一期一会  選・桑原茂一 ゲスト:大沢伸一 一期一会  選・桑原茂一 ゲスト:大沢伸一

一期一会
選・桑原茂一 ゲスト:大沢伸一

毎号、各ジャンルで活躍されているゲストをお招きし、その生き方を伺う本連載。今回は、ベーシストでありDJ、プロデューサーの大沢伸一さんが登場。大沢さんがプロデュースされている『GINZA MUSIC BAR』にて、過去・現在・未来の話をたっぷり伺いました。

一期一会 選・桑原茂一 ゲスト:大沢伸一

MONDO GROSSOのメンバーと上京してすぐの頃

桑原 大沢さんと初めてお会いしたのは、A.P.Cのデザイナーであるジャン・トゥイトゥが初来日したときでしたよね。彼が「ベースプレイヤーを集めた会をやりたい」とか言い出して。

大沢 最初はどうしていいかわからなかったです(笑)

桑原 3そんな空気を察した(藤原)ヒロシがDJを始めてくれて、最終的にはいい感じになりましたよね。以来、ラジオ用の選曲など、いつもお願いばかりしてしまっていて。

大沢 いえいえ。

桑原 まずは昔話からお聞きしたいのですけど。大沢さんたちはMONDO GROSSOとして上京されてすぐ、沖野(修也)さんを先頭に『THE ROOM』(渋谷にあるクラブ)を作られましたよね。若くして「場」を作ったのは、自分たちがそういう場所で音楽を育んできたという経験が大きかったんですか?

大沢 そんなにかっこいい大義があったわけでもないんです。当時、沖野くんはMONDO GROSSOのマネージャーで、僕らバンドメンバーと一緒に上京してすぐは、みんなとにかく行く場所がなかった。最初は建設会社の寮みたいなところにお世話になっていて、2DKのアパートに、現場で働く人と昼夜を逆転して住まわせてもらっていたんです。だから、夜は出かけないといけなかったんですよ。

桑原 それはいつ頃?

大沢 93年とか94年頃ですかね。そんなときに、「物件があるけどバーでもやってみない?」という話が沖野くんのところにきて。あまりお金のかからない案件だったので、寮で知り合った建築現場系の仲間と「自分たちでできるところまでやってみる?」というような感じで始まったんです。

桑原 へぇ〜。でも、沖野くんも初めて会ったときから「面白い人だな〜」と思いましたよ。ある日、彼がうちの事務所にいて、ジャズメンがマスターベーションをしている絵を描いていた(笑)。そんな出会いでしたけど、これから何かを始める人たち特有の無垢なエネルギーがあって。その後すぐにTHE ROOMを始めて、世の中の立ち回り方もうまいなって関心したんです。

大沢 あの頃はとにかくお金を稼がなくてはいけなかったですし、たとえメジャーと契約ができたとしても、僕らのようなニッチな音楽で成功するのは難しいと思っていましたから。やむにやまれずっていう部分が大きかったんです。

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わりとグチグチ悩むタイプなんです(大沢)

桑原 でも、MONDO GROSSOですぐに頭角を現して、その後はプロデュースやリミックスの仕事もたくさんやられて。第三者からすると、それらが常に話題になって、すべてを芸の肥やしにしながら広げていったように見えました。夜に思いついたことが、朝には叶っているかのような。でも、それこそが僕が思う成功者なんです。たくさんお金を稼ぐこともよりも素敵な人生だと思う。しかも、沖野くんはああ見えて悩んで耐え忍ぶタイプだろうけど、大沢さんは飄々とやっている感じに見える。

大沢 いやいや、僕からすると沖野くんのほうが飄々とやっているように見えます。僕はわりとグチグチ悩むタイプなんですよ。悩んで悩んで、ひとつずつクリアにしていくタイプ。そうやって進まないと、僕の場合はうまく行かない。なので、茂一さんが想像されているイメージとは違ったりします。

桑原 そう言われてみると、ラジオ番組の選曲をしていただいたときに「すごくじっくりと取り組む方なんだな」って思った記憶があります。

大沢 ありがとうございます。

桑原 でも、いろいろな仕事をやられてるということは、スイッチの切り替えがうまいんじゃないですか?

