一期一会選・桑原茂一
渋谷区神南から千駄ヶ谷へと場所を移し、新たな展開を見せるディクショナリー倶楽部。“食を囲んでコミュニケーションする場”をコンセプトに生まれたこの場所で、メインシェフとして腕を振るっているのが、楽膳家の塩山舞さん。食べることが大好きで、前向きでポジティブ。その天真爛漫ぶりには桑原茂一さんも舌を巻くほど。彼女のユニークな人生と食に対するこだわりを伺いました。
――おふたりは知り合ってもう長いんですか?
桑原 彼女は福岡出身で。僕はディクショナリーのクラブイベント「革命舞踏会」などで、福岡にはよく行っていたんですよ。出会ったのは1999年くらいかな。まだ20代前半くらいだったよね?
塩山 そうですね。その頃はファッション関係の仕事をしていました。でも並行して食の勉強もしていたんです。
桑原 僕も加藤和彦さんの影響で食については昔から大好きだから、当時の彼女におすすめの本とかをアドバイスしていたんですよ。
塩山 ファッションの仕事をしながら、夜はお店でシェフをしていて。いまだから言えますけど、休憩時間に仕入れに行ったりしていました(笑)。そんな状態が続いていたので、どちらが本職かわからない状態だったんです。その頃、桑原さんが「キミくらいパワフルな子はいない! きっとオンナ魯山人になれるから」と言って、魯山人の本をプレゼントしてくれたんです。
桑原 それからしばらく期間が空くんだけど、久しぶりに会ったらすでに立派な料理人になっていて。そんな古い関係なので生い立ちも軽くは知っているんだけど、改めて教えてもらえるかな。もともとはすごいお嬢様だったんでしょ?
塩山 呉服屋の娘として大切に育てられて、母親も子煩悩だったので、洗濯も掃除も何もせずに生きてきたんです。学生時代は定期券も自分で買ったことがないくらい。また、母親がすごく料理が上手で、いつもお客さんに振る舞っているのを見ていました。私も料理をすることが大好きで。そんな母親が19歳の頃に急に亡くなってしまって。その後、ひとり暮らしを始めるようになってからは、母の影響もあってか私も自分の友人や大切な人たちを食事でおもてなしするようになったんです。
桑原 クラブに行っていた頃のエピソードも最高だよね。
塩山 そうなんですよね。私はクラブが大好きで高校生の頃から行っていたんです。でも、お酒を飲むわけでも悪いことをするわけでもなく、ただ音楽が好きで行っていて。それにクラブに来ていた大人たちがカッコ良くて、よくアートの話とかをしていたんです。母は私のことを信用してくれていたので、そこでのこともすべて話していたんですよ。クラブに行くときは駅まで送ってくれて、さらに「いま舞が電車に乗りましたので、あと何分後に着くと思いますので、どうぞ始発には電車に乗せてください」って毎回オーナーに連絡していたらしいんです(笑)。その当時遊んでいた人から、「あの頃はお母さんと約束していたから、みんなでキミを守ってたんだよ」って教えてくれて。
桑原 すごい話だよね(笑)
塩山 ひとり暮らしを始めてからは、毎晩のようにたくさんの友人のごはんを作っていましたね。そのうちに回りの人がお店を出すようになって「レシピを作って欲しい」とか、「メニューを作って欲しい」とか言われて、それがすごく楽しかったんですよ。あるとき、仕事をするなら毎日ワクワクできるほうがいいなと思って、食の道に進んだんです。
桑原 福岡に出したお店「wagamama」を作るときはどうだったの?
塩山 いくら料理上手でも素人とプロっていうのはすごく違うんです。そこは私もわかっていたので、アパレルの仕事が終わったあとにお気に入りの料理屋さんで修業させてもらって。あと、アパレルを辞めてお店を出すまでの半年間は、有名ホテルの和食のお店でタダ働きしながらいろいろと教えてもらったんです。
楽しみながらやっていると、あるとき気づいたら毎日満席になっているんです
桑原 すべてが自然な流れのようだけど、これまでにターニングポイントってどこかにあったのかな?
塩山 「wagamama」が成功して自信がついたのもあるんですけど、その後に店を閉めて東京に来たんですね。そこでフレンチの巨匠である井上旭シェフに出会って、お店を軌道にのせたことは、それは大きな自信になりましたね。
――それは単純にお客さんが増えたということですか?
塩山 そうです。最初はすごく暇で、でも毎日みんなでいろいろなことに挑戦していました。何か楽しみながらやっていると、あるとき気づいたら毎日満席になっているんです。「wagamama」のときもそうでしたが、そういうことがこれまでに何回もあるんですよ。
桑原 自分のお店「wagamama」を始めたときは冒険じゃなかったの?
