一期一会 選・桑原茂一  ゲスト:ヴィヴィアン佐藤 一期一会 選・桑原茂一  ゲスト:ヴィヴィアン佐藤

一期一会 選・桑原茂一
ゲスト:ヴィヴィアン佐藤

一期一会 選・桑原茂一

一期一会 選・桑原茂一

SHIPS'S EYE

自分らしく生きることで、毎日を充実させている女性のお話を聞きながら、自由に生きるヒントを見つけだすこの連載。今回は、ドラァグクイーンとしてだけでなく、マルチに活躍されているヴィヴィアン佐藤さんが登場。あらゆるセオリーに疑問を持ち、常に違う視点を探し続けるヴィヴィアンさんならではのお話は、これからの時代を幸せに生きる術が詰まっています。

桑原 ヴィヴィアンとは、イラストレーターがよく集まるイベントでお会いして。それから「おっぱい展」にも参加してもらって。でも、僕はもともと映画評論家のイメージが強くて、絵を描いたりアートのキュレーションをしているとは知らなかったんですよ。そもそも何かを表現するという活動は、ドラァグクイーンが最初だったの?

ヴィヴィアン 学生時代、ゲイバーというかショーパブで働くようになったのがきっかけですね。その頃は、ドラァグクイーンという言葉も知らずに始めて。でも、私が第1〜1.5世代でいまや第8世代くらいですけど、日本のドラァグクイーンって常に30人くらいしかいないのです。というのも、初期の人たちがずっと残っていて、下の世代は始めては辞めていくようなサイクルになっていて。何故かというと、若い子は最初からドラァグクイーンに憧れて始めるので、それ以上にも以下にもなれないという不幸なことがおきているのです。カタチから入るのは悪いことではないですけど、私たちがこういう格好をしているのは、内面や生き方のドロドロが、マグマとして噴き出しているから。つまり、やりたいことをやっていたら、こうなっただけで。皆同じように見えるかもしれませんけれど、始めるきっかけやスタイル、活動している場所はそれぞれ違うのですよね。

桑原 どんな文化も時間が経つと形式化してしまいがちだよね。

ヴィヴィアン 私はもともと建築家なのです。でも、建てない建築なので「非建築家」と名乗っていて。そもそも、建物(たてもの)と建築(けんちく)は別のものなのですね。建築は、哲学や考え方みたいなものでありアーキテクチャー。一方で、建物は人が住んだり使ったりする道具でありビルディング。自分は建物でなくても建築は作りえるのではないか? という考え方で、アーキテクチャーのほうなのです。

桑原 ほぉ。

ヴィヴィアン 例えば、ビルを作るときには平面図や製図、さらには模型を作りますよね。工事の際はそれらを見ながら作っていく。すると、オリジナルとは何なのか、完成したビルは模型の模型なのではないか? という問題が生まれるのです。また、建物はコンクリートや鉄でできた頑丈なもののように感じますけど、実は100年もてばいい方で、1000年なんてほぼ無理なわけです。私は建物よりも意味的に強度の高いものを作りたい。そうなると、ダンスでも詩でも音楽でもインスタレーションでも、映像でも、建築は作ることができる。以前、「頭上建築展」というのをラフォーレ原宿でやったことがあって、それはアタマの上にも建築は作り得るという考え方なのです。

桑原 へぇ?、それは面白いね。

ヴィヴィアン 自分の女装論や映画論にもつながるのですけれど、「オリジナルはどこにあるのか?」「本当はないのではないのか?」というのが共通のテーマで。私は女性になりたいわけでも、ニューハーフになりたいわけでも、ある特定の性別に憧れているわけでもなくて。そのスタンスで物事を見ているので、映画に関しても、なるべく誤読する手法をとっているのです。普通にストーリーを追うのではなく、まったく違う文脈から新しい見方を提示する。ロケ地の歴史や事件をさかのぼったり、役者のクセや家族構成とか、これまでに出演した作品と関連づけてみたり。そうやって別の文脈を持ち込むことで、奇妙な観念が生まれて、面白い深読みができるのです。さらには、観ている側こそが作り手なのではないかという錯覚も生まれてくる。私はすべての人にクリエイティブであることを要求する、ミスリードの女王、Miss.リードなのです(笑)

桑原 アハハハ、でも物事を違う角度から見るって大事だよね。ヴィヴィアンは、最近青森の七戸町で「七戸ドラキュラフェスタ2014」という町おこしをディレクションしたと聞いたんだけど。

