一期一会 選・桑原茂一  ゲスト:那須慶子 一期一会 選・桑原茂一  ゲスト:那須慶子

一期一会 選・桑原茂一
ゲスト:那須慶子

今回は、『宝島AGES』の表紙や『an・an』の占い特集などでおなじみのイラストレーター那須慶子さん。選曲家としても活躍される彼女は、どのように現在のポジションを築き上げたのか? 桑原茂一さんとの対談を通じ、若い女性に向けて自分らしく生きるコツをお聞きしました。

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19歳でイラストレーターになることを決意

桑原 この対談では、自分らしく生きている女性に登場してもらっているんですね。これで13回目になりますが、いまは社会が変革のときでスピードも速いし、連載を始めた頃のほんわかしたムードから、ちょっと緊迫感のある時代に入ってきて。対談にもその影響が見え隠れしてきていると思うんです。だからこのタイミングで那須さんに登場していただけるのは、ジャストな気がしているんですよ。

那須 ありがとうございます。

桑原 今日で13回目になるんですけど、この連載でなぜ女性に登場いただいているかというと、SHIPS MAGの読者には若い女性も多いということ。それと、日本で女性が自分らしく生きるのは、そう簡単ではないのではないか? というのがあって。

那須 そう簡単ではないですよね。ちょっと秀でると叩かれるし、いつも控えめを求められているし。この前、アカデミー賞でパトリシア・アークエットが「私たちはゲイの解放運動をしたけれど、あなたたちは女性のための解放運動をするべきよ」と、今さらながらに言ったんですね。そうしたら、メリル・ストリープなどが手を叩いて喜んでいたんだけど。後からすごいバッシングを浴びたんですよ。

桑原 へぇ、あのアメリカでですか。でも、あの国は表面的には平等ですけど・・・。

那須 ギャラも女性はかなり少ないみたいです。生活を担っているとは思われていないんじゃないかなって。

桑原 僕の世代はアメリカが最高の国だとプロパガンダされてきて。自由で、豊かで、人間としても魅力的な人たちが楽しく暮らしている国だと思わされてきた。だけど、現実はレディファーストという国ほど、そうではないっていうのがだんだんわかってきますよね。

那須 そうですね。

桑原 まずは那須さんのルーツをお聞きしたいんですけど、イラストレーターとして生きて行くことを自覚したのはいつですか。

那須 19歳くらいですね。

桑原 おっ、意外と早いですね。

那須 画家を目指していたんですが、学生の頃、先輩から挿絵を頼まれてお金をもらったときに、イラストレーターとして生活していきたいと思ったんです。

桑原 大学は武蔵美ですよね、何科に入られたんですか。

那須 生活デザイン科です。絵描きを目指すなら油絵科に行くんですけど、そこは受験に木炭デッサンがあって。私は鉛筆デッサンが得意だったので、絶対に入れるところを受けたんです。というのも、親が一校しか受けちゃダメって言うんです。「自分の道が定まっているなら、一校一科しか受けるな!」とか言うんですよ。「それがダメならココでのたれ死ね」って(笑)。

桑原 あんまり行かせたくなかったんですね。

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父の影響で、物事には裏があると考えるようになった

桑原 その一方で、DJをやりたいと思った最初の衝動はなんだったんですか。

那須 高校の頃、姉に会いに東京へ遊びに行ったとき、知り合いの方に新宿の『ローリングストーン』というロック喫茶に連れて行ってもらって。ほんの1時間くらいコーヒーを飲んだだけですけど「ここでバイトする!」って決めたんです。なので、上京して寮に荷物を置いてすぐ面接に行って。そこでターンテーブルを回すようになって、ラジオとかのスカウトマンがきたりして。

桑原 へぇ〜、そういう道に進む可能性もあったんですね。那須さんは生まれも育ちも福岡?

那須 ずっと福岡です。すごい厳しい家で、父がギュッと押さえつけるような家でした。物書きなのでフランクなところはフランクなんですけど。でも、政治の話を幼稚園の頃からずっと聞かされて。

桑原 変わったお父さんですね。

那須 父は政治家(秘書官)の息子だったんです。その思想が保守だったので、反発心から本人は革新。家で話す相手は娘ふたりっていう。その影響で、私たち姉妹は世の中を素直に受け入れられず、いつも裏を読むようになって(笑)。今でもその癖はあるんですけど、だいたい当たっていますね。911のときもこれは怪しいと思いました。

桑原 幼稚園のときからって早いですね。

那須 BGMみたいに聞いていました。お説教よりも、そっちのほうが覚えていて。テレビから歌謡曲が流れると「消しなさい」とか言いながら裏の話を始めるんです。もともと東京で映画関係の仕事をしていたので、業界の裏話をしたくて仕方がなかったのかもしれない。

桑原 でも、そんな幼い娘たちにね。

那須 姉が頷いている後ろで、私がじっと聞いているっていう感じ。

桑原 最初の記憶として、社会に裏がある具体的な話って覚えてます?

