Spectators Evergreen Library 緑色世代の読書案内vol.3
SHIPS MAG読者のみなさん、こんにちは。
スペクテイター編集部の青野です。
時代を超えて読み継がれるべき本を紹介する連載。
これまではスペクテイター最新号の特集記事に合わせて関連書籍を紹介してきましたが、今回は少し趣向を変えて、僕が個人的に注目している書き手について話をしたいと思います。
その書き手とは、最新27号「小商い特集」の取材にも応じてくださった大先輩の阿奈井文彦さんです。阿奈井さんのインタビュー記事が作られるまでの舞台裏エピソードとして、本誌とあわせて読んでもらえたら嬉しいです。
特別編ということで文字数も多く、いつもとは文体も変えてお送りさせていただきますので、アシカラズ。
ぼくが初めて読んだ阿奈井文彦さんの文章は、『宝島』という雑誌に掲載された「ボディ・トリップ 「こころ」から「からだ」への旅」というレポートだった。
野口体操をテーマに書かれたその独特な文章を初めて読んだときの衝撃は今でもハッキリと覚えている。
野口体操とは、野口三千三(1914 - 1998)という人物が考案した有名な健康法だ。
「人間の潜在的に持っている可能性を最大限に発揮できる状態を準備すること」を目的とするとウィキペディアでは解説されているが、ここでは野口体操については語らない。くわしく知りたい人は、野口自身の著書など関連書籍を参照してみてほしい。僕が語ろうとしているのは、やや難解な印象を受ける野口体操の思想や体系を、だれにでも理解できるようなやさしい言葉で「わかりやすく」説いてみせた、阿奈井さんの「こころ」と「からだ」にまつわる文章についてなのだ。
そんな問いかけから始まる文章は、野口体操の考え方を踏まえながら自らの体操体験を通じて発見したことを、阿奈井さん自身の言葉で綴ったものだった。
たとえば、こんな調子で。
ふむふむ、なるほどと膝を打ちながら読みすすんでいくと、今度は「さかだち」の動きについての記述がある。
さらに文章は続く。
まるで禅問答のような言葉の流れを目で追っていくと、これまでいかに自分の頭がカラダの動きに無自覚で、自己の身体の動きを制限していたかと気づかされていくことになる。
誤解のないように断っておくと、これは阿奈井さんの文章の一部だけを抜粋した抄訳みたいなもので、詳しくは『宝島』のバックナンバーか単行本『からだとの対話 ぼくの野口体操入門記』(現代書館)に再録されている同記事を図書館などで探して読んでみてほしいのだけれど、ただでさえ活字を通じて他人に理解させるのが難しい「身体」と「こころ」の関係について、平易な言葉をつかってわかりやすく解説してくれている阿奈井さんの表現力に僕は目を見開かされた。例えるならば、あたかも活字によるトリップを体験したみたいな気がしたのだ。
この言葉の使い手は、いったいどんな人なのか? 気になって阿奈井さんの著書を古書店でまとめ買いしたのだけれど、なぜか何年も積ン読状態になっていた。
それから何年かが過ぎ、スペクテイターで「小商い」特集を組むことになったとき、さまざまな職業の人たちへの聞き書きをまとめた阿奈井さんの著作『アホウドリの仕事大全』(現代書館)を本棚から発掘し、お話を伺うことになったというわけだ。まるで旧い友達と何年か越しに再会したような、そんな不思議な出来事が起こるのが本との付き合い方の魅力のひとつだと僕は思うのだけど、どうだろう。
取材の結果については『スペクテイター』27号で確認して欲しいのだけれど、本棚に長いこと積みっぱなしになっていた阿奈井さんの本を精読してみたら、どれも腑に落ちる話ばかりで、ページをめくる手がとめられなくなってしまった。
ふと思い立って青森から鹿児島までを長距離バスで旅してみたり、ヒッピーの暮らす島を訪ねてみたり、二千円で何ができるかと町をぶらついてみたりと、「やってみた系」のルポが多いのだけど、いずれも40年近くも前に書かれた記事であるにもかかわらず不思議と古さを感じさせず心に響く内容で、もっと早くにこの腕のある若い書き手と知り合っていたら原稿依頼をしていたのにと悔やんだものだった。もっとも、それは40年前にタイムスリップでもしなければ叶わない夢でもあるのだけれど…。
阿奈井さんは1938年朝鮮(現韓国)で生まれ、小学一年生のときに家族と日本へ引き揚げ、大分県で少年時代を過ごした。その後、同志社大学文学部へ進学するも単位不足で退学。教壇に立っていた鶴見俊輔氏の紹介で東京のクズ屋で働きはじめ、その傍らで「ベトナムに平和を! 市民連合」の事務局員として活動し、1966年から67年にかけては戦時下のベトナムに渡り各地を取材。帰国後に文筆家としての活動を本格的に始められた。
70年代から80年代にかけては『面白半分』『思想の科学』『漫画アクション』『婦人公論』などの雑誌に旅や仕事や韓国などを題材にしたルポを寄稿。それらを収めた単行本や小説など15冊以上の単著を発表されている。
阿奈井さんの文章は、どれもとてもわかりやすい。
書かれている内容が頭にスーッと入ってくる気がする。
誰にでもわかりやすい文章を書くということは、とても難しいことだと思う。
僕自身、旅先での出来事や想いを文章で再現しようと試みたが、自分が見た景色や感じたことの半分も伝えられずに業を煮やした経験が何度もある。
見ず知らずの他人である読者にも「わからせる」文章を書くということは、お互いのバックグラウンドも教養の度合いにも左右されないような「わかりやすい」言葉で話をしていかなければならない。
こう言うのは簡単だが、それをやってのけるには相当な客観性や配慮が求められる。
阿奈井さんの文章がわかりやすいのは、自分は他人と違う存在であるということを理解したうえで書かれているからなのだろうか。
フェイスブックやツイッターが全盛の今、多くの人が自分の身の回りの出来事について綴った文章を発信しているけれど、誰にでも「わかる」ようにと読み手を意識して書かれている文章は少ない。
ネットのおかげで互いの状況をあらかた理解できているから余計な配慮は必要ないのか?
