桑原茂一さんがこれまでの人生で出会った素敵な女性をゲストに迎え、女性たちの自由な生き方を提案していく本連載。今回は、イラストレーターとしてキャリアをスタートし、現在は画家として活躍されている下條ユリさんが登場。その多くを海外で暮らしながら、「自分の代名詞はフリーダム」と語る彼女の生き様とは? 波乱万丈の人生、しかもまだまだ旅の途中ということがわかる面白いエピソード満載、その経験から生まれた示唆に富んだ言葉の数々を堪能してください。
とにかくずっとストリートで勉強をしてた(下條)
桑原 最初に会ったのは、ユリちゃんが21歳のときだよね。まだロンドンから帰ってきたばかりで。
下條 留学といいながら学校には1日くらいしか行ってなくて(笑)。その頃、まだクラブキング ロンドンがあったんですよ。
桑原 そうそう、日本にはクラブカルチャーなんて何もない時代だったから。僕はロンドンのクラブシーンが一番好きだったから、そこから「いい音楽を東京へ」という流れを作るために、仕方なくプロモーターみたいなことをやっていて。そんな仕事まったく向いてないんだけどね(笑)。当時、やはりクラブシーンに注目していたスマッシュの人たちに手伝ってもらったり。
下條 あぁ?、ね、懐かしい。住んでいた場所から歩いてすぐのところにあったんですよ。
桑原 そうだったんだ。
下條 その界隈の人たちとはよく遊んでもらってて。その縁で彼らから話がいったのか、日本に帰ってきてすぐに茂一さんから呼び出されたんです。
桑原 作品をたくさん見せてもらってね。パリのスケッチが多かった記憶があるんだけど。
下條 ありましたね、パリに行ってスケッチしてたのが。こう見えてかつてはヨーロッパ趣向だったんですよ。
桑原 すごい才能の人と出会った! って興奮したよ、しかも明るいオーラが溢れていて。クラブキングは男集団でわりと暗いタイプが多かったから、ユリちゃんがオフィスに来るとパーッと明るくなった。そんな感じで付き合いが長いから僕はいろいろ知ってるけど、読者のために簡単な経歴を教えてもらっていいかな?
下條 もともとイラストレーターになりたかったわけでなくて、ただ子どもの頃から絵を描いていたんです。というのも家庭環境が複雑だったり、当時は言語障害があったりして、絵を描くことで自分の世界を守っていて。学校は小中高と女子校で、美大進学の意識もなくただ遊んでたら、街の遊び場で出会ったお兄さんお姉さんたちに面白がられて。「今度この企画に絵、描いてみる?」みたいなノリで、気づいたらイラストレーターという肩書きで活字になっていたのが17歳のとき。
桑原 ほんとデビュー早いよね。
下條 早かったですね。大学にも行きましたけど面白くなくて、とにかくずっとストリートで勉強をしてて。同時に仕事もいっぱいやってたんですけど、あるとき締め切りのために絵を描いている自分に気づいて、子どものときのような気持ちで絵が描けてない自分に気づいたというか。それでロンドンとニューヨークに遊びに行ったら帰って来なくなっちゃった。それが20代前半で、その後に家庭の事情で日本に戻されるんですけど。
桑原 ストリートで学ぶっていう発言は大きい見出しにしたいよね。いまの時代に足りないのは、ストリートで学ぶ文化が消えてしまったこと。面白い人材が育たなくなった理由のひとつだと思う。遊び場にいる、ワケのわからない先輩って大事なんだよね。
下條 ほんっとに大事!