大沢 切り替えられているのではなくて、相互作用というか、影響しあってやれている気がします。ひとつのことに集中すると、逆に立ち行かないことがあるかもしれない。MONDO GROSSOとして音楽に集中していいよ」と言われた初期のほうが難産でしたから。というのも、他のことをやらずに音楽だけで食べていける、それが馴染まなくて。

桑原 これまでの経験が染み込んでいたわけですね。

大沢 「音楽に集中しないといけない」ことが怖いというか、プレッシャーになるんです。いろんなお仕事をいただいて、いろいろやっているほうがうまく行くような節がありますね。

桑原 でも、脳の働きからすると、いくつかのことを並行してやったほうがいいようですよ。ひとつのことに集中し過ぎると、やめどきを見失ったりする。

大沢 よくあります。通り越しちゃうんですよね。

桑原 通り越した先って、魑魅魍魎の世界でなかなか戻れない(笑)。

大沢 そうなんです、スタッフには「越えてるよ〜」ってよく言われます。

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なんで人と同じものが好きじゃないといけないの?(大沢)

大沢 僕からもお聞きしたいんですけど、自分は80年代を境に音楽に傾倒していって、茂一さんたちにものすごく影響を受けているんです。あの頃の原動力は何だったんですか? 今とは随分違う気がしますけど。

桑原 僕の場合、19歳くらいからお店をやっているんです。米軍基地の近くで兵隊たち相手にレコードをかけて、お酒を飲ますみたいなお店。なので、人よりも先に大人になったような気がしていたし、生意気で、社会に対してすごく反抗的だった。そんなとき、雑誌『ローリングストーンズ』の日本版に関わるようになって、カウンターカルチャーというものを知って、反抗もまた文化であることがわかった。時代的にもベトナム戦争やラブ&ピースの時代だったし、日常の価値観をいかに変えるか、周囲を取り巻く価値観をどうヒッペ返すか、原動力はそれだけですよ。

大沢 だとしたら、茂一さんたちの「想い」を僕はわりと真っ当に受け取っていたかもしれない。

桑原 ただ噛み付いても意味がなくて、知恵を使わないといけないことは経験が教えてくれました。そのうえで表現の自由をどこまで貫けるかだと思うんです。死ぬまでに何ができるかわからないですけど、そこだけは諦める気がない。でも、僕から見ると大沢さんたちの世代は、自由にのびのびと表現されていて素晴らしいなと思いますよ。

大沢 ありがたいなと思っています。僕の場合は、83〜85年あたりに大津の駅前にあった大きめのレコード屋さんでアルバイトを始めたのがきっかけで。店長が大らかな人だったので、『スネークマンショー』やら海外のニューウェーブやらを好き勝手に仕入れて、それを給料天引きで買ったり、カセットに録音して持ち帰ったりしていたんです。でも、学校には音楽の趣味が合う人がいなかった。YMOはすでに社会現象でしたけど、本気で好きな人はいなくて、周囲からは「なんでそんなもん好きなの?」という扱い。「あいつは変わっている」と言われると優越感と不安がない交ぜになるんですけど、それを解決する手段もまたレコードや雑誌だったんです。

桑原 うん。

大沢 根底にあったのは「なんで人と同じものが好きじゃないといけないの?」という素朴な疑問。そんなとき、日本で信頼できるのはYMO周辺の人たちしかいないなかった。一方で、「テレビによく出てくる人たちとは明らかに違うことを、この人たちはなんでやっているんだろう?」という興味が湧いてきて。そこから雑誌を読み漁ったり、ライブを観に行ったり、ラジオやレコードを聴いたりしたのが初期衝動なんです。

桑原 そうなんだ。

大沢 でも、その後京都に行っても同じ感性を持った人がたくさんいるわけではなかった。ただありがたいことに、「俺とお前は違う」ということを受け入れてくれる大人がいたんです。あれがなかったら音楽をやっていなかったと思う。結婚して当たり前、子どもがいて当たり前という人生からは外れてしまいましたけど(笑)

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お店は生き物なんだとわかった(大沢)

桑原 この店(GINZA MUSIC BAR)は4年目を迎えられましたが、人が集まる場を銀座でやられていて良かったことはありますか?

