スタイリストの哲学  〜甲斐弘之の場合〜 スタイリストの哲学  〜甲斐弘之の場合〜

スタイリストの哲学
〜甲斐弘之の場合〜

毎回第一線で活躍するスタイリストの内面に肉薄する恒例企画。今回は独立から20年以上というキャリアを持つ甲斐弘之氏を招いて、彼ならではの美学をたっぷり語っていただいた。世界のトレンドを凝縮したモードから武骨で味のあるアメカジ、はたまた男心をくすぐるガジェットから女性がときめくビューティまで、恐ろしく幅のある氏の守備範囲には、やはり興味深い視点と研ぎすまされた感性が隠されていた。日々愛用しているという多くの私物と物選びのポイントからヒントを探しながら、長きに渡り多くの雑誌で活躍する所以を紐解いた。

飲み屋で働いていた時に
スタイリストさんたちに出会ったんです

――そもそもスタイリストにはどういう経緯でなられたんですか?

もともとは西麻布の飲み屋で働いていたんです。たまたまお客さんにスタイリストさんがいて。その方やアシスタントのみなさんが、店によく飲みにきてくださっていて、ファッションの撮影現場とかの話を聞くようになったんですね。なんだか楽しそうだなぁとは思っていたんですが、その時点では自分はファッションに全く興味がなくて。ただ、そうこうしているうちにアシスタントの方たちが、みんな海外留学するからアシスタントを辞めるっていう話になって“人手が足りなくなるからよかったら手伝わない?”と誘われたのがファッションの仕事を始めるきっかけなんです

――ちなみにそれは何歳ぐらいのお話ですか?

20歳になったばかりです。その時はもう通っていた学校も辞めてしまっていて、生きていかなきゃならないという事で飲み屋で働いていました。水商売ならお金も稼げるかなっていう理由で。そんなことしているうちに知りあったのがたまたまスタイリストさんたちだったっていう、今思えば運がいい話でした

――そこからどなたか特定のスタイリストを師事するとかではなかったんですか?

そうですね。あくまでフリーのアシスタントという形で出版社に出入りするようになったんです。いろんなスタイリストさんに付いてお手伝いをするというスタイルでした。なのでメンズ誌だけでなく女性誌やカタログなどのアシスタントもやってましたね

――元々ファッションに興味がなかったとおっしゃっていましたが、それでもアシスタントをすることに抵抗はなかったんですか?

とりわけ抵抗はなかったですし、それよりも新鮮な事ばかりで、やってみたらいろいろな方と関わるようになったし、ファッションどうこうというより単純に楽しかったですね。仕事は、値書きしたり、撮影準備をしたり、撮影商品をピックアップしたり返却もする。いわゆるアシスタント業務全般を連絡が来たスタイリストさんに付いてやらせていただくという形でした。そこでいろんなことを吸収できたと思います。そのときに自分と同じ境遇の人もけっこういたんですが、その方々も今、第一線で活躍するスタイリストになっています

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小物を集めることにチャンスを見出しました

――いわゆるアシスタントは何歳までやられたんですか?

実は諸事情があって、一年も経たないうちに自分で独立して仕事をしなければならない事になったんです。でも、自分としてはチャンスでもあったし頑張ったのですが、結局は良い結果が出せなかったですね。やはり経験が十分ではなかったということもあり、自信もまだまだなかったですし、ダメでした。そこからは再度アシスタントの手伝いをしながら、編集の方からお仕事をいただけたらそれを全力でやるというスタイリストとしての活動が始まったんです。その時期を境に、単にアシスタントの作業をこなすだけでなく、ほかのスタイリストさんの仕事っぷりを見て参考にするようになりました。一般的なアシスタントさんというと、いわゆる師匠に付く一対一の師弟関係だと思うのですが、当時の自分は、いろいろなスタイリストの方に仕事を見せていただけたのでラッキーだったと思います

――始めて一年も経たないということは、独立は20歳ぐらいのときということですか?