桑原 ユリちゃんの場合は、そのなかにユーミンもいたわけだし。だから、16?17歳くらいからヘンな大人と接して、「人生は面白いんだ!」ってことを早めに知らないとね。そうでないと、マスクを付けた競走馬のようにまっすぐな道しか走れなくなっちゃう。いろんな選択肢があることに早めに気づかないと、安全な道を進むためにどうやってうまく生きるかしか考えられなくなる。でも、「そういう幸せはもしかしたら幻想かもしれないよ?」って、この連載の主旨はまさにその話なんですよ。
ーーでも、「あの子面白いから」という理由だけで起用しちゃう大人も減ってますよね。
桑原 確かに、社会は保守化したよね。いまは「この畑はコレを作る」って全部が区画整理されていて、自由なものが育つ荒れ地がない。たぶん、ここからまた壊す時代に入るんだろうけど。
下條 あぁ?、いまはそういう感じなんですね。
「アメリカってかわいそうな国だな」っていう(下條)
桑原 話が飛ぶようだけど、SEALDsの出現から、パブリック・エネミーの『Fight The Power』に代表されるように、HIPHOPのClassic・オールド・スクールと呼ばれるあの頃のNYシーンが、ようやく日本の状況とフィットしてきた、その辺りを『Pirate Radio』から発信してみようと、バーニー・サンダースの演説の日本語訳を朗読してたのね。それで彼の演説を改めて読むと、人間の尊厳を中心に置いた政治という至極まっとうなことしか言っていない。もし彼が大統領になるなら、このまま日本はアメリカの属国でもいいかなと思えるくらい(笑)。しかも、彼は人種隔離政策に反対する黒人たちの暴動(1963年)に共感し、白人でありながら逮捕されてるんだよね。そういう人が50年後に大統領候補として演説している。若いときに受けた衝撃を、生涯をかけて実現しようとする奴がいるっていう、それはかっこいいなと思って。ユリちゃんはNYが長いからいろいろ聞きたいんだけど。
下條 えっ、オールドスクールヒップホップについてですか? ?知る人ぞ知る事情で実はわたし、ナマの経験としてはかなり詳しいですよ(笑)
桑原 あははは、もちろん知っていることは何でも教えて欲しいんだけど。でも、60年代に黒人の公民権運動が始まって、そこからキング牧師を経て、スパイク・リーの映画『DO THE RIGHT THING』にも、その精神はつながっていくわけでしょ。最近だと、プリンスが亡くなったときには、著名な歌手たちが次々と彼の歌を唄って自分たちの文化を盛り上げる、アメリカにいる黒人たちはそういう自分たちの文化を守る民族だよね。マーチン・ルーサー・キング以降、カタチを変えながらみんなで「I HAVE A DREAM」を引っ張って、広げて。
下條 それしかない国ですもん、歴史がないから。
桑原 そういうつながりみたいなことが、日本でも起こらないとまずいと思うんだよ。属国なら属国なりに、アメリカのそういういい文化も学ばないとつまらない。
下條 団塊世代の影響なのか、日本はアメリカを美化してきたと思うんです。実はアメリカには、ドナルド・トランプに投票してしまうような驚きの階層も大きくあって。一方で東海岸や西海岸のような都市部には、リベラルでインテリジェンスな階層がいるわけですけど。私が長く住んでいるNYは、そういう意味で特殊な場所というかNYという共和国。そこで感じたのは、「アメリカってかわいそうな国だな」っていう。単純にかわいそうな子ども時代を過ごした人も多いですし、タフでなければいけないっていう教えとか、自分の身を自分で守るとか、余裕がないなかで育ってきた人がたくさんいる。ヒップホップもそういうなかから生まれていて、そこには闇がある。
桑原 うん。
下條 でも、闇のままだとみんな死んじゃうから、ドリームを持ち続けることで光に変えていったという素晴らしい底力があって。しかも、行動して発言し続けることを諦めない文化がある。アメリカを美化している人は「イェーイ!」ってパーティを楽しんでいると思っているけど、実は大きな闇があるからこその文化であって。
桑原 そうだよね。
下條 いまだと、過剰なまでに経済至上主義な狂ったメインストリームがあって、でも、それに対して反体制側は絶対に黙らない。しかも、その黙らないやり方というのが、音楽やアートとして表現することだったりする、そのクリエイティビティに私は一番刺激を受けましたね。
どんな仕事であれ不満なく生きている人は自由だということ(下條)
桑原 以前、ユリちゃんがNYで自分を紹介するとき「私はアーティストなの」って話したら、「みんなアーティストだよ」って返されたと言ってたけど(笑)、僕がアメリカらしさを感じるのは、自分をまずリスペクトすること。自分をリスペクトしないと、何も始まらないっていう感覚が彼らにはあるでしょ?
