまでは日本にいて、10月〜翌年の3月までオーストラリアに留学しました。
オーストラリアからの帰国後は、地域との関わりを大事にするように心がけました
ーーオーストラリアでの体験はいかがでしたか。
江田 最初は技術の習得がメインだったんですけど、向こうに行くと中学生にも敵わなくて、その差には驚きましたね。でも、過ごしているうちにライフセービングの文化に興味が行くようになって。彼らは4時くらいに起きて泳いで、学校へ行って16時にまた集まって海に入る。生活のリズムのなかに、海での関わりがしっかりと入っているんです。
ーーしかも、さまざまな世代の方がいらっしゃるんですよね。
江田 そうなんです、小学生から70代くらいまで。おじいさんも朝からランスイムランして、クラブハウスでちょっとお茶して帰るみたいな。また、ワイシャツにタイトスカートを履いたようなOLも、夕方4時30分くらいにクルマで来て、泳いでから帰宅していたり。途中からはそういう文化を日本に持ち帰りたいと思うようになりましたね。
ーーその経験を生かして日本でしたことは何かありますか。
江田 日本に戻ってきた頃に、南伊豆の立ち上げを任されまして。その頃はまだライフセーバーの世界も、昔ながらの縦社会な雰囲気があったんですよね。1年生だけが雑用をするみたいな。でも、みんなが楽しみながら長く続けられるように、皿洗いなんかはジャンケンで決めるようにしましたね。また、地域との関わりを大事にするように心がけました。南伊豆で有名な伊勢海老祭りなどは、宣伝のために都内各所を回るんですけど、そういうときに東京在住のメンバーが手伝ったり。夏のパトロール以外でも地域との取り組みの場を増やしていったんです。
娘の望実さんもライフセービングの道へ
ーー現在、下田に住まわれているのはオーストラリアでの体験も大きかったんですね。
江田 そうですね、地元に住んでやりたいという思いが強くなりました。それで就職活動も下田近辺に絞って、縁があって伊豆急行に就職したんです。
ーー現在は、娘の望実さんもライフセービングをやられていて。まさに生活に根ざした活動という夢が実現していますね。望実さんはどんなきっかけでライフセービングを始めたのですか。
望実 同級生のお母さんが下田市振興公社に勤めていて、小学3年生のときに「一緒にやらない?」って誘われたんです。
ーー下田市振興公社とはどういう組織なんでしょう。
江田 下田市振興公社は財団法人で下田市の市民文化会館とか敷根公園屋内温水プールなどを管理しているところですね。いまは下田ライフセービングクラブと共催で、ジュニアライフセービングプログラムというのを運営しているんです。シップス ジュニアライフセービングコースの内容を掘り下げ、複数日開催するものです。
ーーそのプログラムではどんなことをするのですか。
望実 助けてサインから始まって、ニッパーボードやビーチフラッグス、あとは心肺蘇生とかも習います。小学3年から毎年参加しました。小学5年生になってからは、夏以外も下田ライフセービングクラブのジュニア会員として活動しています。練習もみんなで楽しくできているし、大会もみんなで協力しながらできるので楽しいです。
ーー各年代でしっかり組織が出来上がっているんですね。
江田 中学・高校生は振興公社のプログラムの手伝いと、夏の前後は海での練習。冬はプールでの練習があります。それと、中高生向けの競技会や、日赤の救急法の競技会への参加などがありますね。下田ライフセービングクラブでは小学校3年からあるのですが、今年から小学1、2年生も活動できるように試行錯誤を重ねているところです。
来年は娘とマルチドー(オーストラリアのライフセービングクラブ)に一緒に行きたい
ーー江田さんがいま理事長として取り組んでいることはどんなことでしょう。
江田 下の世代を育てることですね。社会人になって数年は活動をしてくれるんですけど、その後は仕事・転勤や家庭の事情などで活動の時間が制限されてしまうメンバーもいます。ただ、そのようなメンバーは、SHIPS SAFE & CLEAN キャンペーンのジュニア・ライフセービングコースやスポーツキャンペーンなどで、若い世代をサポートしながら活動を盛り上げてくれています。今後はさらに自分の時間の中で、ライフセービング活動を楽しみながら、後輩と共に時間を共有できる30代前半のメンバーが増えていってくれることが楽しみです。クラブ運営はまったくのボランティアなのですが、今も多くのメンバーがライフセービングや仕事のキャリアを生かしながら、活動を継続していってくれています。今後も人と人のつながりを大切にしていくクラブとして、さらに成長していって欲しいですね。
ーー望実さんは何か目標はありますか
望実 大会で優勝したいです。あと、ライフセービングはずっと続けていきたいと思っています。
ーー家でのお父さんと海でのお父さんは違いますか。
望実 海にいるときのほうがちょっとカッコいいかな(笑)
ーーでも、娘さんがやってくれるのは嬉しいですよね。
江田 そうですね。来年は中学2年生になるので、一緒にマルチドー(下田ライフセービングクラブと提携しているオーストラリアのクラブ)に行きたいなと思っているんです。また、将来一緒にパトロールができるように自分もライフセービングは続けていきたいですね。
ーーそれは素敵ですね。おふたりの今後のご活躍を期待しています。今日はありがとうございました。
江田邦明 Kuniaki Eda
下田ライフセービングクラブ 理事長
- 1972年3月神奈川県相模原市に生まれる
- 1990年4月中央大学入学
- 同年6月ライフセービング世界選手権大会 レスキュー’92出場(下田市)
- 同年6月ジャパンサーフカーニバル パドルボードレース優勝
- 同年10月渡豪(クイーンズランド州 グリーンマウントSLSC)
- 1995年4月伊豆急行(株)入社
- 2002年2月渡豪(クイーンズランド州 マルチドSLSC)
- 2003年10月全日本ライフセービング選手権大会 パドルボードレース優勝
- 2009年5月(特非)下田ライフセービングクラブ 理事長就任