一期一会 選・桑原茂一  ゲスト:伏見京子 一期一会 選・桑原茂一  ゲスト:伏見京子

一期一会 選・桑原茂一
ゲスト:伏見京子

2014年3月、ドレスキャンプのショーが始まる直前の舞台を若手4ブランドがジャックした! そんなニュースがファッション界を駆け巡った。それは『HAPPENING(ハプニング)』と名付けられた新しい試みであり、いまや東コレの隠れた楽しみともなっている。今回はその主催者であるスタイリストの伏見京子さんをゲストにお迎えました。スタイリストを目指したエピソードから、『HAPPENING』を起こすきっかけとなったお話まで、興味深いトークが満載です!

中学のときに将来はスタイリストになろうと決めた

桑原 幼い頃に強烈に覚えている洋服のエピソードって何かありますか? 

伏見 う?ん。こんなお洋服が好きだったとかいうよりも、母が自分の服だけを買って帰ってきたときに「ひどい! 私には何の洋服も買ってきてくれていない!!」って泣きわめいて。それが洋服に対して初めて感情的になったときですね。母も「そんなに洋服好きだっけ?」みたいにビックリして。次の日に学校から帰ってきたら、Tシャツが置かれていたのを覚えています。アメフトのシャツみたいなデザインで、そばかすの女の子のキャラクターが描かれたやつ。

桑原 なんでそのときだけ感情的になったのかね。それまでにも欲しくても買ってもらえなかったことはあったの?

伏見 わりと毎シーズン何かしら買ってもらってたと思います。もしかしたら、小学校3年で東京から神奈川に引っ越して、無意識にフラストレーションが溜まってたのかもしれない。

桑原 スタイリストの仕事は、たまたまなった感じですか。

伏見 いや、中学生のときに土曜で早く家に帰ったら誰もいなくて。テレビを点けたらパリコレクションが流れてたんですよ。そのあとにビートルズのアニメも始まって。それで「すごく素敵だな?」って。誰もいない空間だったこともなんか良くて、毎週観るようになったんです。その時期に本屋さんに行ったら『スタイリスト』って本があったんですよ。地図付きで原宿にはレオンって喫茶店があるとか、ミルクってお店があるとかワクワクするようなことが書いてあって、翌週には行ってました。

桑原 へぇ?。

伏見 それで将来はスタイリストになろうと決めて、高校生になってからは『BA-TSU』でバイトを始めて。

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高校も途中で勝手に辞めちゃって

桑原 すごい一直線な性格だね。思い立ったらすぐに動いちゃうタイプなんだ、だから『HAPPENING(ハプニング)』ができるんだね。

伏見 それで、バイトしながら誰かのアシスタントにつきたいと思ってたら、紹介してもらうことができたんです。多田えつこさんといって、コマーシャル系のスタイリストだったんですけど、基礎的なことはすべて教えてもらったんです。高校も途中で勝手に辞めちゃって、母親にすごく怒られたんですけど。

桑原 やるね?、でも勝手に辞めるっていうのも…。

伏見 父にだけは言ってたの、娘には優しかったから。でも、お母さんはすごく怒って、可哀想なくらいお父さんが叱られてた(笑)。でも、随分あとに高校卒業の資格を取って、専門学校に入ったりとかするんですよね。こうやって話してみると、私の人生は衝動的ですね。

桑原 すっごい衝動的ですよ。でも、真面目な衝動だよね。スタイリストの方について勉強を始めたわけだから。

伏見 まぁ、そうですね。その方に基礎を教わって、でもやっぱりファッションがやりたくて、マガジンハウスに入りたいと思ったんです。昔から『an・an』しか見てなかったし、今みたいな週刊誌じゃなくてファッション誌だったから。そうしたら、たまたま空きが出たって話があって。「やったー!」って。柴田かえさんのアシスタントをしながら、他の方々のアシスタントもしていました。あの頃は自由ですごく楽しかった。

桑原 当時はメンバーがすごいよね。

伏見 錚々たるメンバーですよ。でも、徐々に売れる雑誌づくりに変わっていって、その感じに疑問をもって辞めるんです。それを期にパリへ行って、1988年頃だから24歳くらいかな。

桑原 パリもフレッシュな時代だよね。

伏見 そう、だから行きたくて行きたくて。

桑原 パリはどれくらいいたの?

伏見 お金が尽きるまでって感じで。とにかく住んでみたくて、半年ちょっとでお金が無くなったのかな。

桑原 当時のお金でどれくらい持って行ったの?

伏見 当時は1フランが24円とか25円で、100万円弱かな。

桑原 それで半年もいれた?