そうですね。21歳ですね独立したのは。アシスタント業務も平行してやっていましたけど

――そんなに早いデビューだったんですね。

でも正直そのときは、まだノウハウも十分ではないですし結構大変でした。しかも自分を吸い上げてくれた編集の方も自分が独立して3ヵ月ぐらいしたら別の編集部に移動になってしまったんです。それでそのまま自分も移動になるような形になって。その後は色々な雑誌を経験しましたね。男性誌も少しはやらせていただいていたんですけど、少しずつフェードアウトしていって。結局そこからは女性誌の仕事に専念するようになりました。いわゆるビューティをやるようになったのはそのタイミングです。それから期間が空いて、またメンズ誌から声がかかるようになったんですが、よく担当するようになったのが物が中心の企画。時計やバッグやシューズとかですよね。でも、その頃は人に着せるスタイリングはまだまだ自信がなかったので、小物をテーマに合わせて集めるということにチャンスを見出しました。そこからは女性誌をやりつつ、物企画を中心に男性誌もやるというスタイルが約10年ぐらい続いたんですよ

――なるほど。じゃあメンズでモデルに洋服を着せるというのは、その後のキャリアになるんですね。

そうです。女性誌の化粧品などのビューティと男性誌の小物が中心の企画、それを10年ぐらいやったわけですから、そろそろファッションをもっと突き詰めたいなと思っていた矢先に、運がいいことにいろんなメンズ媒体から連絡がくるようになったんです。そこで決心してビューティの仕事は自分のアシスタントだった子に全部託して、自分はメンズに絞って仕事するようにしたんです。そこからですね、メンズのスタイリングを本格的にやりだしたのは。それもキャリアとしては約10年ぐらいです。どうも自分は長くファッションをやっている人というふうに思われているようですが、ちゃんと人に洋服を着せるスタイリングをするようになったのはここ10年ぐらいなんですよ

――それは面白い経歴ですよね。だからしっかり物集めもできて、人物のスタイリングもできるわけなんですね。

物集めの企画をとことんやってから、洋服のスタイリングをするようになったというのは、今考えれば逆にありがたいことですね

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心が豊かになるような物に
囲まれて生活することが大切

――物や服の選び方についてですが、甲斐さんはウンチク重視ではない独特な視点やアンテナがあるように感じるのですが、何かこだわりはあるんですか?

自分はウンチクとか、音楽や映画といったカルチャーソースは正直あまり持ち合わせていないと思うんですよ。もちろん勉強はしますけど。ただ自分が意識しているのは、今現在自分の身近にいるおしゃれな人だったり、その人が持つ雰囲気、時代の空気感みたいなものなんですね。あの映画のあの俳優のああいうスタイルとか、あの時代のあの音楽のああいう格好とかいうのではなく、重要なのは今その人に一番似合うものをスタイリングすること、今の空気感にマッチした物を集めることなんだと思うんです。なので良い意味で何が流行っているんだろう、何が今はいいんだろうっていうことを常に意識していますね。今はこの色が気分だとか、今こういうシルエットがいいとかを感じ取るようにして、そこから例えばモデルに着せるならそのモデルに合うものをチョイスする。何か影響を受けたものやモチーフがあって、それを目指してスタイリングするとかではないんです

――自分の身の回りの物に関してはいかがですか? どういった基準で物選びをしていますか?

まずは一番大事なのは見た目です。基本は見た目(笑)。例えば普段、ご飯を食べる器もどこで作られた器だから欲しいとかいうことではなくて、形や厚さ、色を見て、例えばここに食材を入れたらって想像してみるわけです。それでいい感じだなって思えれば欲しくなる。いい家に住んで高級な物に囲まれて生活することよりも、日々の生活のちょっとしたことが快適だったり気持ちよかったりすることのほうが重要だと思うんです。例えば水を飲むコップにしてもお箸にしても、タオルにしてもシャンプーにしても。それを使うことで楽しくなるような物を選ぶっていうのは大切だと思います。思わず使いたくなるパッケージだったり、置いていて心地よいデザインだったり。もちろん中身も大事ですが、心が豊かになるという観点が基本です。そういう物に囲まれて生活するほうが絶対に楽しいと思っています

――普段着る物に関してはどうですか?