下條 どん底に突き落とされている人が多い国だから。だから「自分が自分をピックアップしなくて誰がするの?」っていう。日本ではよくアーティストと似た意味合いでクリエイターって言葉を使うけど、英語におけるクリエイターって創造主である神のことです。 クリエイターは一人だけど、アーティストは誰でもなんですよ。道路工事の誘導員が足もとにある小石を見てなにかを創造したり、雲を見上げてドラゴンを創造したり。もちろん、アーティストとして食べていくかは別の話でね。そういう創造に対する自由さを持ち続けることがアートだと思っていて。自由というのは私にとって最も大切なことです。
桑原 うん。
下條 良くも悪くも私の代名詞はフリーダムで、周囲の友だちもみんなそう思ってると思う。「ユリちゃんはどこにいるのかわからない」「彼女は何をしてるんだろう」って言われるほどボヘミアンに生きてきちゃったんだけど。
桑原 そうだよね?。
下條 うちは母親がすごく厳しくて、でも自分は不良少女だったから、昔から「自由がない、自由がない」ってずっと駄々をこねてたんですよ。そんなとき「アナタね、自由っていうのは責任とれる、ってことなのよ」って言われて。その言葉通り、自由に生き続けるなかでヘヴィな経験の責任をとる羽目にもたくさんなったけど、私は敷かれたレールを走ることは無理だったし、これからも無理だと思う。
桑原 全員がユリちゃんのように生きるべきなんだよ。ユリちゃんが特別な人扱いされているということは、本来おかしいんだよね。
下條 そう、昔からよく「ユリちゃんはそれができるからいいよね」って言われてきて。確かに、そういう生き方ができた境遇に感謝はしているけど失ったものもある。でも、最初からそういう環境だったわけでは決してなくて、我慢をせず、自分が傷ついたり相手を傷つけたりしながらでも自由でいられる道を選んできた。誤解されたくないのは、アーティストだから自由というわけではなくて、どんな仕事であれ不満なく生きている人は自由だということ。
桑原 もちろん!
下條 1回しかない人生ですし、自分が置かれている状況や可能性を最大限に生かしながら、創造力を発揮することこそが自由だと思うんです。
桑原 まさにそう。アメリカという国も、人間の尊厳を獲得する歴史があって。それは自由を獲得するっていう意味でもある。そこにある自由というのは、自分だけがっていうことではなく、「自分が他人を幸せにするために自由をください」ということだと思っていて。人を喜ばせることのほうが、自分を喜ばせることよりも何倍も幸せなわけだから。そこを間違えると、また自由という牢獄に入ってしまう。
下條 クリシュナムルティですね(笑)
桑原 僕は団塊世代より下だけど、それでもアメリカを美化する風潮のなかで育って。とにかくアメリカには最高のものがあって、日本はダメっていうプロパガンダのなかで青春を迎えている。だから、アメリカの商品を輸入した人がすごく成功した世代な一方で、商品の向こう側にある思想に影響を受けた人はビジネス的には成功をしていない。
下條 なるほど。
桑原 どちらが大事ってわけじゃないけど、いまは思想を大事にするときが、ようやく日本にきたなっていうことを言いたい。
外国で暮らしていると日本人というアイデンティティーがずっとくっついてくる(下條)
下條 でも、”アメリカの”っていうのはアメリカ政府とか、いわゆる1%と呼ばれる人たちとか、ニュースで流れてくる情報のこととかですよね?