伏見 いれたいれた、友だちとシェアして。

桑原 これまでもいろんな方にお話を聞いてきたけど、ほんと女性の人ってパワフルだよね。

伏見 若い頃って食べるものとか関係なかったし、その場所にいるだけで幸せだったから。見るものすべてが新鮮で。フランス人の友だちもできて、彼らの家に遊びにいってその生活ぶりを間近で見ることができたり。でも、すぐにお金が尽きて日本に帰るんですけど、そのタイミングで『エル・ジャポン』がマガジンハウスから独立することになって、原由美子さんがファッションエディターのトップに就任してスタッフを探してたんです。それからファッションエディターをやらせてもらうことになって。これまでスタイリストしか知らなかったですけど、文字を書くこと、編集すること、企画を立てることなどをイチから教わることになるんです。

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「スタイリストってこれだな!」って思ったんです

桑原 そのあたりから90年代に入っていくわけだね。これまでいろいろと苦労もしてきたと思うんだけど、自分を褒めてあげたいって思うのはどんなときでしたか。 

伏見 自分を褒め始めたのは、ここ2?3年かも。でも、多田えつこさんについていたとき「他のところにも修行に行きなさい」って、その方の師匠のところに行かされたんです。いちだ ぱとらさんっていう、すごく厳しい方なんですけど精神的に素晴らしい方で。その方のおかげで、今の自分が形成されたとも言えるお言葉が山ほどあるんです。

桑原 へぇ?。

伏見 「ティッシュを買ってきて」と言われて買ってくるじゃないですか、そうすると「はい、このティッシュを選んだ理由をお述べなさい」って言われるんです。「えっ、安いからなんだけど…」とか思うんだけど、そうは言えない雰囲気があって。「パッケージの絵が良かった」とかなんとか言うと、「もののすべてには理由があるんですよ」って教えられるんです。さらに「ティッシュを開けて」と言われてファッと開けると、「なぜその音を出したのかお述べなさい」って。「えっ、音?」とか思っていると、「あなたの作った音なのよ」って。「すべてはあなたが作り出し、すべてはあなたが選んできたものの存在に対して、責任はどこにあるのかお考えなさい」って言われて、すごくいいことだなって。「スタイリストってこれだな!」って思ったんです。

桑原 それは素晴らしいことだね。

伏見 でも、その先生についている間は、電話を取るタイミングから、ものの置き方、全部が気になっちゃって。今思えば、すべては連動していて、いわゆる波動的なことだってわかるんですけど。でも、その厳しかった先生が一度だけ褒めてくれたことがあったんです。撮影のときにガウンが無くて、タオルを買ってきて縫ってモデルに渡したんですよ。そのときに「何も言ってないのによくやった」って、それが人生で褒められて一番嬉しかったことかもしれない。

桑原 それは、自ら気づいて行動したってこと?

伏見 はい、「そういうことができる人はスタイリストになれます」って言われたんです。それで「やったー、スタイリストになれるって言われた!」と思って。いまでも忘れられないお褒めの言葉でした。そういう方は今あまりいらっしゃらないから。

桑原 そういう大事なことを伏見さんが次の人に伝えていくわけだから。うん、素晴らしい。

伏見 あんな厳しいことは無理かなと思いますけど。

桑原 でも、『HAPPENING』をやっている人が、実はそういう内面というか芯を持っているというのは伝わりづらいかもしれないですね。何の情報もなく『HAPPENING』を見た人は、ただのぶっ飛んだ人がやっていると思いがちで。

伏見 そうですね、複雑かもしれない。

桑原 日本の伝統美や様式美や作法みたいなものをわかっていることと、反社会的にも見えることを街でやるのは、実は全然別のとこにあると思ってしまう。つまり、すごいことをボカン!ってやることは、ボカン! ばかり考えている人からは生まれないのかもしれない。

伏見 アハハハ、そうですか?。

桑原 若い人は、自分の中に起爆剤のようなものさえ持っていればハプニングは起こせると思ってるけど、それは「動」の部分であって。だけど、「静」の部分がしっかりないと「動」が動かないっていうことに気づくには、たぶん時間がかかりますよ。

伏見 そうですね。きっとそうかもしれない。

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『HAPPENING(ハプニング)』の始まりは「怒り」から

