毎号、各ジャンルで活躍されているゲストをお招きし、その生き方を伺う本連載。今回は、アーティストでありアートディレクターのヒロ杉山さんが登場。ポジティブに考え、右脳を活用することの大事さがわかります。
マックが出てきていろんな意味で変わった
桑原 ヒロさんとはもう長いつきあいになりますよね。テイ・トウワさんやグラフィッカーズ(テイ・トウワを中心とした無形クリエイター集団)の皆さんがNYからお戻りになられた頃だから・・・。
ヒロ杉山 25年前くらいですかね。
桑原 それくらいですね。NYはどれくらい行かれていたんですか?
ヒロ杉山 僕は住んでないんですよ。谷田一郎やタイクーンの鈴木直之とは学生時代の同級生で、彼らと卒業旅行でNYに行ったんです。そのときに、「いつか絶対住もう」なんて盛り上がったんですけど。僕は湯村さん(イラストレーターの湯村輝彦)のところに就職したので、そのまま忙しくなってしまって。
桑原 そうだったんですね。湯村さんのところを独立されてからは、イラストレーターとして活動されたわけですよね。
ヒロ杉山 そうです。でも、自分が好きなイラストしか描いていなかったので、面白がってくれる編集者がいれば使ってもらえる程度。主にはデザインをやりながらといった感じでした。
桑原 実はフリーペーパーの『ディクショナリー』が今年で30周年なんですよ。
ヒロ杉山 おめでとうございます。美術学校を卒業したのが1987年だから、僕の仕事歴とほぼ同じですね。最初に関わらせていただいたのはTシャツでした。
桑原 あの頃は「Tシャツ as キャンパス」と言っていて。その後、01年から「Tシャツ as メディア」と謳うようになったんです。というのも、ロンドンやパリやNYでは、クラブやアートといったものがすごく密接で。でも、当時の日本は部屋にアートを飾るとかいう発想がなかったんですよ。
ヒロ杉山 なかったですよね。
桑原 それがつまらなかったのと、たとえ高級なものではなくても日常的にアートが溢れていたほうがいいという意味で、Tシャツという身近なものを題材にして始めたんです。ヒロさんには初期の頃からお願いしましたよね。
ヒロ杉山 そうですね。この事務所に移って3年で、それまでは18年間同じ場所にいたのですが、引っ越しの際に一番出てきたのがTシャツでした(笑)。茂一さんのところでやらせていただいたのが一番多かったと思いますけど、他にもいろいろやっていたので。
桑原 90年代後半〜00年代前半は、僕のとこだけでも年間1万枚とか動いていたんですよ。しかも消化率98%とか夢のような時代。ヒロさんにはものすごい作品数をお願いしましたよね。しかもどれも名作で。Tシャツで表現するときは、いつもと違う表現にしようとか考えられていたんですか?
ヒロ杉山 紙に描くのもTシャツに描くのも、ほとんど差はなく作っていました。だから「本当にこれを着てくれる人がいるのかな?」というのも多かったし、それでも売れたので、どんなTシャツがウケるのかわからないままやっていましたね。
桑原 当時、一回の展示会で100人近くのアーティストにお願いしていましたけど、ヒロさんの一枚のTシャツ・デザインに対してこだわりは特別でした。デザインをスタッフのTシャツに貼り付けて日々の動きを観察したり、何十種類もデザインして試して仕上げる。あの仕事っぷりを拝見して心底脱帽しました。その背景には88年に創刊したfreepaperdictionaryも多大な影響を受けることになるのですが、マッキントッシュ・コンピューターの隆盛で、冗談で「セックス・ドラッグ・マッキントッシュ」なんて言っていた時代。ギターを手にしてロックミュージシャンに向かうように「マッキントッシュさえあれば、デザインなんてすぐできるよ」みたいな風潮があって、確かになんとなくカッコイイものはできるんだけど、独りよがりなものも多かった気がするんです。ある意味でデザインも混沌としていた時代。