大沢 う〜ん、なんだか自分の想像とは違う歩みになっていて。茂一さんやその周辺の方々に影響を受けているので、やっぱりカルチャーに根ざしたうえでカウンター的なことをやりたい。でも、この20年近くはメインストリームが何かもわからない状況で、声の大きい人が勝ったり、数の論理に負けている人ばかり。そんな時代に何がやれるのかということで、小さくてもいいから自分たちの好きな音楽を発信しようと始めたんです。何か新しいカルチャーを生み出したいと思っていましたが、実際にはなかなかうまくいかない。

桑原 はい。

大沢 銀座はいろいろな人がいろいろな目的で来るので、僕らが歓迎しない人も来れば、想像もしなかったような面白い人がきたり、そういう意味で店は生き物なんだなとわかりました。僕らがコントロールできる部分なんて10%にも満たないのかもしれない。でも、自分たちが好きでやっていることですし、当初の「想い」を崩さずにやれている点は感謝で

桑原 コントロールできるのは10%くらいだと受け入れて、この場所をキープしていこうという答えは、人間としてできているなって思いますね。フツーはわがままになってしまうんですよ、雰囲気にそぐわないお客は帰ってもらったりする。

大沢 それやると終わっちゃうんで(笑)

桑原 そうなんですよね。『ピテカン』*1もそうですけど、振り返ってみると他にやり方があったんだろうなと思うんです。でも、18歳くらいのときに影響を受けたのが『ビブロス』*2なんですよ。川端康成の席があったり、菊地武男さんたちの席があったりと店内に固定の位置があって。それがすごく不思議であり脅威でもあった。

*1 桑原茂一がプロデューサーを務めた、ディスコではない日本初のクラブ。1982年に原宿で誕生した。正式名は『ピテカントロプス・エレクトス』
*2 1971年に赤坂でオープンしたディスコ。ドレスコードをおこなった日本初の店でもある。

大沢 なるほど。

桑原 子ども心に「大人って何やってもいいんだ!」って。そういう場所じゃないと場所じゃないと思っていたんですよ。

大沢 僕もそうありたいと思っていますね。

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僕はもう未来のことにしか興味がない(桑原)

桑原 ピテカンだって、ヤクザからジョン・ライドンまでいろいろ来るわけで。そういう人たちをコントロールしたくてもできない、どうしようもない何かがあるわけです。でも、そういう混沌とした場所じゃないと自分がムキになれない。一方で、志が高ければいいわけでもなく、どう現実的に落とし込めるかがその人の力量で。

大沢 そうですよね。

桑原 でも、どんな時代になっても、人と人が出会う場所でしかすごいことは起こらないと思うんです。いくらAIが進化してもね。人間と人間の不思議な出会いがバチバチ起こっているような「場」を作るためには、お店を運営する側はある種の哲学者のような力が要求されるんですよね。

大沢 まさに今そこを考えているんです。最終手段としては「入口でスマホを取り上げるしかない」と思っていて。スマホから世界に繋がっている状態を分断させないと、目の前で起きている素敵なことにみんな向き合えなくなっている。今後、新しいお店をやる機会があれば挑戦してみたいんです。

桑原 なるほど。

大沢 スマホがあることで、処理しないといけない仕事や事情はどんどん増えて行く。でも、そういうものから一旦逃れて楽しむために「音楽」や「夜の文化」は存在していると思っているんです。もちろん、僕だってスマホがないと生きていけない。でも、そこに反抗する動きがあってもいいのかなって。

桑原 スマホを遮断する話とは違うかもしれないけれど、今後は本当の意味での会員制が起こるだろうなと思う。しかも、常に同じ場所にお店があるというよりは、パリのファッションショーのように一夜だけ現れて消えていく。そんな感じでお客さんをいろんな空間に連れていくようなイメージ。バーニングマンに行った人から聞いたけど、あそこでは誰もが「愛を与える以外にない」らしいんです。それがものすごい多幸感らしく、Googleの上層部も来ているとか。でも、今後どうなって行くのかは誰にもわかからないし、だからこそ「どう未来を模索するのか?」ですよね。僕はもう未来のことにしか興味がない。

大沢 そうですよね。

桑原 だって、目の前にあるニュースはあまりにも問題が大きすぎる。見ないふりをするのはイヤだけど、そのことに対して「よくないよね」と不満を言い続けるよりも、「こんないいことがあるよ!」という時間に置き換えていきたい。

大沢 同感です。

桑原 今後、話してもいいことは?