自分のファッションっていうことになるとあんまり変わらないんですよね。基本的にジーンズしか穿かないし、今は体が片寄るからバッグはリュックしか使わない(笑)。あとはスウェット。冬だったらセーターで、基本はクルーネックです。色は黒と白ですね。最近はネイビーやグレーも増えましたけど。この仕事をやっていると人に着せることが一番で、自分の服に興味が無くなっちゃうんですよ。もちろん洋服は、モードでもユニクロでもなんでも気に入ればすぐに買ってしまうんですけど、普段気になるものをリースしてスタイリングしていると満足感はそれで得られるというか、終わっちゃうんですね。少なくても普段の自分は着飾ったりしないですね

――それでは最後に、20年以上やってこられて、これから改めてチャレンジしたいものや野望はありますか?

そうですね、最近、海外誌のお仕事をさせていただく機会があるんですが、そこから結構刺激を受けるんですね。企画は日本の雑誌のようにアイテム切りとかではなく、もっと感覚的だし抽象的なお題が多いんです。ライフスタイルを考慮したファッションというか、大きなテーマ性を持ったスタイリングが求めらるんですね。そういう仕事をして思うのが、自分の身の回りのものを選ぶ時のようにファッションも心が豊かになるというか、もっと生活に根ざした基準で楽しんでもよいのかなということなんです。トレンドを伝えるのももちろん大切ですが、そういったまた違った観点からも、もっともっとスタイリストとしてファッションを突き詰めていけたらいいですね。物やビューティを10年、メンズ誌のスタイリングが10年。いろいろとやらせてもらってきて、改めて自分もファッションそのものを見直す時期なのかなとも思っています

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ラーメンを食べる器とつげの箸

韓国の作家さんが作った白磁の器は、形と大きさが気に入って購入しました。つげの箸は銀座の『夏野』で見つけた八角形のものです。たとえインスタントラーメンでも器を代えるだけで美味しく感じます。箸は木の風合いが魅力的です

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ヘアケア用のアイテム

最近髪を伸ばしているので、つげのクシを作りました。形は“洋”で質感が“和”というのがテーマです。ヘアケアはヨーロッパメイドのワックスやトリートメントを愛用しています。パッケージもかっこいいので毎日使いたくなります

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ブラシ各種

テーブルの上やソファー、網戸などの様々な掃除用に使うブラシです。ブラシにはいろんな目的のものがありますが、基本的に木製の優しい風合いのものが好きです。好きな道具なら掃除したくなりますよね

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リネンの布

ナチュラルな色で洗いざらしのリネンの布がとにかく好きです。キッチンクロス、ハンカチ、タオルにシーツetc.……、気がつくとリネンクロスだらけになってしまいます。ベルギーのブランド『リベコホーム』のものはよく買いますね

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朝必ず飲むコーヒー

朝は時間に余裕をもって必ずコーヒーを入れて飲みます。豆を挽いて『アルフィー』のポットに入れて、落ち着いて飲むひと時が重要です。残ったコーヒーは水筒に入れて持ち歩きます。普段、豆は『ベアポンド エスプレッソ』でよく買います。こちらの豆は、先日ロケでいったハワイで見つけたもので、映画監督のデヴィッド・リンチが作ったものです

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ホームフレグランス

普段から香りは重要な物だと思っています。常に使っているのは『サンタマリア ノヴェッラ』のポプリ。家に帰ったら『ディプティック』の電動式ディフューザーをつけます。朝は空気を入れ替えるためにお香を焚くのが日課です

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甲斐弘之(かい ひろゆき )

1971年生まれ。東京都出身。横浜市在中。20歳でスタイリストのフリーアシスタントを開始。のちに独立。女性誌のビューティページやメンズ誌を中心にガジェットや革小物といった物にフォーカスした名物企画を長年担当。時代やトレンドを的確に捉えた物集めのスペシャリストとして多方面で注目を浴びるようになる。現在は、メンズファッション誌、カタログ、タレントヴィジュアル、海外誌等で幅広く活躍。ラグジュアリー、モード、ストリートといったジャンルやテイストに囚われない振り幅の広さが持ち味。