塩山 絶対大丈夫っていう自信がありましたね。
桑原 いつもそうだよね(笑)。でも、何かを頑張っている人たちって、俺が俺がっていう人が多いけど、舞ちゃんの場合は必ず誰かと一緒にやりながら、その人を立てているよね。周りも元気にハッピーにさせる器の大きさがすごいと思う。
塩山 みんなと一緒にハッピーになったほうが何倍も楽しいじゃないですか!
桑原 山笠の取材したときにわかったんだけど、福岡ってすごく男社会なんだよね。でも、お祭りの間、男たちは呆けていて仕事をしないわけ。そのときに支えているのは女性たちで、女性がいなければお祭りひとつできないような社会。でも、お祭りが終わったら奥さんにちゃんとプレゼントするらしいんだよ。その話を聞いたときに羨ましいなと思って。男を男らしくさせたほうが、男も女を愛するチカラが生まれる。特に男はお調子者だから、乗せられてナンボなんだよ。
塩山 特に博多の人はお調子者ですよね。かわいらしい。
――福岡の女性は男性を立てると言われますが、確実に手綱を握っていますよね。
桑原 それくらいがいいのかも。いつも思うけど、いい仕事して魅力的な人はみんな女性だからね。
桑原 これから舞ちゃんのように食の世界で頑張っていこうとしている若い女性に向けて、何かアドバイスをして欲しいんだけど。
塩山 美味しいものを食べるってことは大前提。それと、いろんな国に行くのがいいと思いますね。いろんな国のいろんな市場に行って、みんながどんなものを買っているのか、それをどうやって料理しているのかを聞くこと。海外に行ったら必ず厨房に入って見る、いきなり入っていく! 成功は歩いた距離に比例するような気がするんです。たくさん移動しただけ、経験とか感性とかを得られると思うし。そして、一番大事なのは人を大切にすることですね。
桑原 世の中には、毎月決まった給料がもらえて、それを踏まえてしっかり将来の計画を立てたいと思っている人が多いと思う。そういう人から見ると、舞ちゃんのような生き方は羨ましくもあり、自分とは違う世界だと感じてしまうと思うんだけど。
塩山 私は常になるようにしかならないし、なんとかなるって思っていて。そのほうが、いつもいい方向に行くんです。今回のことも、ここに私が立っている姿が直感的にイメージできましたから。
――茂一さんは、何故この場所で食堂を開こうと思ったんですか?
桑原 ディクショナリー倶楽部を渋谷で3年間やってわかったのが、日本人は異なる価値観を受け入れるのがすごく下手だってことなんです。でも、その異なる価値観をいつの間にか結び付けてしまうのが、食なんですよね。食がハブになると、音楽でもアートでもファッションでもすべての壁が壊れて、新しい価値観が築ける気がするんです。
塩山 そうかもしれないですね。私もただ料理をしているというより、人と人を食事でつなぐのが大好きなんです。しかも、それが特技だと思うんですよね。
桑原 俺のなかにあるものを、舞ちゃんがかなりカタチにしてくれているんですよ。これからこの場所にいろんな人が集い、アフター311以降の世界をみんなで考える場所にしていければと思っているんです。まずは気軽に、舞ちゃんの美味しいごはんを食べに来てほしいですね。
ディクショナリー倶楽部 千駄ヶ谷
住所:
東京都渋谷区千駄ヶ谷1-13-11 チャリ千駄ヶ谷B1
営業時間:
(月〜金)
ランチ 11:30〜16:00
カフェ 14:00〜18:00
ディナー 18:00〜22:00(L.O.21:00)
(土・日)
食のクリエーターたちの企画する特別なイベント、ワークショップを不定期で開催。
■現在、花嫁修業(フードインターン)募集中。
詳しくはこちら→http://dictionaryclub.net/sendagaya/
塩山舞
楽膳家。友人に料理を振る舞っているうちに、知人のレストランやカフェのメニューを作って欲しい、レシピが欲しいという依頼が増え、こんな楽しい事なら仕事にしちゃえ! と退社。同年、福岡薬院にてメニューの無いお料理屋「wagamama」をオープン。3年半後、ワガママにハワイへ渡米。翌年、福岡の名店たらふくまんまの銀座店立ち上げのため、一年間という期限つきで上京。 そこでフランス料理の巨匠井上旭シェフと出逢い、シェ イノグループにて四年間勤務する。その後、企業のさまざまなメニュー開発商品開発の仕事を手掛けるなどフリーの楽膳家として活躍。