ヴィヴィアン ドラキュラっていうのは私が決めたわけではなくて、青森の七戸はにんにくの生産地であり、原種に近い有機トマトの生産地。さらに、第二種絶滅危惧種のヒナコウモリの繁殖地として知られる天間舘(てんまだて)神社と、七戸城っていう中世のお城、それら4つのキーワードからドラキュラを観光資源にしているのですね。イベントは2013年から始まって、今年から私がディレクターとして関わらせていただいているのです。そこでまず考えたことは、たった一日のイベントにおける成功や失敗とは何なんだろうっていうこと。お客さんがいっぱい来て、盛り上がって、楽しかったというだけでいいのかと疑問に思って。七戸はシャッター商店街も多いですし、すでに更地になっていたり、日本の地方都市では決して珍しくないケースですが、主人が自分自身で誤った責任の取り方をしてしまったりしてしまいます。大変な死活問題です。中央集権的な一元的な経済的価値観が起こした弊害の一つです。そういう状況で、文化祭のようなイベントをやって、楽しかっただけでは何の意味もない。

桑原 うん。

ヴィヴィアン そこに住んでいる人たちが、その町ならではの時間や空間、アイディンティティに気付くことができるものにしたかったのです。イベント自体は一日なのですけど、3〜4ヵ月前から行ったり来たりして、最終的に5つのワークショップをやりました。朝の9時から女装して役場の会議に出たり、商店街と交渉したりと大変でしたけどね(笑)。でも、そういうプロセスや奮闘、努力こそがイベントなのかなという。

桑原 本当にそう思うなぁ。でも、最初はみんな驚いただろうね。

ヴィヴィアン それはびっくりしますよね(笑)。でも、私のお化粧が濃いからかもしれませんけど、会うたびにマダムのメイクが濃くなっていったのですよ。

桑原 アハハハ、ヴィヴィアンの捨て身の活動が忘れていた女性の楽しさを呼び起こしたんだ、最高だね。

ヴィヴィアン 七戸の商店街って、もともとお城と共に出来た神社やお寺の門前町なのですよ。それが宿場町になり、いわゆる地方の商店街になり、バブルが弾けて更地が目立つようになっていく。一般的に、東京や大阪、名古屋のように強くて大きくて早い経済こそ正しいという考え方がありますけど、里山資本主義のように、実はもっと違う考え方もあるはずなのです。町おこしというと、B級グルメグランプリみたいなものもありますけど、それで瞬間的に経済が潤ったとしても、結局は同じことなのですよね。そうではなくて、もっと違う独自の価値観があることを町の人、老若男女に気付いて欲しいなって。そのためのワークショップだったのです。

桑原 具体的にはどんなことをやったの?

ヴィヴィアン ひとつは「自分地図を作る」という空間に関するワークショップ。自分の家、学校や職場、馴染みのある場所、その3カ所を含めた地図を描いてもらって。そのなかに、昔好きだった子が住んでいた場所や、自転車で転んだ場所など自分の歴史を書き込んでいくのです。つまり、自分なりの時間軸が入ったものを完成させていく。地図は自分と世界を認識するものですけど、それを誰かに伝える役目もある。もちろん、自分にしかわからない地図でもいいですし、それを未来の自分に伝えることもできる。

桑原 参加者が能動的に未来を描くって、素晴らしい提案のワークショップだね。

ヴィヴィアン 時間に関してのワークショップでは、「ここではない<ここ>にいる人たちへのラブレター」というのをやって。一般的に、過去・現在・未来は一方向に流れていて、過去は変わることのないものだと思われていますよね? でも、現在のなかには過去もあって、未来からの影響も受けていると思うのです。そこで、七戸の町を作った昔の人や、亡くなった家族、古い友だち、これから七戸に住む人、未来の自分などに向けてラブレターを書く。ラブレターにすることで、亡くなった人や悲しい出来事を救済することもできるし、未来への希望も生まれると思うのです。

桑原 そうだよね、過去も現在も未来も同時に今も動いているからね。みんなが信じ込んでいる過去が止まっているという価値観は私は間違いだと思っている。

ヴィヴィアン その他には、段ボールで、お店や商品を作って並べて、小売りについて学ぶキッザニアのようなワークショップや、町の古い歴史を個人の体験をもとに語ってもらい、逸話とともにその人自身を映像に残してファイリングしてしまうというワークショップもしましたね。