ヒロ杉山 マックが出てきていろんな意味で変わりましたからね。それまでは版下でデザインしていた中でマックが出てきて。みんな使い方がよくわからないから好き勝手やっていた。そのうちに「こんなこともできた、あんなこともできた」ってなんとなく使い方がわかってきて、「こりゃすごいぞ!」って(笑)。今までロットリングで細かい線を引いていたのが1秒で描けたり。一番すごいと思ったのは書体ですね。これまでは写植屋さんで打ってもらっていたのが、自分のところで全部できるっていう。そのスピード感がもう。
桑原 完成したものがすぐに見られる。
ヒロ杉山 そうですね。当時はまだモノクロ画面でしたけど、自分のところでプリントアウトまでできちゃう。
「私生活は真面目で、作品で狂え」とずっと言われていたんです
桑原 ヒロさんは「NYから来た人」っていうイメージがずっとあって(笑)。しかも、グラフィッカーズというデザイン集団はまさに時代の突端にいる人たちだから、ライフスタイルも含めすごくモダンでパワフルな印象があるんです。その一方で、すごく神秘的なものに傾倒されるという意外な面があって、つまりは「人間とはなんぞや」ということなのか、思想や哲学から生まれる目には見えない宇宙観みたいなものに本気でしたよね。
ヒロ杉山 「話をするとギャップがありますね」ってよく言われるんです。クラブでVJをしていたりイケイケな人に見えるんだけど、会うと「銀行員みたいだね」って(笑)。そのギャップは、作品ともまた違うギャップみたいなんですよね。でも、僕は湯村さんに「私生活は真面目で、作品で狂え」ってずっと言われていたんです。その言葉が常にあって、作品のなかではいくら狂ってもいいけど、私生活は真面目に生きるっていうのがベースなんですよ。
桑原 確かに、湯村さんも作品では相当狂ってましたからね。でも常に笑いがあった。私も強い影響を受けたイギリスのデザイナーのジョナサン・バーンブルックがこう言ってました。「デザインというのはある種の武器だから、すべからずデザイナーはその認識を持たなければならない。デザインには暴力的な力があることを認識せずに使っている奴を見ると腹が立つ」と。自分のデザインが街に溢れたとき、その影響への責任を持てるかどうかは、実は大事なことだと思うんです。
ヒロ杉山 広告をたくさんやっていた頃は、そういうことをすごく感じましたね。本当に良いものを広告しているときはいいんだけど、そうでないものも広告の力で売られて、買わされてしまう。そこに疑問を感じることもありました。本当に良いものは、広告なしでも売れるんですよ。つまり、売れないから広告をするっていう側面もあって。その責任はすごく重大だなって。
一番大事なのは「ポジティブであること」
桑原 政治に関しても、古くは湾岸戦争だったり、阪神淡路大震災や9.11、さらには3.11とかあって。『ディクショナリー』もメディアとして何かしようとして、結果的にはオロオロするだけで終わってしまうんですけど・・・。その辺りもヒロさんはシャープというか、いつも的確に時代を見ている気がするんです。原発に関しても古くから問題提起をされていたし。でも、311までの日本のクリエイターの多くは「俺たちは音楽だけ作っていればいい。デザインだけしていればいい。」みたいな空気もあって。気がつくと社会はどんどん保守的になっていて・・・。いつの間にか保守的で硬くなったアタマをほぐす役目もデザインやクリエイティブにはあると思うんですけど、どうですか?
