未来は過去にある
ー日常と非日常にみる個性の輝きー
「PHOTOGRAPHIC MEMORY 」(WILLIAM CLAXTON)。 僕にとってCLAXTONの写真集はミステリアスな非日常。この本を見て感じることは、写真としての完成度と被写体として選ばれた人々の素晴らしさにあると思う。1950年代半ば、ハリウッドで活躍した芸術家たち。トップサイダーのスニーカーやツイードのジャケットがひかり輝いて見える。特別な人たちが身に着けているからこそ、ひとつひとつがひかりを放っているのかもしれない。僕には長い間、常に思って来たことがある。欲しいと思っていた服を手に入れて、初めて身に付ける瞬間の緊張や興奮。その感激も素晴らしいものだけれど。それ以上に、袖を通した瞬間に自分とそれとが一体化して、服の背景や過程がオーラとして乗り移り、色褪せない特別なひかりが生まれることを望む。歴史の中で裏打ちされてきた物にはオーラがある。平凡な日常を過ごしている自分にとって、そのパワーを感じるときが幸せに出会うときなのだ。この写真集からは、かつてのハリウッドが持っていたムードや個性を見て取ることができる。
一方で、ムードや個性というものが日常にも存在することを証明してくれるのが、「RFK FUNERAL TRAIN」(PAUL FUSCO)だ。兄の意思を引き継ぎ、理想に燃えたRFK。その遺体を乗せた電車に向け、悲しみを抑え黙祷を捧げる民衆。非日常であるこの出来事に、多くは普段着のままで見送っている。そんな自然な心情風景を表した特別な写真集。NYの都市生活者から地方都市に住むリアルな人々まで、1960年代後半のゴ?ルデンジェネレ?ションを中心として古き良き時代のアメリカが映し出されている。混沌が終わり、すべてが都会的に洗練されていく時代。当時、アメリカの家庭に一家に一冊はあった、ぶ厚い通販カタログ「シア?ズロ?バック」や「JCぺニ?」が提案する日常。そのライフスタイルがまさにこれなのである。ここに映っている人たちは、映画でいえばその他大勢のエキストラ。しかし、それぞれが特別なオーラを放っている。今見ても色褪せないのは、そこにドリームがあったからだろう。そんな彼らの姿にもまた着こなしのヒントがある。