大沢 オーストラリアの女性アーティストと、ふたりでやっているプロジェクトがあります。それは日本で作って世界中に配信するとかではなく、実際にNYやロンドンに行って誰かと話して、自分たちのやっていることに共鳴してくれる人たちがいれば上出来。そんなところから、ひとつずつ生み出していきたいなと思っているんです。というのも、インターネットで世界中にアクセスできているようで、実はすごく制限されている。某ファッションブランドのサイトなんて、日本のIPアドレスだと日本版のページしか見れなかったり。音楽で成功したいなら「このサイトにUPして話題を集めるべし」とか、お約束事も増えている。また、情報が多いから海外に行ったような気になっていますけど、実際は全然リンクできていなかったり。そういう意味でも、自分たちの音楽を世界に届けるという行為はむしろ90年代のときよりも遠くなっている気がしているんです。

桑原 そう考えると、今よりも1/3くらいの時間で移動できるようになるといいですよね。でも、それはすごく希望のある未来的な発想ですね。この時代に日本から何を送り出すのか? そこがずっと気になっているので楽しみにしています。今日はありがとうございました。

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no. 01
Strangers in tHe Night
Frank Sinatra
理由は分かりませんが、クリスマスを思い出す曲の上位なのです。
no. 02
One Christmas For Your Thoughts
Drutti Column
クリスマスイブ深夜などに聴きたい、ドリュッティ・コラムの中でも好きな曲。クリスマスシーズンに限らず聴きます。
no. 03
O Tannenbaum
Vince Guaraldi Trio
クリスマスシーズン〜ニューイヤーまでをNYで過ごした事が一度あるのですが、まさにこの曲が似合う素敵なムードでした。柄でもありませんが、その時期のショッピングなんかは映画の中みたいな気分でした。
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こなさん みんばんわ。
初代選曲家の桑原 茂→です。

今夜のゲスト選曲は、Black on Black 正義のブラック・大沢伸一さんの登場です。
free paper dictionary は今年30周年ですが、大沢さんと知り合ったのもほぼそのぐらい前のことかもしれません。にも関わらず、今回初めてゆっくりお話を聞かせていただきました。

何事に対しても常に本気度100%の達人の笑顔は驚くほど穏やかだった。男は強くなければ優しくなれない。ハードボイルドの鉄則ですが、大沢さんの自信に満ち溢れた物腰が柔らかさに感銘を受けました。今後、AIが世界を大きく変える前触れの時代に、刻々と変化する音楽の役割とは何か?ともすれば、人間は空気感で戦争までしてしまう愚かな生き物。しかも、目下のところ、その空気感を左右する役割も音楽にもある。(とそう信じています。)これからの、大沢さんの活躍から目が離せませんね。
PS*黒を上手に着こなす大沢さんですが、分かった事があります。常に真剣な気持ちで生きる人は黒を着る。しかも黒には様々な黒があるという。これは comme des garcons のファッションショーの20年の選曲を通して学んだ事です。

さて、クリスマス選曲です。この国では、X'mas は 年に一度の、" THAT'S ENTERTAINMENT "
我らの海賊船、PIRATE RADIOも、毎年ゲストをお迎えして、一味違うクリスマス選曲をお送りしています。昨年の狂都三銃士の一人、田中知之さんにつづき、今年も三銃士のメンバー、正義のブラック、
大沢伸一さんの登場です。もう、待ちきれませんね。

で、私のクリスマス選曲も、三銃士の4人目のメンバーである、ダルタニアン、になったつもりでお送りします。(そうそう、NETFLIX、BBC制作の三銃士もなかなかですよ。)

海賊船の出航日は、11月2日金曜日夜11時 mixcloudから。
https://www.mixcloud.com/moichikuwahara/
乗船される方は、同時に、twitterを開き、ハッシュタグ #ckpirate を忘れずに呟いてください。
海賊船「Pirate Radio」でお会いすることを楽しみにしています。

初代選曲家 桑原 茂→

photo

moichi kuwahara PirateRadio Get Happy for X'mas

PROFILE

一期一会 選・桑原茂一 ゲスト:大沢伸一
大沢伸一 | Shinichi Osawa

音楽家、DJ、プロデューサー、選曲家。リミックスを含むプロデュースワークでBOYS NOIZE、BENNY BENASSI、ALEX GOHER、安室奈美恵、JUJU、山下智久などを手がける他、広告音楽、空間音楽やサウンドトラックの制作、アナログレコードにフォーカスしたミュージックバーをプロデュースするなど幅広く活躍。2017年14年振りとなるMONDO GROSSOのアルバム『何度でも新しく生まれる』をリリース。iTunesアルバム総合チャート1位、オリコンアルバムランキング8位、満島ひかりが歌う「ラビリンス」ミュージックビデオが1500万回以上再生されるなど音楽シーンの話題となった。今年3/21には続編アルバム『Attune/Detune』もリリース。