スタイリストの哲学 〜荒木大輔の場合〜 スタイリストの哲学 〜荒木大輔の場合〜

スタイリストの哲学 〜荒木大輔の場合〜

日々ファッションシーンで奮闘する現役スタイリストの内面を探る恒例企画。今回は、多くのメンズ雑誌で長年活躍し続けている荒木大輔氏にお越し頂いた。一貫してストリートカルチャーへのオマージュとも言うべき、無駄を削ぎ落としたシンプルなスタイリングを追求してきた荒木氏。そんな彼の根底には、90年代後半の猛烈なアシスタント時代に培われたタフネスと、その後の“スタイリスト戦国時代”を生き抜くことで熟成された硬派なこだわりがしっかりと存在していた。キャリアをどれだけ積んでも、Tシャツとデニムが似合う男像が理想と語る理由とは、いったい何なのだろうか?

熊谷さんに師事するために履歴書を持って原宿をウロウロしてたんです

??正式には今年で独立してから何年になるんですか?
「2001年に独立しているんで、丸14年ということになりますね。アシスタントを始めたのは1997年です」
??そもそもスタイリストを目指した経緯は、何だったんですか?
「すごいお恥ずかしいんですが、最初は単に稼げると思ってたんですよ(笑)。 もちろんそれだけではないですが(笑)! 洋服は子供の頃から好きで、高校を卒業して文化服装学院という専門学校に行ったんです。とは言ってもその時点でスタイリストになろうなどとはまったく考えてなくて。なので文化(服装学院)の課を選ぶ時も、スタイリスト課があるというのは知っていたんですけどビジネス課を専攻して。洋服は好きだから、将来はバイヤーとかセレクトショップをやるとか、そういうことができたらなぁって漠然と思ってたんです。でも東京でいろいろなカルチャーに接したりしているうちに、スタイリストというものに興味を持つようになって。雑誌はすごい昔から好きだったんで、好きな誌面を見ながら、面白そうだなと魅力を感じるようになったんですね。あと、モテそうだなとか(笑)。でも正直その頃は、まだまだ単なる学生なので、スタイリストになれば、朝は満員電車に乗らなくても済みそうだし、昼頃から洋服集めて時々買い物したりして、タレントさんに服着せて、夜は遊んでればいいんでしょぐらいにしか思ってなかったんですよ(笑)。そんなナメた考えをしてました。ただただ、絶対楽しそうな職業だなって(笑)」
??その夢物語を実現させるために、その後どうしたんですか?
「自分は専門学校を2年で卒業したんですけど、卒業直前の年末でも就職先が決まってなかったんですね。その時点でスタイリストになるためにアシスタントをやるとは決めてはいたんですが行動が伴ってなくて。このままでは正月に実家にも帰りにくいなって思いつつ。そんな矢先に某セレクトショップの知り合いの方に、スタイリストの熊谷隆志さんがよくリースにくるから履歴書を渡してあげようかって言われたんです」
??それで熊谷さんのアシスタントになろうと決意したんですか?
「それでというより、アシスタントになるなら熊谷さんに付きたいとは思ってたんですね。当時雑誌をよく見ていて、スタイリングと創り出す世界観がすごい格好いいって純粋に思っていたんで。自分もこういうスタイリストになりたいって」
??なるほど。それなら願ったり叶ったりですよね。履歴書も渡してもらったんですか?
「でも、履歴書をその方に渡しても忙しかったりして熊谷さんの手に渡るまでに時間が経つのもいやだなと勝手に思ってたんです。なので、自分で履歴書を持って原宿をウロウロしてたんですよ。熊谷さんが現れそうなところを重点的に(笑)。そしたら、プロペラ通りに本人がたまたま現れて」
??それで直接履歴書を渡したんですか?
「そうなんですけど、最初ジロジロ見てたら怪しまれて。小走りに逃げられて(笑)。追っかけたら見失ったんで、車の前で待ち伏せしたんですよ。そしたら本人が戻ってきて“お前はさっきから何やってんだ!”って言われて。それでアシスタントになりたんですって、やっと履歴書を渡せたんです。その後に面接をしてもらったんですが、ちょうど春に一人アシスタントが独立するから3月になったら連絡をくれと言われて」
??そんな逸話があったんですね(笑)。それでめでたくアシスタントに就任したと。
「そうです。3月に約束通りに電話をして、明日から来いと言っていただきました。でも、それから本当に大変な4年間が幕を開けたんです(笑)」

