スタイリストの哲学 ?丸山晃の場合?
優れたスタイリストほど、明確な自分のスタイルがある。雑誌、広告、タレントと幅広いシーンで活躍する丸山さんも、もちろんそのひとりだ。しかしそれは「無理に出そうとしたり、作り出そうとして作れるもじゃない」と同氏は説く。自然と興味を持ち、掘り下げ、知らず知らず経験が積み重なっていくからこそ、勝手に漂う匂い。それが“スタイル”なのだと。人気連載企画「スタイリストの哲学」、丸山晃編。実に興味深い話が聞けました。
??丸山さんといえば“パンク”っていうイメージがあるのですが、やっぱりその辺のカルチャーは昔から好きだったんですか? ハマったきっかけは?
いや、最初はえせっぽいところから始まっているんですよ。高校1年生くらいの時だったかな。いわゆる“ファッションパンク”っていうのが流行ったんですが、最初は自分もその流れに乗ったというか。当時仲良かった友達からセックスピストルズのライブ版のCDをもらったんですよ。でもそのとき音楽には全然引っかからなくて、そこについていたブックレットにやられた。ジョン・ライドンがすこぶる格好よかったんですよ。それで「何だコイツは!」ってことになって(セックス)ピストルズっていうバンドを追いかけるようになった。つまり完全にビジュアルから入ったんですよね。
??“スタイル”から掘っていったんですね。
もちろんそれなりに音楽も聞いていましたよ。でもそれでいうと僕はセックスピストルズというよりもクラッシュ派。でもルックスはジョン・ライドン。今みても彼はオシャレだと思います。これはスタイリストになってから気づいたことなんですが、彼ってすごくトラディショナルな人なんですよね。で、それをどう崩していく=壊していくかっていうことを実験的に実践している。パンクファッションと同時にトラディショナルな部分も、結果的にはこの人から学んだ気がします。
??高校の頃はすっかりパンクファッションだったんですか?
といっても真似事ですよ。お金もなくて別にいい服が着られたわけじゃないし。自分で加工をする前提で服を買っていましたね。当時スキニーパンツなんてなかったから自分で作るしかなかった。真っ黒の501を買ってきて切って縫ってぴたぴたにしたりね(笑)。恥ずかしながら赤チェックのボンテージパンツもはいていました。それももちろんリメイクして。
丸山氏の価値観を変えたセックスピストルズ。ジョン・ライドンは永遠のファッションアイコンだ。
??いつ頃からスタイリストを意識するようになったんですか?
姉貴が文化服装学院のスタイリスト学科に通っていて、その影響もあったのかな。スタイリストがどんな職業なのかよくわかっていなかったんだけど、とりあえず服飾の専門学校に行きたいなとは高校に入った頃から思っていたんですよ。それでいろいろ調べて高校卒業後は専門学校に。そしたらこっち系(パンク)が好きな奴らがたまたま同級生に多くて、そこからさらにヒートアップ。情報という情報を友人と共有しながら、(パンクの世界に)どっぷりハマっていきましたね。僕の中のファッションはすでにその世界の中だけのことだったので、DIY精神にもいっそう磨きがかかっていきました(笑)。
??ファッション以前にカルチャーがあって、そこに自分をアジャストしていく感じだったんですね。
パンクから入った人は共有できると思うんだけど、結果ノイズに行き着くんですよね。パンク→オルタナ→サイケ→ノイズみたいな。結局音を探れば探るほど、どっちかっていうとポップスじゃなくてアバンギャルドっぽいことになっていく。ってなるとだんだん自分でもやってみたくなる。最終的には家に機材を揃えて水の音とか録ってました(笑)。
??もともと突き詰める気質なんですね。
めちゃくちゃおたく気質でしたね。
??でも結局そのとき掘り下げたことが今の丸山さんのベースになっている。
そうだと思います。やっぱりファッションと音楽って密接じゃないですか。おもしろい服を見れば必ずと言っていいほど「あの時の??っぽいよね」っていう話題になる。そういうのは当時自分が蓄えたことがためになっているなって思いますね。ただ、よく人から「そういうカルチャーがある分、強いよね」って言われるんですが、僕は決してそれを強みだと思ってやっていたわけじゃないんですよ。好きなことをただ探求していただけ。
??その頃からスタイリストになることは明確に意識していたんですか?