那須 う〜ん、石油ショックとか。あのときは「アメリカの陰謀だから、トイレットペーパーなんか買うな!」って母にすごい言ってて。よくわからなかったけど、父に従ってましたね。

桑原 でも、お父さんらしいお父さんでいいですね。いま、友達みたいになろうとする人も多いですから、親の役割を放棄するというか。

那須 そうやって家が厳しかったから、音楽が好きになったのかもしれないですね。私も姉もピアノを習いに行っていました。レコードを聴いたり映画を観ると豊かな気持ちになれて。

桑原 じゃあ、スタートはクラシック音楽なんだ。

那須 そうです。あと、バレエもやっていたので、チャイコフスキーの抑揚のある曲にガツンときて。

桑原 絵に描いたようなお嬢様じゃないですか。

那須 いやいや違いますよぉ、普通に『くるみ割り人形』ですから。あと、シューベルトとかストラビンスキーとかを聴いて、気持ちがあがるのを感じていました。母が洋画好きだったので、ミュージカルとかも観に行きましたね。3歳なのにリバイバルで来ていた『南太平洋』に連れて行かれたり。

桑原 はやっ。

那須 ちょっとウトウトしながらパッと観たら、キスシーンだったり。よくわからずに観ていました。『マイフェアレディ』とか。ミュージカルを観た後は、靴のコツコツって音が楽しくて、自分が主人公になってひとり遊びをしたり。だけど、バレエは手を骨折してやらなくなっちゃったんですよ。

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デヴィッド・ボウイ、『ジーザス・クライスト・スーパースター』から、ロックへ

桑原 そんなお嬢様のライフスタイルに、ロックが入ってくるのはいつ頃なんですか?

那須 洋画からですね。アラン・ドロンの映画とか、ミュージカル。『スペイス・オディティ』を聴いて衝撃を受けて、デヴィッド・ボウイからロックへ。

桑原 つながってますよね。

那須 そうなんです。デヴィッド・ボウイも演劇的で、好きになるべくしてなったというかドンピシャでしたね。出会ったのは小6くらいで、姉と一緒に初めて買ったレコードが『世界を売った男』。音楽は姉の影響が大きいですね。

桑原 ピアノの習い事を続けながら、デヴィッド・ボウイの道へ行ったわけですよね。

那須 そうです(笑)。『ジーザス・クライスト・スーパースター』などロックミュージカルも…。

桑原 同級生から比べると、『ジーザス・クライスト・スーパースター』やデヴィッド・ボウイは特殊ですよね。

那須 そういう話が合う友だちはいなかったです。でも、近くに芸術工科大学の寮があって、そこのお兄さんたちがレコード貸してくれたり音楽をいろいろ教えてくれたんですよ。

桑原 へぇ〜。でもまぁ一般的にはかなり変態ですけど、かなりストレートな変態の道を歩んでいかれて(笑)

那須 学校も本当に厳しいところだったので、押さえつけられた部分を音楽や絵に爆発させて。

桑原 絵の衝動というのはいつなんですか?

那須 父を描いた絵が、雑誌『よいこ』に載った幼稚園時代ですね。でも、それがへんなプレッシャーになったというか。自分ではうまいと思っていないのに、周りが「うわ〜っ」て言ってくれるから頑張って描かなくちゃって。でも、水彩画になったら急に描けなくなって、小学校の高学年から中1くらいまではずっと漫画を描いていました。

桑原 今までの話を聞いている限りでは、どこにも寄り道をせずに真っ直ぐにきてますね。19歳のときにイラストの仕事が入るようになるきっかけは何かあったのですか。

那須 姉の友だちが譜面の出版社にいたんです。そこでバイトしながら絵を描いて、展示会をして絵を売ってという生活をしていて。その頃に、電通で声をかけてくれる方がいて、マーケティングのプレゼンボードを作るようになったんですよ。昔はそういうのも手描きだったから、それが1985年以降。

桑原 右肩上がりのいい時代に青春を過ごせましたね。その頃はバブルの恩恵もあって、余裕がありましたもんね。

那須 いま考えるとそうでしょうね。でも、洋服を買うとかお酒を飲むとかにはお金を使わず、ロンドンに行ったりして。

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子育てをしている間に、私の仕事をマッキントッシュがやるようになっていた