リアリティを追求したファッションをやりたいと思っていました

??なるほど。1997年というと、雑誌も東京のファッション全体も今より盛り上がっていた時代ですから、相当忙しかったんじゃないですか?
「とにかく師匠の仕事はひっきりなしで。スタイリングはもちろん、カメラ、ブランドのディレクション、クラブイベントなどなど。やることが多すぎて、アシスタントも仕事をやってもやっても終わらないという日々でした。本当に毎日やめたいって思ってましたから(笑)」
??そのときの仕事内容は具体的に言うとどんな感じだったんですか?
「雑誌からミュージシャン、タレントさんまであらゆる撮影の準備、リースのアポ、返却準備に返却、値書きに師匠の犬の散歩まで。年中無休の24時間営業みたいな感じでしたよ。やってもやっても朝になって、また次の日が始まるという感じで。夜明けとともにもう涙しか出てこなかったですから(笑)。期間は短いですが、アシスタントが自分一人だけになったときがあって、そのときは想像を絶しました。でも、大変ではありましたけど、そういう時代を経験できたというのは本当に貴重だと思っています」
??確かに今の時代には味わえない貴重な経験ですよね。それで、いよいよ独立となったとき、自分はどんなスタイリストになりたいというような理想はあったんですか?
「最初からそんな明確な理想があったわけではないんですが、自分がやるならリアリティを追求したファッションをやりたいと漠然と思っていました。ドキュメンタリー的なアプローチのファッション写真も好きだったので。映画にしてもそうですけど。簡単にイメージを言えば、『スタンド・バイ・ミー』のリバー・フェニックスのようなシンプルなスタイルですよね。Gパンに白Tで格好いい。そういうスタイルが理想なんです」
??アメリカンカジュアルっていうのはやはり自分のなかで大きいんですか?
「そうですね。それだけではないんですが、アメリカのあらゆるカルチャーにはもちろん強い影響を受けています。郊外のスケーターが何気なく着ているミリタリーパンツにグレーのTシャツがなんでこんなに格好よく見えるんだろう?とか、本気で思ってましたから。昔から、そういう何気ないアメリカの普通の格好に対して憧れを抱いてましたね。それもあって、自分がスタイリングするときも、いかにシンプルに格好よく作るかっていうのが常にあるんですね。引いて引いて削ぎ落として、普通だけど魅力的に見えたらベストだなって思うんですよ」
??そういう思いはいつぐらいからあるんですか? 仕事を始める前から?
「はっきりとは、独立して実際に仕事をしていくうちに固まっていったという感じですね。自分のスタンスとしてしっくりくるし、意識するようになったんだと思います」