桑原 改めて、『HAPPENING』をやらざるをえなかった理由を教えてください。

伏見 始まりは「怒り」が原動力になっているんです。昔はファッションがもっと自由で、自由じゃないといけない職業で、自由だからこその場所だったのに。いつの間にか規制が厳しくなっているこに気づいて。しかも、日本人が日本人を規制しているんですよ。パリコレに出ているインターナショナルブランドのプレスが、ページ内で「日本人デザイナーを横に並べるのは嫌だ」と言い始めた。しかも、企画の内容を聞かずして言っているんです。では、川久保玲さんや、イッセイミヤケさん、アンダーカバーはどうなんだと。そうすると、「本国に聞いてみます」って。結局、ただのプレス代行であって、自分で考えることも決めることもできないところばかり。そういうファッション業界にびっくりしちゃって。東コレも何もかも、誰も日本人デザイナーをサポートしていないんです。みんなひとりぼっちで戦ってる。でも、そんな状態でこれからどうするの? って。川久保さんも、ヨージさんもいつかはいなくなってしまう。日本のデザイナーをこれからどうするの? って、すごい怒っちゃって。

桑原 うん。

伏見 だから日本人デザイナーを守っていきたいなって。そんなことをブツブツ言いながら、何かやろうと思って。本当はあの2014年9月の第2回のときに第1回をやる予定だったのが、周囲に「すぐやっちゃいなよ!」って言われて、バンバンバーンみたいな感じで、結局1ヶ月でやっちゃったんですよ。そんな感じで今に至っているんですけど。

桑原 ファッションの世界は変化を求めている! 新しい日本のアーティストにちゃんと注目しよう! ってことを『HAPPENING』が訴えているわけですよね。将来的にはどうしていきたいと思っているの?

伏見 アジアのデザインを集結させたいんですよね。東京に『HAPPENING』のホームステーションがあって、他にも韓国とか中国とかオーストラリアにも『HAPPENING』があって、お互いがデザイナーをトレードして行き交う感じ。

桑原 具体的なことを言うと、この間やった伊勢丹のポップアップショップに、アジア支部のデザイナーの商品を置くみたいなこと?

伏見 そうそう、あとはオセアニアを含めたアジア全体の地域で、パリやニューヨークのファッションウィークに対抗したいという思いもあって。ひとつの塊となってブランディングしていきたいんです。

桑原 それは素晴らしいですね。

伏見 最終的には『HAPPENING』でデザイナーをマネージメントしたい。ものを作って売れるようなタイプの子たちばかりではないから。

桑原 ヨーロッパ的なマインドで見ると越えられない壁はあっても、アジアの新しいファッションのクオリティ作りに関しては、彼らと違うレベルのものが作れるっていう自負があるのかな。

伏見 そうですね。あと、個人として未来を見ているのと、団体で見ている違いはあるかも。『HAPPENING』を始めたときに、これからは自分のためだけに働いたり動いたりすることはあまりよくないと思ったんですね。何かのために、誰かと一緒に、何かをするっていう、大義を変えていくのがこれからの時代かなって。そのほうが自分の栄養にもなるし。

桑原 まったくその通りだと思います。快感原則としても正しいですよ。

伏見 団体になることが、これから大事なことだと思ったので。きっとこういうことがいろんなシーンで多くなると思う。

桑原 社会が混乱しているし、新しい時代に入ってきてるよね。これまであちこちに散らばっていたものが集まってきている。その息吹はすでに芽生えてますよ。これからの『HAPPENING』に期待しています。今日はありがとうございました。

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no. 15
L’Aquoiboniste
JANE BIRKIN

shipsmagの提供でお送りする、 今夜のPxxxx Radio 選曲はスタイリストの伏見京子さんでした。まだ、パリが遠かった、インターネットも知らなかった、あの頃のパリ。住んでみたかったものです。これは以前にもお話ししたかもしれませんが、私は、comme des garconsのパリコレの選曲で、1982?3年辺りからパリに魅せられて、季節労働者のように、メンズのショーが始まってからは年四回、約二十年に渡って通いました。でも、住んで感じるパリとは、まったく異なるものだと思います。住めば、行きつけのバケット屋さんがあり、カフェがあり、ワインを求める酒屋さんがあり、エクレールショコラを求めるショーウインドウの可憐なお菓子屋さんがあって、そして、ロマンチックなパリ。パリで恋をする。それ以上にロマンチックな恋はないのではないだろうか?たぶん。人と生まれたなら、一度くらいパリで恋を、しかし、残念ながら、いつしか、そんな時代を通り過ぎてしまいました。恋するからパリではない、パリがあるから恋するのだ、そして今私は、世田谷線の、松原…松原…今夜、最後の曲です。

Charles Aznavour chante Hier encore 1964 らたまいしゅう。 桑原 茂→

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伏見京子 Kyoko Fushimi

1964年東京都生まれ。
1988年、『anan』(マガジンハウス)よりスタイリストとして活動開始。『エル・ジャポン』(アシェット婦人画報社)のファッション・ディレクター就任後、パリに渡仏。帰国後は、フリーのファッション・スタイリストとして広告、ミュージシャン、ファッション誌をメインに活動中。シェアーパフォーマンス集団「HAPPENING(ハプニング)」の発起人。