桑原 仕事や作品づくりのなかで、節目となった出来事はありますか。

那須 24歳で結婚して子どもを産んだ後も仕事は続けていたんですけど、上の子が喘息気味で作業中に泣いていたりしていたんです。あるとき、何か取り返しがつかないことになったらと思って。イラストのほうはいくらでも代わりがいるし、筆を置こうと絵筆にガムテープを巻いて封印し、仕事はお断りするようにしたんです。

桑原 それは一大決心ですね。

那須 でも、児童会館で「イチゴを描いてください」と頼まれたり。そうするとこちらも、オシャレにしてやろうと頑張っちゃって。すると今度は「絵の講師をやってください」とか、意外に逃れられてなかったですけど(笑)。もう一回やろうと思ったキッカケは、子どもがふたりとも中学生になった頃。近所にある名の知れたイラストレーション・ギャラリーのコンペに出してみたら、賞を頂いたんです。これは「やれ」ってことだなと思って、いまも続けています。

桑原 すぐに賞を獲るのもすごいですね。

那須 でも、すべてはそこからが再スタートで、ゼロから始める感じでした。エディトリアルをやるようになったのもその時期からなんですよ。当時、久しぶりに電通へ連絡をしたら、かつて私がしていた仕事をマッキントッシュがやるようになっていましたね。

桑原 子育てをしている間に、コンピューターがイラストレーターのシステムを変えたわけですね。

那須 そうなんです、それと同時にいろいろなスタイルが生まれていたので葛藤しました。そんなとき、私の好きなイザックというNYのイラストレーターに「自分の経験をプラスして何か描けるから、頑張って続けるように」と言われて。嬉しさと同時に吹っ切れましたね。

桑原 福岡の方って、反骨精神と同時に一本スジを通すところがありますよね、そして行動的。自分がこうしたいという気持ちに迷わずドーンと行く感じがする。

那須 まずはどんどんやってみるんですけど。さらに行けばもっといいことがあるのに、私は躊躇することが多くて。

桑原 その躊躇っていうのは、社会の納得できないシステムに対してということですか。「目をつぶっていれば、どんどんお金も入ってくるのに何故やらないの?」っていうシチュエーションのときに「NO」と言うタイプというか。

那須 そうです!皮肉れてて。「あ〜、損したなぁ」ってことはいっぱいありますよ。その反面、「セーフ」っていうこともあって。

桑原 それはお父さんの影響なんでしょうね。

那須 父というより、正義感や美学なんだと思います。

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わかったことは、合わない人とは合わない(笑)

桑原 子どもができたことで、自分の生き方や作風、好きな音楽とかは変わったりしますか。

那須 好きな音楽は変わらないですね。今でも心踊るのはイギリスのロックだったりするし、オーケストラ調な音楽とかも大好き。

桑原 僕らのような仕事って、社会の王道から外れて自由に生きているような錯覚を持てるじゃないですか。でも、子どもができた瞬間、おのずと一般社会に引き込まれるわけで。そこを拒否すると子どもを学校にいれられないし。そのときに変わらざるをえないと思うんですけど、それはなかったですか?

那須 ありますよ、めちゃめちゃ合わせてましたよ! そこで学んだことがひとつあって、それは「合わない人とは、合わない」ってこと(笑)。本当にどんなに話しても無駄なんだってことが、38〜39歳のときに初めてわかったんです。それまでは、どんな犯罪者でも話せばわかると思ってたから。

桑原 僕なんかは、最近やっとわかったんですよ。それは男女の間についてですけど、昔は絶対に話せばわかると思っていて、伝わらないのは自分が悪いと思っていたんです。でも最近は、女性は火星人だと思うようになって。わからないことを前提として、ちょっとでもわかり合えたら良かったなと思うようにしていて。

那須 感情の出し方や、引っ込め方はそれぞれだから。引っ込めている人って、なんで怒っているのかがわからない、話していることとは別のことで怒ってたりするんですよね。女の人のほうが直接的で、男の人のほうが回りくどいことが多い。

桑原 結婚についてはどう考えられていますか。読者は若い人が多いんだけど。

那須 なんでも経験することは、いいことだと思いますよ、恋愛も結婚も大いに。他人とずっと一緒に暮らすって結構すごいことですから。いまの時代、特にそうだと思う。小さい箱(PCやスマホなど)のなかに、自分の世界のすべてがあってそんなに寂しくない。それを横に置いて、ちゃんと毎日他の人と過ごすのは難しいんじゃないかな。

