たまには旅に連れてって?
連載4回目にして連れて行く場所がなくなった俺は一人旅に出ることにした。妻には置き手紙を残して(実際は土下座して懇願)。一人旅、拷問のように感じる淑女の方々もいらっしゃるかと存じたてまつるが、これほど自由なものはないんですよ。だって成田でいきなりとんかつ食ったりビール飲んだりできるのですよ。別にどうでもいい? はい、すみません。しかしまあ、一人ならば背負うべき荷なんてほとんどない。
南東アラスカの州都・ジュノーで数日ダメな感じのはぐれ者たちとダメな時間を過ごし、それでいて晴れやかな気持ちで荒野をゆく。「人間最期は独りなのだ。独りにもなれない男が女と二人になれるものか……」などと哲学しながら、俺はインサイド・パッセージと呼ばれる海の小道を走るフェリーに揺られている。甲板に出れば、何食わぬ顔で闊歩している野生動物たちを目撃できる。遠目には熊の姿も見える。どうせ独りなんだ。「アーッ! 熊ちゃ〜んだああ〜、お魚さ〜んだああ〜」とだらしなくはしゃいでも全然問題ない(たぶん)。
フェリーを降り、漁師が夏の間だけ出す小船をチャーターして州立のキャビンに着く。キャビンとは要するに三角屋根の素敵な小さな家だ。満ち潮時でないと船は着岸できないから、引き潮になれば完全に孤立する。野生の中に独りぼっち。なんて詩的なシチュエーションなのだろうか。陽も暮れたので薪を割り、火を熾す。メシはカリフォルニア米とキングサーモンを一緒に炊き込んだ「サケご飯」のみ。それに中国製の醤油をぶっかけて食らう。音といえば、時折バチッバチッというラップ音にも似た炎が生み出すそれと、遠くで聞こえるオオカミの鳴き声だけだ。文庫本を数十ページめくればやがて睡魔が襲ってくる。そして寝袋にくるまってぐっすり眠りこけるのだ。ただそれだけの時間。何もしない、携帯も鳴らない、sadなネットNEWSも流れない状態をほんの少し得るだけで再起動できるのだから、人間はこの上なく便利なイキモノであろう。
翌日、満ち満ちた海面を一艘のカヤックがアメンボのような動きでやって来る。いよいよ氷河を眼前で見られるのだ。アラスカに移住したという男がスイスイとカヤックを操り、氷河に近づいていく。そして氷の塊は、手に届きそうな近さで浮いているではないか。何万年もの時間を閉じ込めた水の塊。間近で見るとその蒼さに見惚れてしまう。前に乗るカヤック使いの相棒が、浮いた氷河の欠片をinしてウイスキー・ロックを差し出す。なんてイカした男なのだろう。乾杯しながら「冬はカニ漁に出る。夏の客はお前だけだ」と寡黙な男はポツポツと言葉少なに話す。以前はNYで証券マンをやっていて“何らかの不都合が生じて”アラスカに住んで十数年。今は独り身で、元奥さんと子供はNYで幸せに暮らしているという。「カニ漁なんてデンジャラスだろ?過酷な漁場で何人も命を落とすってドキュメンタリーで見たぜ」と俺が放った刹那、男は微笑とともに返す。「ヘイ、メ〜ン、デンジャラスなのは都会も一緒だろ?ストレスで身体も精神もイカれちまうヤツだっているだろう」
俺は近代的なシアトル空港のバーガーキングでフライドポテトをぱくつきながら手紙を書いている。
“ひとりでアラスカに行けてよかった。今度は連れて行くよ。意外に近代的なホテルもたくさんあるし、冬にオーロラをふたりで眺めるなんてのはどうかな?じゃあ、もうすぐマイ・ホームに帰るよ”
加藤直徳(かとうなおのり)
1975年生まれ。編集者。出版社で「NEUTRAL」を立ち上げ、euphoria FACTORYに所属。現在トラベルカルチャー誌「TRANSIT」編集長を努めている。
www.transit.ne.jp
TRANSIT 16号
最新「ドイツ特集」16号が3月23日(金)にリリース!