ヒロ杉山 3.11の後、東電に対してすごく腹が立って。3ヶ月後には周りのアーティストを集めて、原発放射能に対するアンチな展覧会を開いたんです。そのときはもう感情が「怒り」になっていたので、東京の放射能で汚れた水道水を使って絵の具を溶いて描くということをしたんですけど。ガイガーカウンターを会場に置いて数値を見せたり。でも結果的に虚しくなったんですよ。「怒りでアートを作っても何も生まれないんじゃないか」、「何も解決できないんじゃないか」っていう。そこからちょっとずつ変わっていきましたね。その後、妻の希望で北海道に移住して、東京と行ったり来たりしながら2年間住んだんですけど。そこで心が落ち着いて、違うベクトルで僕なりの制作活動をしていこうって思ったんです。
桑原 でも、そういうプロセスを経ているかどうかが大事な気がしませんか? 僕も『ディクショナリー』での30年間を含め、本当にジタバタした人生だったなって思うんですけど。だからこそ、今は「ラブ&ピースは実は弱いなぁ」とか「本当はパンクでしょ、って言われてもなぁ」とか、年齢を重ねたおかげで(笑)これまでとは違う視点で物事を見られるようになって。結局、一番大事なのは「ポジティブであること」。ポジティブなパワーには、どんな否定的なものも敵わないって思うようになったんです。
ヒロ杉山 僕もそれを作品で表現できたらいいなって思っていて。事務所の名前が「エンライトメント」なんですけど、辞書を引くと「啓蒙」とかいう意味がでてきて、最後に「暗いところを照らす」と書かれているんです。そこに惹かれて名付けたんですけど、自分の作品がメディアに載ったり、ポスターになって駅に貼られたとき、見てくれた人が少しでもポジティブな気持ちになってくれればなって。あとは「根拠のない自信」。これほど強いものはないと思うんですよ。
桑原 茂木健一郎さんも、人は必ず明日もあると思って寝るけど、それはまさに「根拠のない自信だ」と言ってましたよ(笑)
ヒロ杉山 「自分はできる」っていう根拠のない自信がある人ほど強い。
桑原 常にポジティブでいると、引き寄せが起こると言いますね。同じ考えの魅力的な人たちを引き寄せるみたいですね。逆に、ネガティブでいると反対にいいエネルギーが寄ってこない。そう考えると、あの頃のグラフィッカーズはポジティブパワー全開でしたよね。もちろん今もでしょうが(笑)
ヒロ杉山 まさにポジティブ全開でしたね(笑)
桑原 若い頃は自分も「願いは叶う」みたいなポジティブさがあって。実際、思いは必ずカタチになっていたんですよね。でも、インターネットが生まれて情報が膨大に増えたおかげでネガティブパワーに絡みとられて(笑)、いつの間にか「願いは叶わない」っていう方向に引っ張られていたことに気づいたんです。誰もがダメな理由を語るから(笑)、いつの間にか自分を見失ってしまうんですね。ラブ&ピースは実に弱い(笑)
ヒロ杉山 そういうことなんですかね。
桑原 ヒロさんのポジティブを見せつけられたのは、ある時期、毎日絵をアップしてましたよね。365日毎日ね。私がそそのかしたのですが(笑)。自分が一度決めたことを勤勉に続けられていて、願いは叶う。を実践していてこそ成功へ向かうわけですね。周囲の声や情報に埋没されず、自分の道をしっかり持ち続けられている。ヒロさんの姿勢にはこれまでも随分影響を受けました。
日本の先生はみんなドリームキラー
ヒロ杉山 毎日描くのは20代の頃からやっていて、一週間かかるものもあれば一日で終わるものもあって、これまでに6千枚くらい溜まっています。仕事の絵や展覧会用の絵は、また別に描いていて。
ーーこれまでに辛くなったことはないんですか? 義務のようになった時期とか。
ヒロ杉山 それはないですね。仕事の絵でもなんでも、描けること自体が楽しいんです。
桑原 この「辛くなるんじゃないですか?」っていうのが、社会の声なんですよ。みんなこれに負けちゃうんですよ。そこから逃れないといけない。僕も偉そうなこと言ってますけど負けそうになる。その時「 ポジティブYES ! 」って弾き返すようにしないと。ネガティブはあらゆる姑息な手段で攻めてくるから(笑)。
ヒロ杉山 攻めてきますよね、いろんなところから(笑)。しかも、どんどんひどくなっている気がします。SNSとか。