桑原 それはご自身も感じますか。

那須 そうですね、私も意外とひとりの時間が好きですから。

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若者は死んじゃダメですよ

桑原 では、最近気になっていることはありますか。

那須 いまの政治の動きですね、私に何ができるのかをしょっちゅう考えています。イルカが打ち上がったニュースを見て、すぐにまた核実験かと思ったけど、誰もそのことを言わなくて。2年くらい前にアメリカが核実験をしたことで、イルカやクジラが打ち上げられたのを認めたのに、みんな忘れちゃったのかなって。

桑原 日本のメディアからはそういう発信がないことははっきりしてますから。そう思わないといけない。日本の報道に自由なんかないですから。でも、那須さんは作品を通して言えるチャンスがありますよね。イラストレーターのなかでは、那須さんのような立場の方は少ないですよね。最近、描かざるを得なくて描いた絵はありますか。

那須 つい最近、この場所で展示させていただいた「命の重さ -破裂する想い-」って作品ですね。イスラム国のテロで後藤健二さんが亡くなりましたけど。後藤さんだけでなく、イスラム国のテロをやらされている人たち。ああやって純粋培養されて、神のために死ぬことが栄誉として育てられた人たちが、気の毒で悔しくて。それをにじみと心臓で表現したんです。若者は死んじゃダメですよ。戦争をしたがっているおっさんたちがやればいい。そんな気もないくせに無責任な発言をしたり、何もせず、Facebookでいいね! したり。腹が立ちます。

桑原 いい未来を目指すなら、教育は欠かせないっていう意味はそこですよね。那須さんは、いいお父さんのもとで大きくなられて。

那須 いいお父さんなのかなぁ(笑)。

桑原 でも、物事を疑うことなく、そのまま社会を受け入れていたら那須慶子というイラストレーターはいなかったわけですから。

那須 そうですね。

桑原 イラストレーターになりたいと思っている若い人に何かアドバイスをするとすれば、どんな言葉をかけますか。

那須 手に職があると、電気が壊れたときにすごく力になる。好きなことには、手を動かして欲しいですね。それは震災前から思ってたんですよ。電気がなかったときに何ができるか。編み物でも料理でも掃除でも、手を動かすのは脳にもカラダにもいいんじゃないかな。

桑原 頑張って毎日描いていると上手になるものですか。

那須 ん〜、それはわかんない。

桑原 正直でいいな〜(笑)。わからないっていうのは正しいですね。自分は絵を描くのは好きだけど、それで生きて行くことは無理かもしれないということを受け入れるには、強い精神が必要ですから。甘えないっていうか。なかなかできないことだったりしますよ。

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村社会に属さなくても、
ひとりで楽しく生きていけることを言っていきたい(桑原)

那須 イラストレーター達が「僕らはクリエーターじゃない」とか「芸術家ではない」と論じ合ってたり、絵描きは絵描きでまた群れてそういうことを言っていて。私はどっちにも属したくない。というか、属してないと思う。

桑原 日本にはそういう村社会が相変わらずあるんですか。

那須 あります。

桑原 そこで居心地のいい場所を与えられている人が後を絶たないってことですね。日本人はどうもそういうのが好きですよね。どっかの組織に属したいっていう。

那須 それが会社ならいいんですよ。自分がやったことをお金として還元してくれて、家庭が円満になったり、社会が円滑になったり。そういうのが何もない組織にカースト制度があって、トップを崇めなくてはいけないとか理解できない。「その人の作品が好きでもないのに?」って聞きたくなる。

桑原 ある意味で、大手広告代理店のような組織がクリエーターをバックグラウンドで支えている面もあるじゃないですか。そういう人たちにとっては、「ヒエラルキーがあったほうが使いやすい」と聞いたことがあるんです。「この人は偉い人なんです」ってクライアントに薦めやすいし、自分たちも仕事が振りやすい。そういうのがないと困るんでしょうね。僕はそういう村社会に属さなくても、ひとりで楽しく生きていけることを言っていきたい。

那須 それは自信がおありになるからですよ。

桑原 いやいや、とんでもない。でも、選曲家の初代としてそれは言い続けないと。

那須 一方で、ヒエラルキーがなく、アメリカのようにブワ〜っといっぱいの人種がいる場合は、「私が私が」「俺が俺が」な人が増えると思う。それは日本人に合ってないんでしょうね。