桑原 そうそう。
下條 私はずっと外国で暮らしてきて、こういう会話をする機会があったとき、例えばですけど「日本は福島の問題があって地球を汚したにもかかわらず、うんぬんかんぬん」言われたら、「ちょっと待って! それは日本の政府や一部の人の話で、私の友だちのほぼ全員は原発に反対しているし、ああだこうだ」ってアピールしてきました。なぜなら、外国で暮らしていると「ユリ? あのジャパニーズガールね」みたいに、日本人というアイデンティティーがずっとくっついてくるから。だからどうしても子供の頃から日本の親善大使みたいな役割りをしがちで。でも、それはストリートで勉強してきたことと同じで、ニュースの情報ではなく人と人とで直接やり取りしているから。
桑原 うん。
下條 だから、私のなかで自由とか権利っていうのは政治的なことではなくて、カッコ良いか悪いか、幸福か幸福じゃないか、ってことだけなんですよ。先輩の生き様をそばで見てかっこいいと感じるのと同じで。
桑原 それがほんとうに正しいと思いますよ。個人外交が世界を平和にするんだと思う。政府が世界を平和にはしてくれないもん。
下條 してくれない。
桑原 だからユリちゃんみたいな人が、ブルックリンで福島のことを強く思って作品を発表することが平和外交なんですよ。それがさっき言った、自然と人を喜ばせていること。人が喜ぶことが自分を幸せにするっていう、ものすごく生々しいところをユリちゃんは世界中のいろんな国でやっている。
下條 生々しい現場をいろいろ見てきたし、自分もその生々しさが好きだし。
スマホのなかだけ見て「世界を私は知っている」と感じている勘違いや幻想に早く気づかないと(桑原)
桑原 若い人たちが、SNSやスマートフォンのなかに世界があるからといって、そこだけ見て「世界を私は知っている」と感じている勘違いや幻想に早く気づかないと、豊かな人生にはならない。逆に自分を牢獄に閉じ込めてしまうことになる。
下條 そうそう、そういうことです。でも一方で、インターネットがあることで世界がつながっている。よくみんな「英語勉強したいんですよね?」って私に言うの。でも、英語は勉強じゃないから! コミュニュケーションを取る道具だから! 知り合ったアメリカ人に「本当にドナルド・トランプ支持してるの?」って聞いてみなって、「ヘル、ノー!」って言われるから(笑)。そういうことを、直接聞けるか聞けないかのただの道具ですよ。
桑原 うん
下條 ニュースを見れば、アメリカ人のほとんどがドナルド・トランプを支持しているように感じるけど、それは情報のなかだけ。「日本のことよく知らないくせに」って言われそうだからあまり言いたくないですけど、すごく思うのは、日本人は精神的に鎖国をしていて、しかもそのことに気づいていない。
桑原 気づいてないよね。
下條 それは情報がありすぎるからだと思う。昔のことを例にするのはイヤだけど、インターネットがない時代は、面白い映像をVHSで回したり、茂一さんのフリーペーパー『ディクショナリー』を取りにわざわざお店へ行ったわけじゃないですか。それだけ情報量が限られつつ選択が自由だったと思うんです。いまは選択が追いつかないくらい情報が溢れていて、自分は何を欲していて、自分にとって何が嫌なことなのかが見えていない。
桑原 1年間くらい、ひとりで世界を回ってこいっていう大学の授業があってもいいかもしれない。ひとりで旅をするってことが、世界を知ることに近づくからね。人と人とが直接コミュニケーションをすることは、いいこともあるけど失敗もたくさんあって。それが生きるってことの大切さを教えてくれる。そこで「人間は捨てたもんじゃないな」って帰って来れたら、どんな社会でもやっていけるんじゃないかって思うんだよね。