いや、まったく(笑)。
??え(笑)。じゃあいつから?
正確には、師匠(スタイリスト馬場圭介氏)のところについてからかな。実は専門学校の2年生の時に音響系の仕事に就きたくなって試験を受けたんですがことごとく落ちて。それでライブハウスで働きながらちょっとふらふらしていたんですが、そのとき自分は何がやりたいのかを考え直したんです。で、やっぱりスタイリストを本気でやってみようと。やるならやっぱり自分が最も尊敬するひとしかいないなと思って馬場さんのところへ。運良く滑り込ませていただいたっていう感じですね。だからアシスタント時代はすごく楽でしたよ。
??楽? それはこの連載史上初意見ですね!
師匠の言っていることがすぐ理解できたというか。深く共有できる部分が多かったんですよね。例えばミュージシャンのジャケ写のスタイリングで「クラッシュのコンバットロックみたいな感じ」っていわれても「ああ、なるほど」みたいな。集めてくる物にダメ出しされることも少なかったので。
??それで、紆余曲折を経てスタイリストになってみてどうでした?
いや、大変だなって思いましたね。アシスタントの時は思わなかったんだけど、独立して思ったんですよ。ひとりで仕事するようになってから学ぶこととか気づくことって本当に多い。
??例えば?
やっぱり好きなことだけがやれる訳じゃないじゃないですか。例えば「ビーチグッズを集めて」ってオーダーされたらやらなければいけない。「そういうのできないんで別の人にまわしてください」っていうことは僕はしたくないので。自分のキャパシティを広げるきっかけにもなりますし。
??でもやっぱりその中でもできるだけ自分らしさが出るように意識していた?
そうですね……でも、それって意識することじゃなくて、おのずと出てくるものなんじゃないかな。自分が思う“格好いいこと”を素直に表現すれば、自然にスタイルは出てきてしまう。逆に「色を出さなきゃ」って思っている人はどうやっても出ないと思うんですよ。それに、必然的に出ちゃうことのほうがまわりも納得する。「自分の強みを作れ」「お前の強みは何だ」っていうフレーズはよく聞くし僕もアシスタントに聞いたりするけれど、結局その人の“強み”は作ろうとして作れる物じゃない。普段からやっていることの積み重ねなんですよね。
??それは学びようがないし、教えようもないですね。自分の意識の高さというよりも深さ?にかかっている気がします。
特にパンクなんか“ファッション”っていうよりも“匂い”だと思うんですよね。それっぽいことは誰にでもできるけど、自分の中でしっかりとした経験値を持っていないとどこか偽物臭い。逆にそういう“自分の土俵”みたいなものを持っている人はどんどんアクションを起こしていいと思う。そういう人が新しいカルチャーを動かすかもしれないから。
丸山さんのインスピレーション源でもある写真集の数々。「一番上の『シティインデアンズ』はずっと探していた写真集でロンドンで見つけたもの。パンク、モッズ、スキンズをトライブとくくることもあるが、シティインディアンとして捉える視点がおもしろい」。
??最後にこれからのビジョンがあれば教えてください。
自分の今のキャパシティの中だけでなく、そこを超えた仕事にもトライしたいですね。良くも悪くも自分のイメージはある程度固まっていると思いますし、自分で自分をそこにカテゴライズしている部分もあった。でもそういった自分の世界に閉じこもるんじゃなく、より広い世界で勝負してみたいと思います。
??経験を積む中で、そういうステップアップの時期にあると。
なんていうか、全体の“空気感”はもちろん大事なんですが、プラス“スタイリング”でもしっかり勝負したいんですよね。全体のイメージをクリエーションすることは大事だけど、本筋を忘れてしまってはいけない。そこを意識しながら真摯に仕事に取り組んでいきたいです。
丸山晃
1977年長野生まれ。専門学校を卒業後、馬場圭介氏を師事し2006年に独立。独自の世界観を生み出すクリエーションに定評あり。雑誌、広告、タレントとジャンルを超えて活躍中。