それとも僕たちは自分と他人との違いについて想像する力さえも失ってしまっているのか?
ごくありふれた日常について書かれているようで、実はとても哲学的な問いが含まれている阿奈井さんの文章は、今読んでも数々の気づきを与えてくれる。
わかりやすいことに加えて阿奈井さんの文章のもうひとつの特徴は「頭のなかで声が聞こえる」ということではないかと僕は思う。
「声」については、先述の『宝島』の編集長をつとめた北山耕平さんが、60年代のアメリカで生まれた文芸運動のひとつであるニュージャーナリズムについて言及された言葉を引用してみたい。
北山さんの言うように、ある意識を持った人だけが「声」を発することができるとしたら、では、その意識はどうやって作られるのか?
きっと、さまざまな経験や研鑽を積み重ねることにより育まれるもので、一朝一夕にはいかないものにちがいない。
朝鮮から日本に引き揚げ大学にまで進学したものの、自分の生まれ故郷である朝鮮や幼少期に他界した母親への想いが捨てきれず、定職に就くことに違和感をおぼえ、廃品回収業、反戦平和活動、ベトナム戦争の取材記者など紆余曲折を経て、やがて書き手としての道を進むようになったという阿奈井さん。長い放浪人生を送ってきた阿奈井さんの書く文章から聞こえてくるのは、悩みや迷いを重ねてきた者だからこそ発することのできる、やさしさに満ちた声だ。
大きな声、囁くような声、ぶっきらぼうな声。声にもいろいろあるけれど、たとえ多数派とは意見が異なっても勇気をもって「王様は裸だ!」と言える、書き手の正直な声を多くの人の耳に届けたいという気持ちだけで僕はこれまで雑誌を続けてきた気がする。
この気持ちをキープしながら、多くの人に「わかって」もらえるような雑誌を作り続けていくには、どんな心持ちでのぞめば良いのだろう。
今度また阿奈井さんと会う機会があったら、そのあたりの話をうかがってみたいと思っている。
反戦平和運動体「ベトナムに平和を! 連合」の事務局員をつとめていた阿奈井さんが当時を振り返りながらベトナム脱走兵への援助活動経験について綴った短編ノンフィクション集。ゲーリー・スナイダー、小田実、開高健、ヤマギシ会…激動の時代の空気を知るうえで重要なキーワードやエピソードが満載。
1977年から84年にかけて様々な雑誌に寄稿したトラベル・ライティングの傑作選。青森から鹿児島までを縦横無尽に飛び回り、行く先々で出会った名も無き人との対話をもとに人間ドラマが描かれている。アホウドリの俳号を掲げた著者による日本再発見の旅の記録。
およそ一年間(1977年)に『宝島』や『オール読物』などの雑誌に寄稿した短編ルポを集めたアンソロジー。「2000円でいかに愉しく遊ぶことができるか?」という命題を掲げて東京の町を歩き回る体験ルポなど、ユニークなテーマ設定と軽妙な語り口で楽しませてくれる一冊。
阿奈井さん初の書き下ろしによる自伝的小説。日本占領下時代の朝鮮での暮らしぶりや人間模様が、終戦前の夏に病気で母親を亡くした主人公フミヒコの目を通して描かれている。韓国に関する著作も多い阿奈井さんの生まれ故郷へ寄せる想いが詰まった一冊。
さまざまな職業に就く人を訪ねて話を聞いたインタビュー集。昭和時代の日本人の職業観が聞き書き形式で活き活きと描かれている。雑誌『婦人公論』で約10年に渡って続けられた連載が、本書と『商売繁盛』(中公新書)の二冊に収められた。うち二編をスペクテイター最新号「小商い特集」に収録。
青野利光
1967年生まれ。エディトリアル・デパートメント代表。
大学卒業後、2年間の商社勤務を経て、学生時代から制作に関わっていたカルチャーマガジン『Bar-f-Out!』の専属スタッフ。1999年、スペクテイター創刊。2000年に現在の会社を設立。昨年の夏から長野市に活動の拠点を移して出版編集活動を続けている。