下條 うん、捨てたもんじゃない! 実は日本人が大事にしている人と人のつながりに関する考え方は、外国でよく自慢していて。例えば「日本には縁って英語には存在しない素晴らしい言葉があるんだぞ」って言うんです。「単なる言葉を超えた意味があって、だからこそ大切なもので、袖振り合うもたしょうの縁てすごい諺もあって…」って。
桑原 説明するのが難しそうだね(笑)
下條 そうそう、だから相手が理解したかはわからない(笑)。でも、「たしょうの縁」って「多少」ではなくて「他生」って書くんですよ、つまりアナザーライフ。道端でぶつかってムカついても、もしかしたら相手とは前世で知り合いだったかもしれない。そういうリインカーネーション(輪廻転生)が言葉に当たり前に入っている文化なんだぞと。だから「ものすごく精神性の高い種族なんだ」って、外国では日本の自慢ばかりしてるんです。どんな日本自慢してるか日本にいる人たちに再認識してもらいたいくらい。
桑原 この連載は一期一会がタイトルなんだけど。1回こっきりの人生ならあと僅かだけど、この先も生まれ変わるという考え方をするのは豊かだよね。
下條 桑原茂一という器のなかに、茂一さんのソウルがあって、いまの日本のこういう時代に活動されているというのは一期一会だと思いますよ。
桑原 そうだね。
下條 来世では何をやっているんだろう。
桑原 木に登ってのんびりしているナマケモノみたいなのがいいな。
下條 あははは。でも、ナマケモノって実はものすごい動物だって知ってました? BBCで動物学者のデイビッド・アッテンボローがやっている番組を観たんですけど。ナマケモノってeasyでラクな感じがするじゃないですか。もっといえば、怠惰でダメなイメージ。でも、彼らはああやってじっとしながら、いろんな微生物とか虫とかを自分のなかに住まわせているんです。雨季には自らをカビさせて、自分のなかに宇宙を創っているんですよ!
桑原 へぇ?。
下條 すごく感動しちゃって、それを表す絵を2点描いたんです。
桑原 見たい、見たい。
下條 ぜひ見てくださ?い! 『SLOTH DHARMA』と『SLOTH BALL 』っていう「ナマケモノはダルマだ」っていうのと「ナマケモノ玉」って奇妙なタイトルなんですけど。それでここからアメリカ人の行動力や発言の話に戻るんだけど。
桑原 どうぞどうぞ。
自分がどうしたいのか、何が嫌なのかという自分の気持ちには従順になって欲しい(下條)
下條 1950年代に、アラバマ州にローザ・パークスっていう女性がいて。彼女は仕事帰りに疲れてバスに乗ってて、黒人専用席がいっぱいだったから中間席に座ったんです。そのうちに白人が増えてきて、当時はそうなると黒人は立たなくてはいけない。でも彼女は「立ちません」と拒否して座り続けたんです。その頑として座り続けた逸話がマーチン・ルーサー・キングの耳にも届いて公民権運動発端のヒーローになった。それってナマケモノじゃないけれど、何か行動を起こす強さも必要だけれど、自分の内側に目を向けて座り続ける、その貫く強さもまた自由なんだっていうこと。拳を上げてプロテスト(異議申し立て)するだけではなくて。
桑原 それぞれがそれぞれの方法で生きていけばいいってことだよね。
下條 そう、だからデモに行かなくてもいい。けれども、自分がどうしたいのか、何が嫌なのかという自分の気持ちには従順になって欲しい。それを表現するクリエイティビティはアメリカで学びましたね。その自由さというか、いろんな選択があるということを。
