音SHIPS
?注目アーティストの友だち巡り・Metome編
tofubeatsさん → Seihoさんと、いま話題のアーティストが立て続けに登場しているSHIPS MAG。そこで、今号からアーティストのお友だちの輪を巡っていく連載がスタート。第1回目は、Seihoさんからのご紹介で大阪のMetomeさんが登場。エレクトロニカを基調としながら、クロスオーバーにどんどんと広がる音世界でいまや注目の的。そんな彼の軌跡をお伺いしました。
ーーSeihoさんからは「Metomeくんとはすごく共感する部分が多いから」という理由で推薦を頂きました。今日はよろしくお願いします。まずは、ふたりの出会いはいつ頃だったのですか。
Metome 大阪に、Eadonmm(イードン)という方がやっている『アイドルモーメンツ』というイベントがあるんです。今もそうですけど、最初の頃はもっと情報交換の場みたいな側面が強くて。数少ない実験的なミュージシャンが出演しているイベントなんです。あとは、And Vice Versa(アンド・ヴァイス・ヴァーサ)のクボマサユキさんがやられている、『INNIT(イニー)』というイベント。そのふたつがシーンの軸になっていて、SeihoくんとかMadeggくんとかと出会うきっかけになりましたね。Seihoくんが人気者になってからはお客さんも増え始めて、当初は50人くらいだったのがいまは200〜250人くらい入るようになりました。
ーーそれは、いわゆるクラブイベントとは違う雰囲気なんですか。
Metome 人を踊らせるというよりは、もっと実験的というかアンダーグラウンドな音ですね。でも、徐々にみんなの方向性が広がってきて、よりポップな方向にいく人、より実験的になる人など両極端になってきています。その感じがうまくシーンになって、アジアや欧米にクルーとして出ていけたらいいですね。すでに、東京にはよく呼ばれるようになったんですけど。
ーー音楽を作るようになったキッカケというか、今のような音が好きになったキッカケは何かありますか。
Metome 両親はAORとか和ジャズを聴いていたみたいですけど、あまりそこに影響されることはなかったですね。小学生の頃はポップスとかロックが好きで、そこからジャズ、フュージョン、ファンク方面に流れて。そこから音響系に流れて、エレクトロニカとかグリッジに行った感じですね。高校時代は軽音部だったんですよ。それで音大を受けようとしたら、願書の締め切りが終わっていて(笑)。洋服にも興味があったんで、何となく服飾の学校に行って。
ーー音大受験?
Metome いや、ただ何も考えていなかったんです。音大を意識したのも、家の近所にあるし近いなってくらいで。音楽といっても、ギター、ベース、それに鍵盤がちょっと弾けた程度でしたから。
ーーそこから服飾の学校へ行ったというのも、なんか意外な感じがしました。
Metome 学校ではずっと服を作っていましたよ、音楽はたまに作る程度。その頃は、僕の中で東京コレクションがすごく面白かった時期で、Taro Horiuchi、mintdesigns、ミキオサカベとかが出てきた頃なんです。あと、writtenafterwardsとか。そういう、少しコンセプチュアルな服が好きでしたね。当時、服飾のコンペで賞を貰うことが何回かあって、まとまった金額がいっきに入ったので、モニタースピーカーとか鍵盤とか、音楽の機材を揃えていったんです。
ーーすごい、服作りの才能もあったんですね。いまも洋服はお好きですか。
Metome リック・オウエンスが、RP Booの曲をショーに使ったりとか、シャネルがアンディ・ストットの曲を使ったとか、そこに興奮することはありますね。最近はブランド系じゃない、いわゆる街の古着屋さんで掘り出し物を探すのが好きですね。貝ボタンになっているかとか、細かい仕様はつい見ちゃいますね。とはいっても、安いものしか買ってないですよ。この眼鏡も度入りで3本で5000円! 「松倉めがね」っていうローカルでは有名な眼鏡屋さんがあって。1本買ったら、2本おまけで付いてくる(笑)。
ーーその眼鏡屋さんすごい(笑)。今度、行ってみたいな?。それで、洋服を作りながら音楽制作を始めた頃は、どんなサウンドだったのですか。
Metome エレクトロニカ全盛期で、日本人だったら、Aoki Takamasaさんとか半野喜弘さんとかレイハラカミさんとか、ああいう感じですね。Seihoくんも当時はそういう音を作っていました。たぶん、tofubeatsさんはその頃ヒップホップだったと思うので、僕らとはちょっと違うんですよね。
ーーMetomeとして、アーティスト活動を始めたのは2011年頃ですが、名前にはどんな意味を込めているのですか。
Metome よく聞かれるんですけど、あんまり意味はなくて。「トマト」とか「新聞紙」みたいな、前から後ろから呼んでも同じみたいな、ただの言葉の響きですね。SoraさんとかAmetsubさんとか、ちょっと可愛らしい名前が僕の中で流行ってたんです。そうい感じでMetomeにして、ちょっと後悔してた時期もあったんですけど。
ーーえぇ?、なんでですか?