桑原 そう、だからヒロさんが毎日絵を描くのを止めないように、人間には無限の力があることを忘れないでいようよ、って。世界の富を1%の人が牛耳っていて、99%が奴隷だって言われるじゃないですか。でも、その1%の人たちってきっとネガティブな気持ちが湧かないんだと思う。子どもの頃からポジティブでやりたいことを実現して来たからね。教育とは自信を持たせることですよね。
ヒロ杉山 日本の教育はネガティブにさせますよね。「〜をしちゃいけない」とか、先生がみんなドリームキラーなんですよね。
桑原 本当ですね。
ヒロ杉山 でも、先生も悪気があるわけじゃなくて心配しているんですよね。「その学部に行っても就職が難しいから、こっちにしなさい」とかね。それって完全にドリームキラーであって。子どもの可能性は無限なのに、先生の尺度で可能性を決めちゃっている。それではポジティブ全開にはなれないですよね、きっと。
桑原 でも、デザインや音楽・アートなどには、それを弾き返したり、価値観をぐしゃぐしゃにする役割りがあるからもっと社会に浸透させないといけない。あらゆるところにアートが忍び込むべきなんです。
ヒロ杉山 でも、小学校や中学校ではどんどん美術教育の時間が減っていますからね。人によっては、高校まで絵を一枚も描かずにきちゃう子とかいるんですよ。
スタイルを放棄したら、「受信」するようになった
桑原 それはまずい。そうそう、ヒロさんに以前から聞きたかったことなんですけど、ドキュメンタリー映画の『ミステリアス・ピカソ/天才の秘密』が好きで。あれを観ていると、最初は花を描いているのかと思ったら海辺のビーチになったり次々と変化していくんです。どこで止めてもピカソだからかっこいいんです。映画を見ている私にはわからないんですが、ピカソが納得した段階でその絵画に「ピカソ」ってサインを入れて完成する。あの自分の心に素直に反応する自由奔放な描き方に目覚めて、もしかしたら誰でもピカソなんじゃないか? って思ったんです。ああいう絵の描き方ってどう感じられます?
ヒロ杉山 その映画は観ていないんですけど、描き方ってことですよね? 僕の場合、20代の頃は自分のスタイルを見つけようと必死にやっていたんです。でもそれって、楽しいけど左脳的なんですよね。そこで30歳になったとき、スタイルを放棄しようと思ったんです。本来、スタイルがあったほうが仕事相手は発注しやすいんだろうけど、自分のクリエイティブが狭まる気がして。そこで、毎日違う絵を描くようにしたら右脳が動き始めて、もっと自由になった。少し変な言い方だと「受信」するようになったんです。
桑原 なるほど「受信」ですか。「降臨」ともいうんでしょうね。
ヒロ杉山 受信してるから、どんどんアイディアが出てきてしまって。勝手に筆が進んでしまう状態。だから、先ほど「辛くなりませんか?」って質問をいただいたんですけど、辛いどころかどんどんラクになっていく。描きたいものが次から次へと出てくるし、手が止まらないから、寝ないでずっと描いていたいくらい。
桑原 ピカソも「受信」しながら描かされていたんですね。なんかすごく納得した。ヒロさんにとって「右脳」と「左脳」の使い方ってどう違うんでしょうか?
ヒロ杉山 「左脳」は言葉をしゃべったり、文字を読んだりっていう部分で。絵をこういう風に描かなきゃいけないとか、こういう風に描くと世の中に受け入れられるとかもそうです。一方で、僕にとっての「右脳」は感覚的な部分。「これ綺麗」とか「これ楽しい」みたいな抽象的なもので、その度合いがどんどん上がると他人との境界線が消えていく。あらゆるものが溶け合って、自分すらもなくなってひとつになっている感じ。
桑原 宇宙との繋がりというか自分そのものが宇宙ということですね。つまり、人間はこれまでの既存の幸せ感覚から解放されて、まだ自分の知らない意識に目を向けるといいのかもですね。既存の幸福感に縛られ、それしかないと思うと、本当に息苦しい人生になっちゃうんじゃないかなと思うんです。
ヒロ杉山 右脳の話に関係しますけど。僕は美大でも教えていますが、学生たちのイメージする力が年々弱まってるんです。こんなことを言ったら相手が傷つく、というような根本的なことも含めて。理由として考えられるのは、最近はイメージする前にweb検索して画像を見てしまうんですよ。頭で考える前に目で見てしまう。クリエーターにとってイメージすることができないのは致命的なんですよね。
桑原 広告などもマーケティングが優先されて、特定のターゲットがデータで割り出され、「なぜこのデザインなのか」「なぜこのコピーなのか」、すべて理由を述べよっていう状況ですよね。