桑原 僕がイギリスのクラブカルチャーから学んだのは、そのクラブが成功しているからといって真似をしないってこと。既に誰かがやっていたら彼らは絶対に真似しないもんね。「そうじゃないことをやろう!」、その精神がかっこいいと思った。
下條 私が最後に日本にいた90年代の初めは、サブカルチャーとか渋谷系なんて言葉もなく、ただ「自分たちが面白いことを創っていこう」という雰囲気があって。そうしているうちに、気づいたら自分たちが聴いていた海外アーティストたちが、東京にわざわざ遊びに来るようになって。その後に住んだブルックリンでも、90年代後半から00年代の始めストリートアートという言葉もまだ確立されてない頃に同じようなことが起きたんですよ。当時はみんな近所に住んでいたからいつも一緒に絵を描いてて。そうしているうちにそれぞれが面白がられて有名になっていった。どちらも最初はローカルな動きだったんですよ。だからローカルの動きっていうのが重要で。
桑原 絶対そうだと思う。日本の若い子たちも東京を目指す必要はなくて。それぞれの地域で、そこに住む人たちが一番面白いと思うことをやればいい。メディアはいくらでもあるんだから。
下條 『ディクショナリー』はずっとそれを紹介していますよね。
桑原 そのつもり。しかも、この1年間はすべてを自分ひとりで作っているから、どうしても個人的なものになってしまっているけど。逆に、創刊から28年間のなかで、この1年ほど充実した年はない。
下條 そうなんだぁ?、ブラボー! ですね。
桑原 みんながやりたいことを後ろから応援する人生は、モヤモヤするもんなんですよ。「もう少しこうすればいいのに」とかあるでしょ? 絶対そうならないから(笑)。いまは全部自分ひとりだから、いい時もそうでない時も最高だよ。
実は恋をしているんです(下條)
下條 茂一さんにはずっと言ってるけど、発信するだけなら勢いでできるけど、続けることがいかに難しいか…。それを28年間続けている、その情熱はどこからくるんですか?
桑原 既にナマケモノだったのかもね。みんながいろいろ食べてってくれたのかもしれない。もう食べるところがない(笑)。
下條 日本がいまこういう時代になってきているというのは…
桑原 嬉しくて仕方がない。
下條 でしょ?笑
桑原 スタートから知ってるいろんな後輩たちに、「やっと時代がきましたね、茂一さん」って言われるから。
下條 だって、ずっとエイジ オブ アクエリアスって言ってたでしょ? しかも茂一さんの星座もアクエリアス(みずがめ座)でしょ?
桑原 サジテリアス(射手座)だけどね。
下條 あっ、サジテリアスなんだ! じゃあ、狙った獲物は逃さないみたいな。
桑原 いやいや、逃してばっかりだよ。結婚も3回もハズしてるから。
下條 わたしもですよ?…あ、ハズしてきたついでに告白しちゃおうかな。
桑原 どうぞどうぞ。
下條 実は恋をしているんです。
桑原 あっ、だからまたNY行くんだ!
下條 きゃーーっ!!!
桑原 元気そうな感じのニコニコ感は尋常じゃないなと思ってたよ。
下條 京都で尼になろうかと思っていて、本当になりかかってたんですよ。「山で犬と暮らしてて寂しくないの?」って友だちにも心配されてて、でも寂しいって思わないようにしてた。振り返ると、この5年間は自分を見つめるのに大切な機会だった。でも恋なんてもうできないと思ってたんです。
桑原 えっ、そうなの?
下條 ほんとほんと。ご存知のようにハードコアな生き方をしてきたんで、上がるときは上がるけど、その分落ちるとすごく落ちる人なんで、傷が癒えるのに時間がかかった。そんな私でも、また恋ができるんですね。
桑原 若い人がきっと知らないのは、歳を重ねて、いろんな経験を積んで生まれた恋のほうが、若いときよりもずっと奥行きがある。
下條 きゃーーっ!!!