桑原 そうはいってもそうなっていきますよね。いろんな国の人がいっぱい入ってきているし。

那須 なってきてますね。

桑原 では最後に今後の目標を教えてください。

那須 イラストレーションと絵を描き続けたい、NYで個展をやりたいですね。

桑原 今日のお話をうかがっていると、那須さんならすぐに実現できちゃいそうですよね。今後もいろいろと期待しています。今日はありがとうございました。

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And You And I

Yes

ギターのチューニングから始まり徐々に浮遊状態を感じさせる音。どん底まで落ち込んだ時に救われた1曲です。

Bell Boy

The Who

The Whoのアルバム『Quadrophenia(四重人格)』を映像化したのが『さらば青春の光(邦題)』。1964年に、ブライトンで実際にあった、Mods族 と Rockers族 の大暴動を、題材にした映画。この曲は主人公がMods族のリーダーがホテルのベルボーイになっていた事に衝撃を受けてバイクで走り回るシーンに使われています。

Sad Song

LouReed

アルバム『Berlin』より、コンセプトのある物語の最後の曲。空虚な気持ちを露にした衝撃的な美しい曲です。

Strong

London Grammar

2013年にデビューしたロンドンのバンド。一目惚れならぬ一耳惚れで、推し続けています。

Wild Eyed Boy From Freecloud

David Bowie

Bowieの中で一番好きなアルバム『Space Oddity』の一番好きな曲。抑圧との闘い、決めつけられた既成概念への苦しみが表れた曲です。

クラッシック → バレエ音楽 → 洋画ミュージカル → 洋画音楽 → UKロック、そしてメロディアスな洋楽が好きになり、後追いでアメリカン、ブルースも聴くようになりましたが、地平線を越えた壮大な画像が浮かぶ音を中心に選曲しました。窮屈な教育、抑圧された苦しみに光がさし、救ってくれた、かけがいのない音楽に感謝します。

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Low

David Bowie

今夜の『Pxxxx Radio』、ここまでの選曲はイラストレーターの那須慶子さんでした。
「Nature gives you the face you have at twenty; it is up to you to merit the face you have at fifty.(20歳の顔は自然の贈り物。50歳の顔はあなたの功績)」
私たちは、美は作家の生きたプロセスからこそ生まれるという真実を、ココ・シャネルの残した名言に学びます。そして今夜、那須慶子さんの創作の秘密の一部がこの選曲にもあることを確認しました。那須慶子さんの作品に私が「エレガント」という冠を付加する理由もまさにここにあったのです。
さて那須さんの選曲からのB2B(バックトゥバック)→ 私の選曲は、David Bowie『Low』 (Full Album 1977)です。
1977年、私はComme des Garconsからファッション・ショーの選曲を依頼されました。場所は、青山のプラチナ通りに建設中のフロムファーストのビルの地下。まるで 廃墟のようなショー会場の中、David Bowie『 Low』(Album)から、『Warszawa』 (Bowie',' Brian Eno)をメイン選曲にしたのです。今となっては誠に記憶が怪しいですが、ショーの為のアルバムからの選曲はこのあたりだったと思う。

『Speed of Life』
『Breaking Glass』 (Bowie',' Dennis Davis',' George Murray)
『Sound and Vision』
『A New Career in a New Town』
『Warszawa』 (Bowie',' Brian Eno)
『Art Decade』

Comme des Garconsのファッションショーの選曲はここから始まり、途中休憩を挟みながら1997年頃まで約20年近く続くことになる。
私が選曲家を名乗る理由もこの仕事に由来するわけだが、自分の楽しみ選曲とは異なる。明快なテーマを与えられない・つまり答えのない選曲を引き受けるということは、出口を見失った迷路を闇雲に進むように、悪夢の中を蜘蛛の糸を求めて最後まで足掻くことになるのだ。再びアヤシイ記憶で恐縮だが、コレクションの為の私の選曲を川久保玲さんご本人から褒められたことは、結局最後まで一度もなかったと記憶する。これは愚痴を言っているのではなく、クリエーションの真髄と本質はここにあるのだと思う。ひとは褒められたいと思って為すわけだが、死ぬまで褒められないのだと思う。それが嫌ならクリエーターの看板を下ろすことだ。クリエイティブは自分との戦い、というが、真意はそんなところだろう。おっと、時間だ。
Pxxxx Radio https://www.youtube.com/user/pxxxxradio 
次回のこの時間をお楽しみに。まはでた。桑原茂→

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那須慶子keiko nasu

武蔵野美術大学在学中より、DJ、絵画、イベントの仕事に関わり、広告代理店、出版社のイラストレーションを担当。その後、子育てに専念。復帰後は、さまざまな媒体で独自のイラストレーションを発信しながら、幼少時代からの洋画、洋楽好きが高じてラジオやイベントでの選曲活動も行ってきた。
イラストレーターとしては、パリ、NYC、チューリッヒ、ロンドンなど国内外で展示活動多数。
http://www.nicekco.jp

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