ヒロ杉山 広告がつまらなくなったのは、多分そこにあると思うんですよ。広告もヴィジュアルなので、左脳だけでは解決できない問題があると思うんです。「何かわからないけど、これいいよね」っていう右脳的な感覚。そこに働きかける広告が昔はたくさんありましたけど、今はもうない。だから失敗もないけれど、大ヒットもない。安全を狙ったものばかりですよね。昔は、5〜6時間の撮影の中で無駄なカットも撮れたんです。そういう遊びの中に閃きがあったりもした。でも、今そういうことをしていると「それなんですか?」って言われてしまう。失敗はないけれど、ハプニング的な面白さが存在しなくなってしまった気がしますね。
桑原 それが進んでいくと、さっきのイメージできない若者の話と一緒で。「何かわからないけど、これいいよね」っていう感覚すら共有できなくなるかもしれないですね。
ヒロ杉山 すでにそうなっているかもしれません。
桑原 う〜ん、ポジティブ・Yes ! で生きて行くしかないですよね。今日はありがとうございました。
最近はCDを、なかなか買わなくなってしまった、昔はCD屋さんを週一で チェックしていたものだが全く行かなくなってしまった。その代わりに 今は毎夜、i-Tunesで、100〜200曲ほど視聴して、2〜3曲気に入った 曲を買っている。なかなかこれぞという曲には、巡り会えないが。 その時のテーマを決めて20曲ほどを買い集める。今回選曲のテーマは、 最近の曲を中心に「せつなく気持ちいい」である。車の中とかでわりかし 大きな音で聞いてもらいたい。
- All That's Left (Feat. Joni Fatora)
- Manila Killa
- Fault Line [Premiere]
- Meeka Kates
- Hometown Girl
- ZHU
- I Got Time [Audio]
- Bebe Rexha
- Leg Over ( Vibez Video )
- Mr Eazi
- Fever (feat. Mischa)
- Joachim Pastor
- Sonate pacifique
- L'Imp?ratrice
- Canop?e (audio)
- POLO & PAN
- Mesmer Mesmerising (feat. Isa Kurz)
- Manu Delago
こなさんみんばんは。海賊船 Pirate Radio へようこそ。
初代選曲家の桑原 茂→です。
今回のゲストはアーティストのヒロ杉山さんです。
私生活は真面目で、作品で狂え。
これはヒロさんの作品作りでのモットーですが、これが、酒で狂え、ドラッグで狂え、セックスで狂え、ギャンブルで狂え、原子力発電で狂え!地震が来るぇ?人は狂うと碌なことになりません。しかも今日のように政治で狂え!では、安倍晋三やトランプのようなファシズムが台頭し私たち国民の生活にも大きくヤバイ影を落とします。本来、アートや音楽、大きく文化と括られるものはすべからず人生に潤いを与える。または既存の価値観をぶっ壊し、旧態然の暮らしの中で喘ぐ人々に勇気や希望を与えるはずでした。が、そのアートさえも経済優先のシステムに埋没してしまった今日、待たれるのはガラガラポンの[ 御来光 ]なのかもしれません。
そう何を隠そう、その御来光こそ英語では「エンライトメント」と翻訳し、あのヒロ杉山さん率いるアート集団名なのである。では、今夜は、ヒロ杉山さんの過去の作品の中から「過去・現在・未来」を選曲のテーマに構成して見たいと思います。それでは最後まで、ごゆっくりお楽しみください。桑原茂一
moichi kuwahara Pirate Radio
選曲構成 「 What's new pussy cat 」 0302 419
PROFILE
1962年、東京生まれ。アーティスト、アートディレクター、京都造形美術大学客員教授。 東洋美術学校卒業後、1987年谷田一郎氏とのユニット「ネオアートグループ(NAG)」を結成。1997年には、クリエイティブユニット「エンライトメント」を結成。ファインアートの世界で国内外の展覧会で作品を発表する一方、フリーペーパーやアートブックの出版、展覧会のキュレーションなども行い、グラフィックデザイン、広告など幅広いジャンルで独創的な作品を発表しつづけている。さらにPV制作やVJなどの映像分野での評価も非常に高く、平面だけではなく立体作品から空間演出も手掛け、幅広い創作活動を展開している。