桑原 うん、これは声を大にして言っといたほうがいいよ。「若いときしか恋ができないというのは大間違いだよ」って言っておいたほうがいい。
下條 また日本批判みたいに聞こえちゃうかもしれないけれど、日本にしばらく暮らして思ったのが、メインストリームにあるのが若者文化なんですよね。それだとみんなすぐに歳とっちゃうだろうなって。
桑原 そうだよね。
下條 だって「ユリさん若い!」とか言われちゃうわけですよ。それを聞くと「若い?なんて言われるようになっちゃった… まぁ私も50歳だもんなぁ?」みたいな。でも英語ではそんな言いまわしさえない。フランスでそんなこと言ったら「どういうこと?」って張っ倒されると思う。失礼!(笑)。
桑原 今度のお相手は?
下條 周りの友だちは「今度の人は仕事あるの?」とか聞くんだけど(笑)。
桑原 あはは。
下條 仕事はちゃんとしている人です! でも、ダメになっちゃうかもしれないし、今回はゆっくりゆっくり。これまでが極端だったから。
桑原 いいじゃない、ダメになっても、今が大事だよ。
下條 そっかそっか、もうビクビクなんですよ。ウキウキと同じくらいビクビクなんです。
桑原 恋愛はびびってるくらいのほうがいいよ。
下條 じゃあ、日本の国もびびりながら平和について思うのがいいんですかね。びびりながら愛について思うのと同じで。
桑原 でも、一番いいときだね。
下條 一番いいときって、なんで続かないんでしょう?
桑原 カタチを変えながらいつも一番いいときにしていくのが、生きるってことなんだろうね。説得力ない人のセリフだね(笑)。
下條 いいこと言う?。
桑原 しょうがないじゃん、変化し続けるんだもん。
下條 出た!「変わり続けるから変わらずにいられる」by ニールヤングですね。
桑原 ひとりぼっちはひとりぼっちで、十分に楽しんでいたはずだから。
下條 うん、楽しんだ。
桑原 だから比較する必要はないよね。あっちよりこっちのほうがいいっていうのは、そもそもおかしい。いつもいいんだから。
下條 比較しないで生きるってことは、自分を知るってことですよね?
桑原 自分に自信を持つことは、いくつになってもできないんだけど…。自分というものが捕まえられそうで捕まえられない、けど、捕まえられるような気がするっていうのが大事なんだと思うよ。
下條 うん。
桑原 それを求めようとするから、いろんな経験をしようとするし、自分ができないことをやろうとするし、読みづらい本もあえて読もうと思うわけだし。
僕も30 代の頃、自分が死なないように毎日日記を書いていた(桑原)
下條 自分を探し続ける。でも、探し続けるってことは見つからないってことじゃないですか。
桑原 絶対見つからない。
下條 自分に満足しきったら止まってしまいますもんね。
桑原 満足なんて一度もないし、「自分は何もしてきていない」っていうのが素直な気持ちだよ。
下條 まったく同感です。
桑原 「何かひとつでもやりたいな」っていつも思ってる。
下條 こんなにたくさんのことをしている茂一さんが? ということは、茂一さんがやりたいことは私たちが思う以上に大きくて。そこが魅力なんでしょうね。
桑原 大きいかはわからないけど。
下條 私も全然ダメダメじゃんって、オンとオフが激しくて、いつもウジウジしているんですよ。自分のスケッチブックに、「つべこべ言わずに絵を描けよ」ってなんど書き殴ったか数え切れない。
桑原 すごくよくわかる。僕も30 代の頃、自分が死なないように毎日日記を書いてたことがあるよ。自殺したいくらいまで追い込まれて。
下條 うん、はい。こうやって人と人とが直接会話をすると、意外な答えが返ってきたり、その人の体温を生で知れるじゃないですか。茂一さんみたいに、いろんなことをずっとかっこよくやっているように見える人が、実はどん底にいたことをバネにしているってことが光ですよね。
桑原 まだまだ、ウジウジのどん底ですよ。そういうところにいるからこそ、もっとこの国を良くしようと頑張っている若い人たちに共感できるのかもね。