東京には独特な流れがあるということを強く感じます

??荒木さんが独立した2001年あたりから、メンズも活躍するスタイリストがすごく増えた印象があるのですが、そういった状況のなかで自分のアイデンティティを確立させたいという思いもあったんでしょうか?
「他の人と差別化をしたいと意識したことはありません。多分、自分が好きな無駄を削ぎ落としたスタイリングを好んでやる人が少なかったんだと思います。実は僕が独立した当時は、みんなカジュアルでも華やかさというかファッション的に見せることに執着したアプローチが結構多く見られた時代だったんですよ。もちろん自分もそういうスタイリングをするときもあるんですが、好きなテイストを探していったら、引いて引いてシンプルに見せるというふうに自然に自分のスタイルができていったんです。そっちのほうが、ファッション写真として格好よくまとまったときに気持ちもいいですし」
??それはやはり名立たるファッションカメラマンたちが撮った、ドキュメント仕立ての作品とかに影響を受けたんでしょうか?
「そういう部分ももちろんあるんですが、ただ自分がやるときは、有名な写真家のファッション写真の焼き直しみたいなことはしたくないんです。ファッションヴィジュアルとして、かつての偉大な作品を見てときめくことは今も昔もありますが、自分は今生きてるリアリティみたいなものを格好よく見せたいんです」
??それを独立してから一貫して追求しているというのはすごいですよね。
「お陰さまで雑誌も含めて昔と変わらないテイストでやらせていただけてるのはありがたいですね。自分でも不思議ですけど。みんな年齢とともにいろいろテイストが広がったり変わったりすると思うんですが、自分はあまり変わらないんです」
??普通のカジュアルをドキュメント風に見せてファッション写真として成立させるのは、かなり難しいことですよね?
「そうですね、難しいですね。頭を使ってあえて普通に見せて、かつファッションフォトにしたいわけですから。ファトグラファーを筆頭にスタッフとのコミュニケーションがとても大切になってきますよね。どう切り取るかという」
??逆にこれから自分的にやってみたいこと、新しくトライしたいことはありますか?
「雑誌(エディトリアル)は今までと変わらずにいろいろとトライしていきたいです。やっぱり雑誌をやっていると自分の居場所のようなものを感じることができますから。それと平行して東京のブランドはデザイナーの方々が面白いので、一緒にルックブックを作ったりするのも刺激になりますよね。たまにやらせていただくんですが、雑誌や他の仕事とはまた違ったアイデアが求められるので。あとは東京ブランドのショーはチャンスがあれば手掛けてみたいです。東京の今の気分、最先端というものを長年肌で感じ取ってきたという自負はありますから」
??やっぱり東京のカルチャーを切り取っていきたいという気持ちは大きいんですか?
「そうですね。今も昔も海外への憧れはもちろんあるんですけど、自分が生活をしている東京っていうのは、独特の流れがあるということを、こういう仕事をしてからより強く感じるようになったので。それをちゃんと捉えて発信していくなら、東京にいたほうが絶対にいいという気持ちもありますし」
??猛烈なアシスタント時代を生き抜いたというタフさも、ぶれない自分のスタンスに活かされているんじゃないですか?
「それはわかりませんが、ハートは強くなったと思います(笑)。ちょっとやそっとじゃひるまないんで。でも過去がどうこうよりも大切なのは今なんで。仕事の仕方にしてもアシスタントの接し方にしても、時代が変われば常に求められるものは変わっていきますよね。それを常に感じ取りながら、もちろん新しいものも古い物も理解して、いいところをミックスして自分なりの発信の仕方を模索していきたいです。それは大変ですけど、やっぱり楽しいですよね。全然飽きないですよ。なので、それをやれるところまでやりたいですね」
今もスタイリングのインスピレーションの源は、著名なドキュメンタリーの写真集だと語る荒木氏。リアルな瞬間を切り取ったものにこそ本当の格好よさと興奮が隠されているという。愛して止まない珠玉の4冊をご紹介。
写真集『THE TEDS』
50年代のイギリスに勃発したTEDSカルチャーを切り取った写真集。「地元が群馬で、こういう人がいっぱいいたんですね(笑)。だから自分のファッションの入り口は50s的なものでもあったんです。この写真集はそれもあってか、ずっと親近感があるんです。それでいて格好よいドキュメンタリー写真集」
写真集『TALSA』
言わずと知れた写真家ラリー・クラークの代表作の一つ。「アメリカ郊外のやんちゃなコたちの日常ですが、その何気ないシーンが本当に衝撃的。このドキュメント写真から最初に受けたインパクトは、ずっと忘れられません。今でもたまに見て刺激を受ける写真集ですね」
スケート作品集『Dysfunctional』
写真、グラフティ、デッキ等のスケートカルチャーを凝縮した作品集。「表紙はエド・テンプルトン。写真家のホンマタカシさんが撮り下ろしています。自分の好きなスケートのインスピレーションが詰まった1冊です。Tシャツとデニムのサイズバランスとかを見るだけでも参考になります」
写真家、高橋恭司作品集
1990?1992年に発表された作品をまとめた1冊。「日本が誇るドキュメント写真の巨匠です。何気なく見ているだけで、いろいろと毎回感じるところがあってインスピレーションが湧いてきます。時代やトレンドが変わっても、本当に直感で切り取った作品というものは、ずっと色褪せないと思います」
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荒木大輔

1976年生まれ。群馬県出身。文化服装学院卒業後、1997年にスタイリスト熊谷隆志氏に師事。2001年に独立し、以後メンズファッション誌、ミュージシャン、俳優、ブランドのルックブック等のスタイリングを幅広く手掛けている。アメリカンカルチャーへの造詣も深く、自身もサーフィン、スケートをたしなむアクティブ派。最先端の東京カジュアルを常に等身大で切り取ったリアリティの高いスタイリングには、同性、同業者のファンも多い。