Metome 今はもう気に入っているんですけど、街で「メトメさん」とか言われると恥ずかしかった時期があって(笑)。
ーーそれって、自分自身がその名前に慣れていなかったんでしょうね。前回、Seihoさんは音作りをする際に、質感とか空間を想像しながら作ると仰っていましたが、Metomeさんはどう作っていますか。
Metome 僕もそのタイプで、意識しているのは重力と磁力。アルバムを聴いて貰えるとわかるんですけど、砂鉄が磁石に引っ付く感じとか、ヘリウムの風船が浮いている感じとか。そう言うと、アカデミックでロジカルな発想に聞こえるかもしれないですけど、ビブラフォン(金管)を聞いたときの質感に似ているんですよね。重力とか磁力とか言っていますけど、言葉の選び方の問題だけで、実際はもっと自然な音として楽しんでいます。
ーー自身のCDジャケットなど、グラフィックもやられていますよね。あれもすごくかっこいい。
Metome ずっと好きなんですよね。曲のイメージは自分が一番理解しているので、その分かたちにしやすいんだと思います。技術的に不可能なものは誰かにお願いすることがあるかもしれませんけど、今後もできる限り自分でやっていきたいです。
Metome - Paper Moon from Asami Ike on Vimeo.
ーー最近は海外でも徐々に話題になってきていますが、反応などは日本とは違いますか。
Metome まだそんなに話題になってないですよ(笑)。でも、あんまり差異は感じないですね。僕の感覚的には、世界は日本と海外とインターネットに分かれているんです。その中で、インターネットの住民は、世界中あまり変わらない気がしますね。先日、アメリカツアーをしたSeihoくんたちが、「シアトルが一番受け入れてくれた」と言っていたんです。シアトルは学生の街だから、みんなインターネットで情報を得ているんですよね。共有しているものが同じだから、日本とほとんど変わらないというのはあると思います。
ーーなるほど。それはあるかもしれないですね。東京のイメージはどうですか。
Metome 東京の人がよく「大阪いいよね」って言うんですけど、全然わかんないですね。隣の芝生が青く見えているだけだと思うんです。ただ、東京は人口も多いし、環境も整っていますけど、その分生き残りも激しくて、細分化してますよね。関西は細分化されずに、各シーンがひとつしかないですから。その分、無理して生き残るという感じもなくて、逆にずっと夢を見れる街。東京でツワモノたちをいっぱい見ちゃったら、自信をなくして辞めちゃうと思うんですよね。大阪はそれがない。
ーー活動拠点を東京にしようかと考えることはありますか。
Metome いまのところ東京のメリットはあまりないですね。仕事の必要に迫られたら、東京でもいいんですけど。
ーー最後に、今後の予定を教えてください。
Metome 12月末にLAへ行くことになっているので、そこで軽いツアーができたらいいなと思います。リミックスをさせて貰ったアーティストが何人かいるので、彼らにも会いたいですね。あとはアルバムの制作。それと、今度Jazzanovaさんのリミックスをやります。この話を頂いたときは嬉しかったですね。
ーー楽しみにしています。今日はありがとうございました。
Metome メトメ
大阪府出身。高校時代よりパソコンで音楽を作り始め、服飾学校時代により本格的に制作を開始。現在は、Takahiro Uchiboriによるソロ・プロジェクトとしてMetome名義で活動している。
IdleMoments、INNI、LifeForce、BRDG、2.5D、DOMMUNEなどに出演。
http://met0me.net/