ハワイのジャングルで暮らしていた時も、京都のお山で暮らしている今も、雨が好きです。雨が降り続ける梅雨の時期、お山の深い緑が藻に見えてきて、自分が水中にいるような気分になります。そんなとき、Maurice Marechalという人の湿ったチェロの音に取り憑かれたように、このアルバムをずっと聴いています。オーケストラのものではなく、ピアノとチェロだけのものが好きです。チェロとピアノの音色が特別に好きなんだと思います。「どこかに還る」かんじがするのです。そして、Nina Simoneのピアノ。グレン・グールドのピアノ。エリック・サティのピアノ。ひとりのときの音楽。
- Maurice Marechal bach Cantata No. 156 "Ich steh mit einem Fuss im Grabe": Sinfonia
- Maurice Marechal
- Schumann : Traumerei
(子供の情景・トロイメライ - Maurice Marechal
- Bach Goldberg Variations : Aria
- Glenn Gould
- Pieces froides No.1 Airs ? faire fuir II Modestement
- Eric Satie
- Little Girl Blue
- Nina Simone
- I Think It's Going to Rain Today
- Nina Simone
- You"ll Never Walk Alone
- Nina Simone
こなさん、みんばんは。いつもより HipでHop な桑原 茂→です。
今回のインタビューで、ニューヨーカーの下條ユリさんに素晴らしいメッセージをいただきました。人生はいつだってフリーダム!気分はもうすっかり Fight The Power ! 思い起こせば、NYのマンハッタンのクラブにHipHopがデビューしたその現場に幸運にも居合わせた熱い思い出を、Old Schoolと呼ばれるHipHopの初期の衝動を、そのClassicを、今夜は、A Little 選曲しました。戦後70年強、すっかり素敵なアメリカ文化に染まった私たちですが、まだ染まってないのが「人生にいつでもフリーダムを!」の思想です。もうこれ以上誤魔化さないで、日本は米国の属国なんだ。の自覚を再認識しよう。そこから未来を話そう!人間の尊厳を奪還しよう!この日本で真のフリーダムを手に入れよう。未来の子供達のために!そう、だから今こそ、Fight The Power!
- Fight The Power (Full Version)
- Public Enemy
- Planet Rock
- Afrika Bambaataa
- Pump Up The Volume (Official Video)
- M|A|R|R|S
- Buck Em Dowm
- Black Moon
- Rapper's Delight ( HQ',' Full Version )
- The Sugar Hill Gang
- Unity
- James Brown & Afrika Bambaataa
- Time Travelin' (A Tribute To Fela)
- Common feat.Vinia Mojica/Roy Hargrove/Femi Kuti
下條ユリ | Yuri Shimojo
丙午の春、東京都三鷹市生まれ。
イラストレーターとして全盛期を迎えた96年に渡米し、ブルックリンとハワイの秘境に居を構え、画家として海外を中心に活動。
2014年、京都に「お山のアトリエ」を開設し、現在はNYと京都を拠点に創作活動を続ける。
伝統を重んじつつも型破りな両親は、彼女に日舞、能、茶道、華道を習わせると同時に、“社会教育”と称し国内外のあらゆる遊芸三昧の場に付き添わせ、普遍性を尊重する国際人として育てる事に熱心だった。
究極の和洋折衷というカラフルな生い立ちの記憶、世界各地の辺境を旅した経験がもたらす、土着文化への深い畏敬の念が、彼女の想像力の源になっていると言えるだろう。
2013?2014年には日本では約11年ぶりの個展 『メメント・モリ(Memento Mori)』を開催し、京都、東京を巡回。
2016年は映画『シェル・コレクター』で劇中絵画を担当、同年『墨と朱』シリーズの巡回展をNYを皮切りにスタートしている。
主な著書に生い立ちの記『ちいさならくがき』(’97ビクターブックス刊/’07たまうさぎbooksにて復刊)など。
インスタグラム @yurishimojo に日々のあれこれを公開中。