桑原 それは作らない建築を学ぶことにつながっているし、それはもはやヴィヴィアンの個展でもあるよね。

ヴィヴィアン 個展というと語弊がありますけど、一種の社会彫刻かもしれないですね。もしかしたら、これからの町おこしは新しいものではなく、もっともっと古いものやその仕組みを見直すことが大事かもしれない。

桑原 これまでの話を聞いて、ヴィヴィアンのやりたいこと、目指していることがわかってきたんだけど。やっぱり、従来の社会システムのなかで作られた価値観に対して、それは本当に正しいのか? ってことを言いたいんだなって。オリジナリティとか、新しい価値観を提案する役割りを背負っていて、価値観の転換を図るには、奇抜にみえるドラァグクイーンと呼ばれるヴィジュアルも含めてその行為のすべてが必要だったんだと思う。僕はパーティで何度かお目にかかっているけど、会った瞬間、左脳が停止し右脳が喜び始めるからね(笑)

ヴィヴィアン こういう格好をしていると、良いことと悪いことがあって。いろんな人に届きやすい反面、それ以上見ようとしない人もいますよ。「今日は地味ですね」とか声をかけられたり(笑)。地味とか派手でやっているわけではないのにね。

桑原 肉体的なパフォーマンスなんだと感じていますよ。つまり、スケートボードで転んで、全身で痛い!と感じる瞬間に生きていることを強く実感するように、一瞬の永遠を無意識に感じ取っている生き方というか、ヴィヴィアンの方法論も、それと似たような方法論に思えますね、そもそも、それだけ大きいものをアタマに載せるには、肉体的な実訓練がないとできないしね。

ヴィヴィアン ペンだこみたいに、ズラだこができるのですよ(笑)

桑原 この連載で登場していただいた方々はいずれも社会の面倒な仕組みに与することなく、自分らしく生きてきた人ばかりですが。今日の話もまた、みんなもっと楽しく楽に自由に生きていいんだよ! ってことにつながると思う。

ヴィヴィアン そうですね、凝り固まっていてはダメなのです。七戸に住む人たちも、私が関わることで救われる人がいるかもしれない。それはセクシャルマイノリティという意味だけでなく、あらゆる価値観ですよね。友だちや家族から理解されないで悶々としている人。そういう人たちに、違う生き方もあるよって気付かせることが大事なのです。そのためには、まず自分を知ること。短所が長所になることもあるし、それをどうすれば社会に生かせるのかを考える。自分の特性を知って活かすことは、町おこしも全く同じなのです。他の町と競うのではなくて、自分たちのアイデンティティを知って気付くこと、それを活かすことが大事。結局は、自分らしく生きるってことなのですよね。

桑原 僕たちは、人間とはこういうもの、幸せとはこういうものって、ずっとシステムから押し付けられてがんじがらめになっているわけで。もちろん、染み込んだ習慣を変えることは簡単ではないけれど、左脳の社会だけで生きるのではなく、もっと右脳の役割に気づき仲良くすれば自分の意識はもっと深い安らぎの中で永遠の喜びに浸ることもできるそうだから、これまでとは異なる幸せはすぐ目の前にあると思ったほうがいいようですよ。

ヴィヴィアン そうですよ。しかも人間っていびつな多面体なのです。だから、家族や仲間、同僚のような近しい人が本当に自分のことを知っているかというと疑わしくて。一年に一回しか会わない友だちや、ネットでしか喋ったことのない人、コンサートでしか一緒にならない人とか、そういう自分でも気付かない側面も重要だったりするのです。それを認めることが必要で、広い面だから重要ってわけでもない。

桑原 ほんとだね、まずは自分のほんとうに望んでいることを知ることが大事。意外にそれが難しいんだけど、そこから始めないとだね。今日は、いろいろな話ができて面白かった、ありがとうございました。

VIVIENN SATO / ヴィヴィアン佐藤

美術家、非建築家、映画批評家、プロモーター、ドラァグクイーン…とさまざまな顔を持つ。ジャンルを横断していきながら、独自の見解で「トーキョー」と「現代」を乗りこなす。自身の作品製作のみならず、「同時代性」をキーワードに映画や演劇、ライヴなどを、単なる受け取る側としてではないプロモーション活動も展開。 バーニーズNY、ヴーヴクリコ、LANVIN、MILKFEDなどのディスプレイや作品を提供。野宮真貴や故山口小夜子、故野田凪、古澤巌など個性派美学を持つアーティストとの仕事も多い。2012年からvantanバンタンデザイン研究所で教鞭を持つ。